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僕たちが頑張ると云うこと
たとえ朝を迎える途中であっても 思い浮かべる夢の黄昏が とても大切な備忘録でもあるならば 僕たちには健気な幸せが横たわるだろう 人生にある僕たちの突端ですら そっと鮮やかな色彩のある 遠い情熱でもあるだろう 小さな群集として 四つ葉のクローバーが 佇む草原を前に 何かを忘れ去られても 取り戻す永い記憶に 彼女によって覚えられていた すでに薄命の母が届けた花瓶とは そう妻がいつも話す思春期の寂寞のこと いつの間に少し疲れても休みを取りながら 僕たちは小さな花束を 傾けるのだろう ちょうど僕たちが共に 強く生きることによってのみ 抱きしめることができる 残された命の切実さとして 僕たちは契約の言葉を 運ぶことができるのだろう 幾筋もの涙が流れていた すでに遠い昔にも感じる頬の軌跡 きっとまだ妻の瞳に沈む奥底には まだ眠ったままの瞬きがある どれぐらい先まで 未来を描き込める 想い出があるのだろうか ひたむきな汗による労いですら もはやそのままにはできない 僕たちは誰しもの誕生を祝うために 頑張るのだろう 太陽も月も まるで仕事みたいに 巡り続ける輪廻には 草原にある記憶のひかりと 花冠にある陰影のくらやみに きっと身近な幸せを見つけるのだから ただそれだけで微かな時間としても 単純でもある熱意をひとつずつだけ ただそれだけでささやかな空間としても 自然でもある努力をひとつずつだけ 颯爽として準備するとしたら 僕たちは幸せをもとめて 頑張るのだろう おそらく 頑張ることの意味には 生きることの重さがあり 命を携える記しがある 僕たちは時を刻みながら 頑張るのだろう 暮れない夜明け前を待ちながら 薄命でもあった 彼女の母が残した面影が とても哀しいけれど 記憶を抱きしめる 永い髪に花冠をかぶせる 妻の静かな夜空には 僕たちは寂寞を満たす 彼方の想いを見つけるのだろう
僕たちが頑張ると云うこと ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 919.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-08-15
コメント日時 2017-08-25
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
お盆ですが妻の母に祈りを捧げます。
0ひとつひとつの連が、とても息が長い。根を詰めて、丁寧に、一定の速度で(ピンと糸を張りつめたような緊張感を持った感じで)綴られているように思いました。〈大切な備忘録〉とか〈健気な幸せ〉という時の「大切な」とか、「健気な」という一般的な形容の、その様態を知りたい、という思いもあります。 〈小さな群集として/四つ葉のクローバーが/佇む草原〉ユニークな表現ですね。群衆として、など特に。 〈すでに薄命の母が届けた花瓶とは/そう妻がいつも話す思春期の寂寞のこと〉奥様の思春期の〈寂寞〉に、〈薄明の母〉が花瓶を届ける。奥様によって思い出されたエピソード、とても気になります。こうした具体的な部分を、もっと展開して重ねていくような手法もあるのかもしれない、と感じました。 早くに亡くなられたお母様の記憶が、奥様の中に保たれ続ける、ということ。人生の「夜」の中を歩みながら、明るい希望の朝、を待つような、そんな人生の途上であったとしても、その道行きを照らしてくれる、仄かな明りとして、その思い出が輝き続けるということ。その思い出の中の〈母〉に花冠の為の花を摘む・・・あるいは、人生の折々にみつける四葉のクローバー(ささやかな幸せ)それが実は群生しているところがあるのかもしれない。そこでクローバーを摘んで花冠を作る、のかもしれない(そこまで想像したら、勝手な読みが勝り過ぎかもしれませんが) ひとりの人の「夢の黄昏」が、次の人に受け継がれていく。そんな光の連鎖を思いました。
0こんにちは。 丁寧な講評をありがとうございます。 四つ葉のクローバーの草原などは、これからの目標でもあります。ここにある草原で花冠を、妻に作ってあげることが夢の黄昏でもあるわけですが、今、現時点で、表現活動を広げていく機会を探っている次第です。地元近くにある社会資源にアプローチをとっていますが、まだこれからの具体的なスタンスをどう取るのかそれを形にしていくところでもあり、大事な時期とも思っています。詩作に関して活動をより深くしていくことも、なお前向きに現実的に考えようとしています。そのための策を講じておりますが、キチンとした形で、妻には伝えたいのです。そんな想いで書きました。「光の連鎖」という言葉で締められた、素敵な講評を胸のなかにも妻にもわかる形でしまって置きたいなと思いました。
0音読して、心地よい。これは、好みの問題ではあるけれども、私はどちらかと云えば、詩は朗読したい方なので、音読に相応しい作品の方が好き。音読して読者である私の身体を通して、再び、出てくる物語、実は、テクスト上に描かれている物語とは明らかに違うのだ。これは、朗読したことがある人なら意味不明には思わないと思う。今作「僕たちが頑張ると云うこと 」で語られる妻との距離、義母との距離、その距離は私のフィルターを通過した後には、私の妻と義母との距離になっている。物語がレイヤー化されるような。もしかしたら、そのレイヤー化された距離と物語は作者が意図する詩情とは違うかもしれない。しかし、私の自論ではあるけれども、詩情・ポエジーとは作者と読者がいて成立するものだと思っている。だから、私のフィルターを通過して出てきた妻と義母は、「僕たちが頑張ると云うこと」という詩情として、少なくとも私のなかでは成立する。
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