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その熱く滾る硬い棒を
惑星メランコリアが地球に近づいていた その青い惑星はあと5分で地球に衝突するのだ。 32歳、無職、童貞、半引きこもりのタツキタカヒロも、流石にこの日は外に出てみる事にした。 玄関から一歩足を踏み出すと、頭がクラクラとした。久々の外出ということもあるが、メランコリアの大きすぎる質量は地球の酸素を奪っていたのだ。 それでもタカヒロの決心は揺るがなかった。今日のタカヒロは何かが違っていたのである。 「終わりは渚で迎えるんだ」 タカヒロの頭には「渚にて」という小説が浮かんでいた。タカヒロは「渚にて」は読んだことは無いが、ネットであらすじだけをちらっと見て、世界が終る話であると知っていたのだ。自意識がタカヒロの足を動かす。 この5年間タカヒロの世界はネットだけだった。流行を馬鹿にし、他人を攻撃する書き込みを続け、毎日毎日過ごしてきたのである。 猫の尿の匂いがするエレベーターを降り、タカヒロの住んでいる公共団地を出る。 あと5分で滅亡する街はタカヒロ以外誰も歩いていなかった。みな、地下シェルターに避難していたのだ。もちろん、その誰もがそんな事は無駄であると知っていた。なので一部の都会では、暴動が起きたりパーティーが開かれたりしているようだったが、タカヒロが住むフクハマシティは地方都市の片田舎であり閑散としていたのだ。 空は真っ青だった。 パソコン実習。ブルースクリーン。タカヒロは中学の頃を思い出す。タカヒロの同じクラスに太い三つ編みの女子が居た。彼女は陰でミルクねじりパンと呼ばれ馬鹿にされ、様々な嫌がらせを受けていた。だが、彼女は決してめげる事は無く、毎日登校していた。タカヒロはそんな彼女を尊敬していた。 「彼女はどうしてあんなに強いのに、俺は殴られたくない為に親の財布から金を盗んで不良に渡しているんだ」 そして運命の日がやってくる。 実習の時間に、タカヒロとその三つ編み女子が立ち上げたデスクトップPCの2台のみが、何故かブルースクリーンだったのだ。PC教室は爆笑の渦に包まれた。 「らぶらぶー」「付き合っちゃえよー」「ブルーみるくねじりぱーん」 冷やかしが飛ぶ中、三つ編み女子は突然立ち上がった。そして、目の端に涙を浮かべ、スツールとキャスターの付いた丸椅子をデスクトップPCに叩き付けた。 PC画面はひび割れ、キーボードは飛び散り、教室は静寂に包まれた。担任のティーチャーが授業を止め、指導室へ三つ編み女子を連れていき自習となった。その騒動の間中、三つ編み女子は一言も発さなかった。その姿にタカヒロは感動したのである。 海岸に付いた。ここフクハマシティは博多湾のドン詰まりであり、様々なモノが流れ着く。冷蔵庫、電子レンジ、鎧兜。タカヒロは落ちていたバットを手に取る。 「高校の体育の授業は全部サボったな」 運動神経の悪いタカヒロは中学の体育の時間に恥をかき続けた。それゆえタカヒロは今もスポーツ全般を嫌悪している。高校はあまり教育に力を入れていない所であり、自由な校風だった為、タカヒロは参加自由な体育の実技はいつも見学していた。思春期だったタカヒロは、体操着の女子たちをじっと見つめていた。この時から、無意識に自分の股間を触ってしまう癖がついたのである。 砂浜でタカヒロはバットを構えてみる。といっても野球の知識が無い為、バットを持ってただ立っていると言った方が正しい。何度かぶんぶんと素振りをした後、タカヒロが唯一知っている野球選手、イチローの真似をしてみる。腕を伸ばし肩を叩く。デタラメなルーティンワークをし、再びバットを構えた時、タカヒロは何故か迫りくる惑星を、このバットで打ち返せそうな気がした。 自意識を持て余したタカヒロは、暗くて卑屈な性格であるのに自信家だったのだ。 いわゆるFランと呼ばれる大学に進学したタカヒロであったが、友達は出来なかった。他の生徒はチャラチャラしたタカヒロの苦手なタイプであり、誰にも喋りかける事無く、そして誰にも喋りかけられる事も無く、露出の多いギャル達を観ながら股間を触りキャンパスライフを終えたのである。 一留して卒業後、タカヒロはライン工となった。来る日も来る日も謎の部品のネジを締め続ける作業。トルク数、レンチ、ナットランナー、4年目となり作業に慣れたタカヒロはついつい気が緩んでしまった。例の股間をいじる癖が出てしまったのである。それを女子社員がたまたま見てしまい、セクハラ問題となった。誰とも喋らない職場での態度も相俟って、タカヒロは始末書を書かされる事となった。ライン長と総務部長からしこたま説教を受けている間中、タカヒロの頭にあったのは、中学時代の同級生の三つ編み女子の事であった。 「さっき俺の事を変態呼ばわりした女子はもしかして」 これは偶然が生んだ奇跡であった。タカヒロと三つ編み女子は同じ職場に就職していたのだ。早退させられたタカヒロは、工場の出口で彼女を待った。彼女は夜勤であった為、日が沈み、工場の敷地の外は真っ暗になる。それでもタカヒロは息を殺してジッと待った。この時、タカヒロ27歳、童貞。「これは運命だ」そう呟きながら彼女を待つ。そして夜明け、空が白むと同時に彼女が出てきた。タカヒロは凄まじい勢いで走り寄る。そして血走った目でこう言った 「中学の頃から好きでした、付き合って下さい!」 そこからの記憶は途切れ途切れだった。彼女はタカヒロを覚えておらず、またセクハラをしに来たと思い、一緒に帰っていた彼氏に助けを求めたのである。彼氏は短気な性格であり、タカヒロをボコボコに殴った後、近くの雑木林に投げ捨てた。タカヒロは泣いた。泣いて泣いて泣き続けて、引きこもりとなったのである。 「その時の空もこんな青だったな」 惑星は地球の成層圏ギリギリまで近づいていた。凄まじい風が吹き、木々がなぎ倒される。大地が揺れ高層ビルは崩壊を始めていた。それでもタカヒロは砂塵が舞う砂浜にしっかりと二本の足で立ち、バットを構えていた。 バットを振りかぶる。俺の人生は何だったんだ?俺は何を成した?俺は何の為に生きてきたんだ?俺の何が悪かった?俺は不幸だったのか? いや 立ち向かう勇気が無かっただけだ 困難に、現実に、人間に向き合う勇気が無かっただけなんだ シェルターで震えている奴ら、お前らは5分前までの俺と同じだ。俺は変わるんだ。俺はもう逃げない。 「俺が、地球を救ってやる」 地球滅亡の時、確かにタカヒロは笑っていた。 そして、目が覚める。 散らかった部屋のノートPCの画面にはラース・フォン・トリアーの映画が流れていた。 そう全て夢だったのだ。 だが、タカヒロの手にはバットが握られていた。熱く滾り、脈打つ自分自身の太くて硬いバット。タカヒロは泣いた。5年間のEDが治ったのだ。 コンコンとドアをノックする音が聞こえる。齢60を超えた母親が「御飯よ」と言った。 いつもなら「うるせぇ」などと怒鳴り邪険に扱うタカヒロであったが、夢から覚めた彼は違った。 自らのバットを握りしめ、泣きながらこう言ったのだ。 「母さん、俺今日からハローワークに行くよ」
その熱く滾る硬い棒を ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1084.5
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-02-18
コメント日時 2017-02-28
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
作者は「メランコリア」をはじめとするトリアー監督のファンなんですね。私の世代だと、こういう人類滅亡ネタでは「渚にて」の他に「世界大戦争」などが記憶に残ります。フランキー堺の演じる父ちゃんの悲哀が今なら100%理解できるのですが、そんなことはどうでもいい話かも知れません。夢オチはちょっとありきたりな感じではありますが、ここまでストーリーを練り上げる力は大したものです。 オチの部分で主人公が自らのバットを握りしめているシーンは、大藪春彦のファンならおなじみと言えるパターンであります。若くて健全な男子なら、一度や二度はこういう恥ずかしい目覚めを経験したことがあるはずです。このカシオミニを賭けてもいい。 迫り来る惑星をバットで迎撃するところなどは地球防衛バットとか「おそ松さん」の最終話を連想させるナンセンスさですが、私はタカヒロのことを笑う気にはなれません。この詩におけるタカヒロには、青森最後の詩人ひろやーの「新町」の主人公に通じるものがあるからです。タカヒロは地球を救うことはできませんでしたが、自分自身を救うきっかけを得ることができました。それだけで十分ではありませんか。
0まりもさんが、天才詩人作品『藝術としての詩』のコメントにて、 「詩的な思惟」「詩的な発想」「詩想/思想」をどうしても探してしまう、という趣旨のコメントをされているのを読んで、その通りだなあと思う。初登場:田中ジョバンニさんの『その熱く滾る硬い棒を』についても、読者の多くは同じ第一印象ではないかと思う。これは、詩なのだろうかと。 先に、天才詩人『藝術としての詩』へのコメントでも述べさせてもらったが、スタイルを様式と訳すことは、詩へは当てはまらない。スタイルに宿るエッセンスを汲み上げること。それこそが、詩作品への優れた批評だと思う。 本質は一つというクイズの答え探しのロジックではなくて、魔法があるということを感得しなければ、読者にとって詩情は永遠に来ない。田中ジョバンニさんは言葉を道具として使い『その熱く滾る硬い棒を』に魔法をかけている。 そんな、あんた、どこにそれが書かれてるのん?と突っ込まれると困る。自分で習得してみてください。超能力を。
0書こうか書くまいかが気になったが、書きたくて仕方がなかったので、書かせていただきたい。 でも、私が思う感想なので、あまり重く受け取らずにいてほしい。 この作品はショートショートと詩の間にありながらも、読者の心に射止めることはさすがの技であり、私もそんな技に引き込まれた一員でもある。私はこの作品が好きだからあえて一つ言わせてもらいたい。 私の批評はこの詩のスタイルで詩集を綴ると読者からショートショートと思い込んでしまう可能性が高いことである。 ショートショートであるならばこの作品の評価は低く、詩であるならば評価は高い。 なぜならば、ショートショートは面白い作品であり過程はどうでもよく、詩は言葉を巧みに操り過程を楽しむものだと思っているからだ。ショートショートは設定を重視、詩は物語の過程を重視している。 つまり、この作品は「ショートショートではない!詩なのだ!」という部分が欲しい。 ショートショートのようだが詩であり、ショートショートではないという境界を独自で考え、読者にそのことを伝えてほしいと私は思う。 おそらく、文章の配置、人物の名前、などの詩的インパクトが弱いのが原因なのではないかと考える。 これは私がジョバンニさんのような技を持っていない嫉妬かもしれない。 でも、この作品に出合えたことや、こういうストイックな経験を得ることができたこの機会は感謝します。
0皆様コメント有難う御座います。 本作品は「ポエムコア」といジャンルに強烈に影響を受けた、パフォーマンス用の作品でした。 詩なのか小説なのか、はたまた戯曲なのか書いている自分でも分からないまま(敢えてそうしたという所もあります)作り上げましたが、客観的な意見を頂けて嬉しい限りです。このような作品を本サイトに投稿する事が適切か悩みましたが、いつか皆様の前でパフォーマンスを披露出来ればなと思う次第です。
0はじめまして。 ポエムコア、私も気になっています。もともとWEGとか好きなので、WEGのトラックに載ったBOOLの朗読が異様で、なんか綺麗ですよね。 東日本大震災のとき、津波が迫るなかでひきこもりから卒業できた人とそのまま座して呑まれた人がいたという記事を読みましたが、拝読させていただいてそれを思い出しました。面白かったです。
0田中ジョヴァンニ氏へ わたしはショート・ショートとして読んだが、枝葉が多いわりには情景や人間というものが乏しいようにおもう。主人公も生身の人間にはおもえない。ただ作者がおもしろがって弄んでいるひとのようなものに過ぎないのではないか。そのために都合よく用意されたストーリー、プロットにわたしは喝采は送れない。
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