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鬼ごっこ
絶望はいつも東から シルクハットを被って現れる 初恋のタイピン見せびらかして 何度目かの世界の終わりと 僕らの影を踏む神様 死体に群がっていたハゲワシも 過去に向かって飛び立って まるで空の切れ端が 君の瞳に引っ掛かったみたいに きらきら言う真昼の星々 原っぱに残された骨に 一つ残らず名前が付いていて それぞれが悲しいって泣くんだよ 眠れない地獄に堕ちた 慰み物の臥所に現れては砕け散る 夢のある話をしようか ピンクの象が女の子を拐って 一生幸せにする様なさ 下らなくてもいいよ 君の背が今なら見える 一生追い越せない事も分かる
鬼ごっこ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1202.7
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 2
作成日時 2020-08-17
コメント日時 2020-08-20
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 2 | 2 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 2 | 2 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
全体が語り手の生から発されるひとつの長い切実な感嘆符のようだという印象を私は抱きました。語り手は、なぜ自分がこれほどまでに苦しまなければならないのかとはっきり問うことをもうやめていながら、それでいて苦しみそのものはやはり厳しく受け入れがたいので、忍耐のすきまから言葉を漏らし、それを念入りに並べているかのようです。 そのような印象をなぜ抱いたかというと、この構成が語り手の一日の繰り返しを表現しているかのように見えるからです。第一連は「東から」という語句によって示唆されているように朝、第二連は「真昼」と明示されているように昼、第三連は「眠れない地獄」にほのめかされるように夕方から夜にかけて、そして第四連は薬剤投与による夢の中をそれぞれ表していると解釈できます。特徴としては、「東から」「現れる」のが「絶望」であったり、見えないはずの「真昼の星々」の音が聴こえていたり、語り手自身が(人間扱いされていない)「慰み物」として「眠れない地獄」に「堕ち」たりしているように、希望の象徴や知覚できないはずのものやあるべきものがこの第一から三連においてはすべて逆転しており、それが語り手の苦痛に満ちた生を如実に表現しています。 中でも私にとって最も厳しさを極めるのは第三連「原っぱに残された骨に/一つ残らず名前が付いていて/それぞれが悲しいって泣くんだよ」です。何やら大量死の痕跡がそこにはあるようなのですけれども、ここでの語り手の感じ方が非常に過酷なのです。一般論として、大量死がただ数としてのみ把握されているうちはふつうあまり実感が湧かないものであり、単に比較によって規模の大小が把握される程度でしょう。しかし死者の一人ひとりにそれぞれ異なる名前があり、異なる顔があり、異なる生活があったことをひとたび本当に知ったなら、大量死は大変な重みをもって実感されるでしょう。この語り手はまさに、ふつうは見過ごされる骨の一つひとつの名前を知ってしまっていて、その泣き声を聴いているのです。「眠れない地獄に堕ち」てしまう理由も分かろうというものでしょう。 繰り返される一日の終わりに、語り手は第四連であきらめを抱きながら「夢のある話」をしますが、酩酊や幻覚を表す「ピンクの象」を持ち出してくる時点でそれも完全に幸福なものではないと私は感じます。それでもこの一連だけが他の連に比べて一行長いことは、この詩をそのように構成しようとした語り手自身が「東から」の「絶望」を避けて少しでも長く夢にとどまろうとすることの表れなのかもしれません。
2頭のおかしい人という言葉が差別なら、統合失調症と言い換えれば配慮なのか。それは詰まる所同じ意味で使われているだけではないか。そんな言葉の本質に戸惑う事暫し、今回は好きな事をたらふく書き続けるのみで、自分自身で感想は把握出来ませんでした。読んで下さった方の数だけ、解釈があって欲しい。コメントを有り難うございます。ちょっと何言ってるか分からない感じのレスになってしまいましたが、幸せです。
0言葉のサラダボウルから秩序を見出だす事は難しく、それでも尚読み取ろうと試み理路整然と理解して下さる事に感謝します。私にとってはこの感想の方がより詩らしいと思う位です。人の心を置き去りに形あるもの皆絶望でぶち壊そうとしているなんて、そんなのは結局いずれ自己破綻に陥るだけと分かっていながら、私の書くものにはいつも誰かの不幸が混じってしまっていけない。悲しいことや辛いことは笑顔で隠さなければならない、とお叱りを受けないことにも安堵しました。有り難うございます。 天気が変わるように、全ては流れていくのでしょう。行く末が明るくても暗くても、死ぬまでの間はそれなりに暮らしていこうと思います。
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