ヒーローいないこの世界、器用な男が一人だけ、すたすたすたと向かいます、でかいフクロウほおと啼き、大きなお口でぱっくりと、くわえてみたけど、輝くばかり、一向英雄産まれません、はんけち一枚取り出して、映画を一本見終わって、帰り間際には投げ銭さ、ほほいほいほいほほいほい。
爛れた大地の片隅で、
墓掘り名人見つけたよ、ほるだけ掘ってそれでいい。一匹かえるがやってきて、人の骨だけ置いてった、どうぞよろしくこれからも、一礼したのちにやりと笑う、穴ぼこばかりのこの土地に、足の置き場はありますか?いえいえいえいえ、ありません、あなたもすでに片足を、契約済みとは知りません?
爛れた大地の片隅で、
挨拶しようよ今日も明日、おはようおはようおはようと、お天道様のおかげだよ、夢見る男の象徴化、これが日本よよろしくね、お天道様はいずこです?夜の寝床でお待ちです、いつも帰らぬ人を待ち、一人涙の女の子、どうもこじれたこの頃に、一石投げるのお待ちです、わたくしいつでも待ってます、地下の寝床で待ってます。
爛れた大地の片隅で、
月夜で一服疲れたと、料理に洗濯子の世話と、井戸端会議に飽き飽きよ、今日も今日とて美しい、あの方のもので安らぐと、笑いころげてこともなげ、わたくしすやすや安らぐと、どうもあれだと首傾げ、おととい来やがれ石投げる、老いたその顔見えたなら、美しかったあの頃を、思い出しては泣いている。
爛れた大地の片隅で。
作品データ
コメント数 : 7
P V 数 : 1759.4
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 4
作成日時 2020-08-17
コメント日時 2020-09-24
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 1 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 0 |
総合ポイント | 4 | 0 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 0.5 | 0.5 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0.5 | 0.5 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0.5 | 0.5 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0.5 | 0.5 |
総合 | 2 | 2 |
閲覧指数:1759.4
2024/11/21 19時42分40秒現在
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沙一さん コメントありがとうございます。なるほど!完全に自分の中では散文風に書くしかないと思って書いた、ご指摘いただいているように実験的な詩の一つなのですが、改行して書きなおしてみたところ、だいぶ、印象が変わりました!いや、面白いですね。大変助かりました。少しこの線の詩については改行を考えながら書きたいと思います。ありがとうございます!
0斬新で個性的で面白いです。羅生門と言う映画を映像化ではなく、文章化したらこんな感じかなと思いました。
0コメント遅れたのを悔やむところなのですが、上手いです。 基本的に七五調のリズムで子気味よく展開されますが、一部そのリズムが崩されている箇所があり、それも明示的に崩しているとしか考えられない箇所であり、丁寧に作品を組み立てられていると思います。 >一礼したのちにやりと笑う とくにこの箇所ですが、「にやりと笑う」がリズム的に異質であります。異質であるがゆえに、笑い方、その歪な感じが伝わってくるのであり、単に「にやりと笑う」を普通の詩で記述したのでは表現できないニュアンスを伝達していると考えます。 >爛れた大地の片隅で が要所で記述されることで、舞台が印象づけられるとともに、他の詩句の軽快な感じとのギャップが効いています。作品の質としてはかなり高いように思われ、読みごたえもありました。
0戸ヶ崎朝子さん コメントありがとうございます。羅生門ですか!今度見てみます!
0ふじりゅうさん コメントありがとうございます。ベースとして七五調の中に、異物が入ってくるイメージでしょうか、個人的にはやはり、音の美しさとしては七五調に勝てないと思っていまして、それを自由詩の中でどのように拡大していけばよいのだろう、と時折思います。「にやりと笑う」というのは気に入っているフレーズで映像的に非人間的な、奇怪な笑みが浮かべばいいなといつも思っている一節です。 繰り返しも、まだまだ、難しいところです。どのように用いたら効果的になるか、深堀が必要なところです。
0コメントするのが難しい作品です。初読からしばらくあれこれ考えておりました。 沙一さんは散文の必然性という観点からこの詩が改行詩として公開されていたらどうだったかと問うておられるのですが、しかしこの詩の個性と可能性はこの形式に負うところが大きいのではないでしょうか。そもそも韻文定型を使用するなら、逆に改行の必然性が視覚的理由を除いて薄れるように思います。なぜなら韻文であれば改行なしで書かれていたとしても読んだだけで一単位(一句)の区切りが理解できるからです。実際そういう理由で西欧の古い写本に書かれた詩には改行がみられないものもあります。もっともそれは、詩が書かれたものとして黙読されることを前提にしていたからではなくて、それがメモとして朗詠者によって音として読まれるか歌われることを前提としていたからかもしれないのですが。 もっとも沙一さんが感じておられる読みにくさのようなものを私もまた感じたのですが、私の場合は沙一さんと異なって改行のせいではなく、読み込んで全体像を結ぶためのとっかかりを見つけられずにいるからです。私は普段、詩のなかのどこか際立って確かな手応えがある部分に注目しながらそれを解釈のための手がかりとし、そこから芋づるのように言葉を手繰り寄せていけば、全体像を自分なりにつかみとることができるのですけれども、今回はその確かな手がかりが私にまだ見えてきません。もっともそれは詩のせいではなく読者としての私の乏しい力量のせいです。ピンとくる言葉は随所にあるのです。例えば「ヒーローいないこの世界」と「フクロウ」は危機と知性の象徴と受け取ることもできるかもしれませんし、「夜の寝床」または「地下の寝床」で「いつも帰らぬ人」を「いつまでも待」つ「一人涙の女の子」はいくつかの物語を思い出させます。それでも分かったといえるほどには分からないので、この詩に興味を惹かれて繰り返し読むもののコメントをうまく書けずにおりました。もう少し考えてみるつもりです。 付記:ふじりゅうさんが破調について指摘していらっしゃいますが、私は近代的リズム感にかなり毒されているせいか七五をたいてい八八の枠組みの中で感じていて(つまり例えば七五は七音+一休符+五音+三休符と感じており、おおよその字余り字足らずも休符を増減または移動させることでこの枠を壊さずに対応できると考えていて)、ふじりゅうさんが「リズム的に異質」といわれた「一礼したのちにやりと笑う」のくだりも、私は八音+七音+一休符または八音+一休符+七音などとやはり八八の枠組みに収まったかたちで捉えてしまうので、「異質」とは感じていませんでした。このリズム枠は私だけのものというよりはむしろ、おそらく西洋に倣った音楽教育のせいで現代の人びとの間に少なからず共有されているのではないでしょうか。
0原口昇平 さん コメントありがとうございます。返答遅れまして、すみません! リズムについては原口さんに分析されて、なるほど、と自省する部分でした。昔から七五調に変わる現代にあった音律はないものかと探していた部分ではあるのですが、あきらめにも近い感情で一旦棚上げにしている今というところです。あまり区分するのは好きではないのですが、西洋的な何かと日本的な何かを融合して新しい定型詩なのか、自由詩なのか、そのようなものを模索する毎日ではあります。 あまり、意識的に詩形をコントロールできるタイプではないので原口さんのように分析してもらえるととても助かります。 全体の詩の意味が判然としてないのは、僕自身のせいでもあって、まだ、詩にすべき物語が自分に見つかっていないということが原因にあります。アメリカの最初期のブルースをよく聞いていた時期に書いた詩で、この詩で確かなのはその影響を受けていることだと、僕自身としては思っています。ひと段落ごとにひとエピソードという感じでは書いていまして、3つ目と4つ目はある程度自分の中ではつながりのある話になっています。ただ、全体として一つのまとまりになっているかといえば、そうではない詩なので、その辺が個人的には課題です。(唯一あるとしたら、現代なのか、人間なのか分かりませんが、それに対する冷笑的な目線、というずいぶんに曖昧なものです。) 長いご指摘、とても助かりました。本当にありがとうございます。
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