沃野 - B-REVIEW

沃野

春も終わり、雨の匂いが近づいてくると、琵琶湖の水が、疎水の流れに帰ってくる。五月雨は、葉っぱの先っぽに集まり、辺りの緑はあらわに透ける。回りながら溢れてしまった僕たちも、雨がやってくる前に、慌てて永興寺の参道を駆け下りた。西の空から東の空へ渡る、雲の塊に追われて、極楽から帰ってきたという、お爺さんのことを思い出していた。夕方、山科駅前から、２匹の氷に季節は続いた。ウィスキーに乗って、魚のふりをする代わりに、グラスに嫉妬をぶつけ、笑った。誰も居ない天国の門で、行ったり来たりしている犬と、マリア像の震える唇の不満に、母を知らない子供が吸い付いて離れない。夏の終わり、蝉が恋しがって鳴いていたのは、地中の柔らかな、大地の懐かも知れない。天智天皇陵の日時計に太陽が溢れ、沈黙から降り積もる過去が、影の針を進めている。ジャリ、彼女に白羽の矢が立った時は、まさに暗雲の隙間から光が差していた。白浜のほんの小さな砂の一粒に、運命が宿る瞬間を、目撃したというのに、僕たちはみんな自分の将来について、不安を感じ始めていた。彼女の胸には、既に放たれた矢がブッスリと刺さっていて、彼女は手で出血を抑えながら、「みんな怖がらないでほしい。」と言った。僕たちは俯いて、ジャリ、沈黙してしまった。巫女は、ニコッと笑って会釈をすると、僕たちの方を振り返ることは、ジャリ、もう二度となかった。彼女は今も、これからもずっと帝に殉じている。僕たちは、ジャリジャリと玉砂利を踏み鳴らしながら御廟を去った。真珠色、のアスファルト、は、月、に顔を埋め、山科の北を東西に横切る旧国道１号線は、三条街道と呼ばれ、東海道五十三次の終点まで、あとひと山越えればよかった。今でも道沿いに、昔を物語る石碑をいくつか見ることができるけれど、それらは町の景色に溶け込んでいるので、旅行者であっても気に止める者はない。カクテルバーのテーブル越しに、男女の背中を眺めている。男は支払いのために、シンデレラの片方の靴を拾い、上質なタバコを咥え火をつける。夜空には、ポッカリと心に空いた穴のような月。女は鞄の中で、家の償いを諦める負担を、背負っているように見えた。現金が、魂のクールさ、を失う、メアリーは、恋を薔薇で包囲しない。新しいシーツはひんやりとして、私話が酔った脈絡を辿る岐路のアンソロジー、夜空の寝室はジュエリーを必要としない。月に雲は綴じられる。日ノ岡の南無妙法蓮華経が刻まれた碑の前を、首を切り落とされた罪人の体が発酵して、パンパンに膨らんでいる。右へ左へ胴体を激しく揺らしながら、こっちに向かって走って来る。近隣の家々のドアがバタンと閉まり足が止まりつんのめり前のめる文字の、近親相姦で生まれた言葉がクラクションをブーブー鳴らしている。肋骨の隙間から、忘却の復讐を果たすために、キューピットが弓を引いている。非常に長い話、とても短いスカート。粟田口の晒し首の目玉に、マリアが何人も映り込んでいる。毎年、紅葉を狩りにくる人々の感嘆は、自由の為に、不自由を暗示している。タイルを四角に切り出した、便利過ぎて、不便な、優しさに対応する、不便過ぎて、便利な、子猫。風は時折、刃物のように吹いて肌を剥いで往く。痛みが、冷たく頬に触れると、深い眠りから覚めた予感が、生死の狭間に体温を与える。僕は花束を抱えているのに、いつまで経っても時は沈黙している。覚めない夢は、繰り返す波に影を数えなかった。彼女の他に、好きな女性が出来ると、彼女はすぐさま、僕の家にやってくる前の晩に、生き霊になって飛んできた。金縛りにあったので、呪文やお経を唱えていると、少し心が安らかになって、恐る恐る眼を開けてみた。朝、彼女を駅まで迎えに行くと、彼女は、僕の上に跨っていた生き霊と、まったく同じ服を着ていたので、僕は、ただならぬ横目使いで、「その服よく似合ってる、ね。」と言った。都会の言葉はビルのように突っ立っている。まだ墓場の塔婆の方が、いくらかお喋りに感じる。はじめて、渋谷の交差点を歩いて渡ったとき、人々の目に、窓の外の景色が浮かんでいて、僕も自分の故郷が、いつしか恋しくなっていた。

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作品データ

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作成日時 2020-09-22
コメント日時 2020-09-22

#現代詩 #縦書き