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論破キーボード
秋葉原のビルとビルの間、昼間なのに薄暗く狭い通路を抜けた先にあるPCジャンクショップが好きだ。若い頃は買ってきたPCにCPUを増設したり、果てには一からPCを組み立ててしまうほどに熱中した頃もあった。中年に差し掛かった辺りで組み立てはやらなくなってしまったが、暇があればついついこの店に立ち寄ってしまう性がある。 ゴミゴミして息苦しい店内をぶらついていた時、見たこともない商品に目が止まった。AP_X219C6Bという聞いたことも無い型番のついたキーボードで、値札には非常に小さな文字で《論破キーボード》と書かれてあった。ジャンク品らしくキーの文字列のプリントは所々掠れており、ヤニが染み付いたであろう汚れが付着していた。 * ふと気が付くと、私は自前のデスクトップPCに件のキーボードを繋ぎ合わせる作業をしていた。一体いつ、どの様な流れや思考の下でコレを購入し自宅まで戻ったのか、何一つ記憶はない。普段は所定の場所にきちんと置いている鞄や、普段であれば必ず開封した後ゴミ箱に捨てるPCショップの袋が雑に散乱していた。財布の中身を確認してみたが、お札どころか硬貨ですらひとつも減っている様子は無かった。 私は早速、論破キーボードとやらを試してみた。見た目にはどう考えても普通のキーボードで、WordやExcelで文章を打ち込む分には何の問題もない。そもそも論破キーボードとは何なのだろうか?冷静に考えてみると、論破キーボードという名前のついたただのキーボードを購入(購入した記憶も、金銭を支払った形跡もないが)したとしか考えられないが、ともかく試してみる他あるまいという妙な好奇心だけが精神を燃焼させている。 * さしあたり、Twitterで流れてきた「初代ファイナルファンタジーはマジで神ゲーやで」というツイートにリプライを送ろうとした。するとどうだろう、己の思考とは無関係に指が勝手にキーボードを叩き、文章が打ち込まれていくのだ。《ファミコンのファイナルファンタジーはゲームバランスが歪であり、氷の洞窟を初めとした上級者ですら手を焼く高難度のダンジョンや敵キャラクターが数多くある。またジョブバランスもお粗末極まりなく、当時雑誌などで紹介されデフォルトパーティであった戦士、シーフ、白魔術師、黒魔術師ではまず間違いなく苦戦を強いられる。現代のようにインターネットで情報を共有出来るなら兎も角、基本的にファミ通などの雑誌しか情報源のない、そして検証する知恵を持つ者も少ない小中学生を意識して作られたゲームとは考えられない。何をもって神ゲーと称するのか、きちんと説明して頂きたい。》という、複数リプライ分の文章が完成したので即座に送信した。私はファイナルファンタジーをプレイしたこともないし、パソコンゲームには熱中したもののテレビゲームには特段の興味を持たなかった類の人間なのだが、明らかに説得力のある文章だという事は察しがついた。すると複数のユーザーから ①マジレスきも ②何コイツwwww ③初代ファイナルファンタジーが神ゲーじゃなかったら現在まで脈々と続くシリーズになってないんやで無知 などの返信が来たので、まず①と②にはまとめて 《マジレスがきもいと仰っているが、本ツイートは鍵アカウントではなく公に公開されたツイートである。公であるということは別の見解を持つ者も一定数いる事を想定した上で発言すべきであり、仲間内で呟きを共有したいだけなら鍵を掛けて仲間のみが見られるようにすればいいだけの話である。公に発信するという事は別の見解を持つ者からの反論を許容すべきであり、それが公に公開する者の最低限の礼儀であろう。それを分からないのなら痴呆であるし、わかった上で私にこの様なリプライを送るのであれば、それこそ君の方がきもいのではなかろうかね。》 と指が返信を勝手に打ち込み、③へは別に 《そもそも初代ファイナルファンタジーがそれなりに売れた要因としては、当時Appleにいた天才プログラマー『ナーシャ・ジベリ』氏の雇用に成功したこと、そして最も大きい点として、ほぼ同時期に発売予定であった怪物ソフト、ドラゴンクエスト3の発売が延期になったことが挙げられる。ドラゴンクエスト3が延期になったからこそ、それが発売されるまでの間に一本RPGソフトを遊びたいという特殊な需要が生まれ、初代ファイナルファンタジーがそれなりに売上を出した経緯がある。つまり初代ファイナルファンタジーが脈々と続いたのは、ジベリ氏のプログラミング技術の賜物であることも否定はしないが、リアルラックに依存するところも大きい。もしドラゴンクエスト3が予定通り発売されていれば、当時経営が行き詰まっていたスクウェアはファイナルファンタジーがさっぱり売れず、ゲーム業界から撤退していたことはほぼ間違いない。つまるところ、ソフトの出来そのものは神ゲーと呼ぶには粗末に過ぎるところがあり、現代まで、それこそ15作もシリーズが続いているからといって初代の評価を底上げする論旨は間違っているとしか考えられない。》 と指が軽やかに動いて文章が打ち込まれた。はっきり言ってナーシャ何とかという人物なぞ聞いたこともないし、ファイナルファンタジーの歴史はおろか販売会社がスクウェアという名前であったことすら全く知らなかったが、ともかく非常に論理的かつ的確である事は理解出来た。 ツイート主やリプライを送り付けてきた計4名が総じてブロックをして来たので、スクショを撮った上で論破キーボードに文章を任せた。 《ファイナルファンタジーが神ゲーである事に違和を感じ、リプライを送ったのだが、返信が来ることなくブロックされた。私は、ファイナルファンタジーが神ゲーでないということを強要したいからこのツイートを打ち込んでいる訳では無い。公に公開した発言に何の責任も持たず、批判が来るやいなや議論をブロックするという行為を大変遺憾に思う。自らの発言に責任を持つのであればこの様な行為に至る事など考えられず、批判を許容する考え方を持つ者がこれ程までに少ないという事を残念に思う。》 と勝手に打ち込んだ。正直ブロックされた事には腹が立っていたので、論破キーボードの効力で論理的にやり返した事で胸がすっとした。するとこのツイートが想像以上にバズり、いいねこそ少なかったものの数多くのリツイートとリプライが送信された。リプライを送信された後直ぐに返信するとそれ以降リプライが中々送られず、論破出来ないと思ったので、ある程度溜め込んでから論破キーボードに指を近づけた。 ④ドラゴンクエスト3もそんな大したことねーだろw に対して、《ドラゴンクエスト3は今まで子供の玩具として見られていたファミコン及びテレビゲームというジャンルを大人から子供まで楽しむ、まさにファミリーで遊ぶコンピュータへと国民の意識を一転させた社会的意義のあるソフトであり、ゲーム業界はおろか日本経済を語る上でも重要だ。ゲームそのものの完成度もファイナルファンタジーとは比べ物にならず、Wizardryのパーティ編成を取り入れた自由度の高いシステムやシナリオ、ファミコンとは思えないボリュームは日本中で絶賛されている。その事実を知っていて、ドラゴンクエスト3を大した事がないというのか、今一度意見をお伺いしたい。》と指が返信した。 ⑤海外ではドラゴンクエストよりファイナルファンタジーなんだよなぁ() というリプライに対して《ドラゴンクエストシリーズは確かに海外では相対的に評価が低いが、ここでは初代ファイナルファンタジーについての話をしているのであり、論点がズレている。論点がズレている事をわかった上で罵倒をしたいだけとしか感受出来ないのだが、もう一度詳しくお聞かせ願いたい》と指が返信した。 ⑥何やねんこのクソリプおじさんwwww に対して、《私は少なくとも理由を明確にして批判をしており、SNSという文章を発信する場所として適当な行いをしていると認識している。人を批判するのであればきちんと背景を明確にして話すのが誠実であるのだが、貴殿の送ってきたこの文章は批判ではなく明らかに中傷或いは罵倒である。誹謗中傷は法律で厳格に禁止されており、昨今のSNS情勢で其方の法律は更に厳しくなる事が容易に想定される。つまり明確に法律違反を君はしているわけだが、きちんとまともな議論を交わそうという気概はないのかね?》と指が返信した。返信したユーザーの殆どは即座にブロックをしてくるか、何の返信もせずに勝手気ままなツイートを連打するか、吐き捨てるように罵倒をして立ち去っていくかの凡そ3択であった。つまるところ、論破キーボードを使って議論に負けた事は一度たりとも無く、インターネットにおいて論破キーボードがあれば誰も太刀打ちが出来ない事をわかり始めた。戦国時代であれば剣術や権謀に優れた者が時代の覇者となり、それら能力こそが社会の勝ち組となる大きな要素であったのだが、現代において論破とはそれ即ち、どの様な兵器よりも現実的に最強の能力であるということが分かってきたのである。 ⑦何のための批判なんや……w の返信として《》……??? 論破キーボードに指を近づけても全く動作をしなくなり、それっきり⑦への返信を何度行おうとしても指が私の脳の命令に従ってきちんと動くのみとなった。どうやら故障したらしいので、今度秋葉原のPCショップに文句をつけに行かなければならない。今まで数多くのユーザーを論破しまくってきたので今なら私でも論破は可能だと感じ文章を打ち込み始めたが、一向に名文が浮かんでこないので「黙れカス」とだけ書いて返信をしておいた。奴が烈火の如く怒ってリプライを飛ばしてくることは想像に難くないが、故障が直った後此奴を徹底的に論破する想像をして胸が踊った。そういった想像を端緒として、他に様々ある本ツイートへのリプライや、見知らぬユーザーの何でもないツイートに徹底的に罵倒酷評をして回った。知りもしない奴らにバカだのカスだの言うことは存外楽しく、論破キーボードが直った後此奴らを叩きのめせる事を思うとより多くの奴らと絡んで後々の楽しみを増やしておこうと考えた。しかしどのユーザーがやりやがったのかは知る由もないが、アカウントが報告され気が付けば凍結の憂き目にあった。これまでの苦労が水の泡になった事に怒り心頭とあいなったが、ともあれアカウントなど新しく作り直せばいい。明日、開店に合わせてPCショップへ駆け込んで交換か修理をしてもらおう。また多くの人を軒並み論破出来ると思うと、楽しみで楽しみで今日は眠れそうにない。
論破キーボード ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1675.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 2
作成日時 2020-09-06
コメント日時 2020-09-09
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合ポイント | 2 | 2 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 2 | 2 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
読む方の忍耐力を試しているのか、と思わずにはいられない。現代の風俗やインターネット、ITなどが前提となる世界について意識的に書いているのは分かる。しかし、これをもう一度読み直してほしい。垂れ流しの言葉では読む方も弛緩した意識で読んでしまう。それがすごく残念だ。
0投稿された日にすぐ拝読して、物語全体よりもむしろ、詩の語り手の思考とは関係なく打ち込まれるという初代ファイナルファンタジー論のほうに感心しました(この手のRPGといえば私はずっと遅れてドラクエIIIとファイナルファンタジーVIをプレイしただけなので、知らないことを知れる楽しみから単純に「ほうほう」と読んでいました)。ただ、たぶん作品を読むうえで大切なのは「⑦何のための批判なんや……w」を転換点とする劇的展開のほうなのですけれども、私はまだこれを含めた全体が構成する寓喩をどうも腑に落とし込むことができていません。「論破キーボード」はこれを境に機能しなくなるので、このコメントがそれにとって論理を成立させることができなくなる難題らしきものを突きつけたのだろう、とは私も推察できるのですけれど、私は「批判のための批判(自律的批判)なんじゃね?」という感想をすぐに抱いてしまったので、かえって語り手の思考とは関係ない「論破キーボード」の自律性がどうしてここで失われるのかがよくわからなくなってしまいました。これを汲み取れないと理解したことにはならないのだと思うので、もう少し考えてみたいところです。
0すでにレッドカードが発出されている状況ではありますが、ご返信をしたいと存じます。 投稿前は気にならなかったのですが、投稿後確認した所改行や構成、余分な文章が点在していると考えていたところ、アリハラさんの仰る通りと思います。文章校正納涼といいますか、問題のある文章を問題と感じる直感にかけていたと考えていまして、少なくとも、文章を綴る能力を見直さなければ、と考える次第でございます。率直な評に感謝申し上げます。
0ありがとうございます。何のための批判なのか、とおいうところにつきましては、実際のところを私の所有する論破キーボードに委ねますと、 ≪何のための批判かという点については本ツイートにて記述されているはずであり、公に公開された論にたいする反論を許容する姿勢の見られない人達に対する精神構造への批判である。もしそれより大元の私の批判へについて仰っているなら、それもまた私は丁寧に記述しているはずであり、つまるところ、公に公開された言説に対しての別意見を内包していたため、それを私なりに表現したにすぎない。公に言説を発信するのであれば、ある程度裏側の立場にある人への配慮、またはそういった立場からの異議質問へ開かれているべきであり、それこそ真っ当な言説を発信するものの使命であることは最早言うまでもないことであろう。この程度の常識をぐだぐだと説明しなければならない点、貴殿のポテンシャルの低さを非常に理解するところであるが、貴殿がわざわざ批判をしてきたのであるから、当然に私へきちんと返レスにてご説明頂けるのだろうね?≫ こんな感じになるかと思います。 とはいえ、論破キーボードの語っていることが正しいとは、当然ながらあまり思っていません。 昔「はい論破!」という言葉がけっこう流行り、クラスメイトがしきりに使用していたことを覚えています。私はこの言葉が大嫌いでありまして、あの言葉が流行ったことで少なくとも周囲では、議論とは相手の論を打破するためのものでしかない、という誤解が蔓延してしまったということを、思い出したりしながら本文を書きました。
1テレビゲーム、特にコンピュータゲーム黎明期の事情にはある程度は勉強をしていまして、作品に落とし込んだ形となります。一応、それらに何の興味もない視点を意識し、主人公はゲーム事情には無知であるという書き方をしましたが、恐らく成功はしていないであろうことを反省しています。 明らかに寓意のような作品を作ってしまったところ、ご指摘の通りと思います。 他方、「批判のための批判」を、私は特段悪いとは思わない立場です。例えば、無性にウザかったり、ハァ?と思ったりすることに対して批判を加えるのは至極当然と思いますし、それにまで何らかの発展性を加えないといけないのは変な感じがします。 ただ、本作で書き綴っている批判の為の批判がいいか悪いかという単純な話をしますと、もうこれは誰がどう見ても明らかに悪いことであろうと思います。つまり、論を重ねることによって、我々に何ができるのだろうか、或いは、何が得られるのであろうか、ということを考えます。テレビゲームに別に関心のない人格の持ち主が、テレビゲームについて論を展開したところで議論の場は冷え切ってしまうことと思います。議論とは同じ関心を持つ、違う立場の人間同士が、お互いの考えを熱くぶつけ合うものであってほしいですし、そういった舞台は、のちに読み返しても面白く感じるものなのだと考えています。後学の精神を逸した状態での議論は、口喧嘩以下のなにがしかでしかない、そういったことを考えたりしています。 ただ、私も怒りに任せて口喧嘩以下のしょうもないことを同じ運営の皆様に口走って、あとで謝る、的な失敗を繰り返していますので、私もまだまだ至らなさすぎることを非常に感じます。
1ふじりゅうさん、テクストはどんなものであろうとも何らかの価値をもつ可能性があると私は考えています(遺跡の壁に書かれた権力者への罵詈雑言ですら、千年後に言語学的研究の一次資料となり得ます)。ゆえに「批判のための批判」一般もまた、それどころかふじりゅうさんが「誰がどう見ても明らかに悪いことであろう」とおっしゃるこの「本作で書き綴っている批判の為の批判」もまた、価値判断ばかりか善悪判断も単に論争当事者とその同時代読者だけに独占されるものではないと私は考えています(実際、私は「論破キーボード」なるものが紡ぎ出す批判以外の目的を持たない自律的批判を読んでいても、とくに初代ファイナルファンタジー論のあたりで無知な私は単純素朴に「へえそうなんだ、知らなかったなあ」と楽しみながら読んでいたわけです)。それより、前回も申し上げたように、私が初読から首をかしげて自問しているのは、詩の語り手の思考とは関係なく批判を展開する「論破キーボード」という自律型批判機械が「何のための批判なんや……w」というコメントを受け取ったときに機能停止してしまうのはなぜなのかということです。言い換えれば、なぜ自律型批判機械はそのコメントに「批判のための批判である」または「批判以外の目的を持たない批判である」と答えることができなかったのでしょうか。本作における自律型批判機械はもっぱら他者に向いていて、自己を批判するようにプログラムされていないために、自己の自律性に気づいていないからなのでしょうか(もしも自己にも批判を向けられるなら、この自律型批判機械は自己がつけた他者へのコメントにも批判を展開しうるはずなのですが、そのような描写はないためこの推測が生まれます)。それとも、何らかの意図を持つ製作者によりそう答えることを禁じられているからなのでしょうか。これに関してはまだ考え込んでいるところです。
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