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人生はゲームではない
郵便配達員が赤いバイクをとめてスタンドを蹴り下ろす あんな細い物が僕たちの平和を支えているのだ 僕は歩いているときこう発見して顔を思いっきり高く上げた 人が見れば青空を仰いでいるようで変だっただろう でも前傾姿勢では足が前に出にくいし 対面する信号を見ることもできない 僕の前方を父母が歩いている 人生には始まりがある でも終わりはない 愛には始まりがあり そして終わりはない 人生はゲームではない 以前この道に廃ビルがあった 表札に彫られた名称を幾度となく僕は見ていたが思い出せない ただその名称から何の仕事をするビルなのか全然想像できなかったことを覚えている いつ取り壊されるだろうかと思っていたが 今日久しぶりにこの道に来たらなくなっていた 狭からぬ跡地に多種多様の草花が色彩豊かに広く生えて美しかった ここにまたマンションか何かが建てられるのだろうと容易に考えられて悲しくなった この美しい草花たちはいずれまた僕の知らぬ間に取り除かれるだろう 僕の頭の中に瀑布の景色が見えてきた 流れてきて 落ちて 漂失してゆくあれこれ でもやがてはどこかに浮かび上がって現れる何か 僕は思う 個々人が抱えている人間の心ほど巨大な瀑布はないと それは人知れず様々な思いをのせて激しく流れ落ち続けている こんな孤独なものはないとも思う 僕の前方を父母が歩いている 人生はゲームではない 生き残ろうとして生きるものではない 誰にとっても父母あっての生の開始 郵便配達にミスはあっても勝敗はなくただ世界の平和を支えようとする意志がある 廃ビルや名もない草花に咎はない 瀑布はいつの間にか始動する心の中の永遠 人生には始まりがある でも終わりはない 愛には始まりがあり そして終わりはない
人生はゲームではない ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1486.2
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 7
作成日時 2020-08-12
コメント日時 2020-08-24
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 3 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 2 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 2 | 0 |
総合ポイント | 7 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1.5 | 1.5 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 3.5 | 3.5 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
とても印象的な作品でした。 人の歩行、始まりと終わりに対する記述、 ゆっくりと流れる物事や事象について、の 感覚、移動する感覚と、やはり時間の流れを感じます。 人と人は、産まれ生きて、 自他の分離を経験します。 人も、もしかしたら本来、自然の一部で、 草花や空のように。 けれども、そうした言葉でさえ 物事を意味によって分離してしまう。 愛には始まりがあり そして終わりはない 僕は未来へ向けた希望のような なにかを感じました。
1お読み下さりありがとうございます。 この詩は私の前作『東横線が多摩川を渡る』とは見た目が違い、また制作手法も異にしています。前作は歌を口ずさむようにすらすらと書いて推敲もせずに発表したものでしたが、今作は見た目からして内容的であり、また「計算せよ」と内なる声で唱えながら「書いた」或いは「作った」ものです。「計算」とは決して自分にうそをつくことではなく、読者にうそをつくことでもありません。完全に逆であり、私にとって「計算」とは最も自分に正直であるところを追求し(もちろん倫理的に問題があるかどうかも考えて)、それからそのところをどのようにすれば最もよく自然に他者に伝わるかを追求することです。当然のことのようですが……。 今作は内容的な面から言って量が大きく、また複雑であることが最初から明らかだったので「歌う」ことをやめて「計算」して「書く」ことにしました。しかし小説や評論のような散文にするには表現したいことの筋がちょっと繊細すぎ、また頭に思い浮かぶ言葉が文章としては結ばず、フレーズ的に点々としていたため、行分け詩の形をとらざるを得ませんでした。 可読性は高い方だと思います。 ryinxさんが受け取られた印象、とても美しくて、うれしいです。
1人生の始まりの絶対性。父母の存在。人生には終わりはないと言う断定は生命の連続見たいな発想を感じました。最初の郵便バイクのエピソードも印象的です。平和を支えている。巨大な瀑布。人間の心の広大さ。孤独の深さも伝わって来ました。
エイクピアさん、おはようございます。お読み下さりありがとうございます。 「生命の連続」、まさに私はそれを信じています。後に生まれた者は、必ず前に生まれた者のことを記憶し、心の中にその生を持ち続けます。 郵便配達のバイクの描写は、実際に目にしたことを書いたものです。私は言葉に飢えた時、書物を読むこともするのですが、外に飛び出して歩き回ることもします。いろいろな物事を見ます。そして言葉を受け取るのです。たぶんこういうことをしている方は多いと思います。 それにしても人間の心って抱え持つのが重いほどの瀑布のようなものです。 >でもやがてはどこかに浮かび上がって現れる何か 失われるものはなく、終わることはないという私の信念です。
0伊東静雄の『わがひとに与ふる哀歌』の「鶯」という詩は、先行する詩に対して「そうだ、(私の魂)といふことは言へない/その証拠を私は君に語らう」と、同意する形で書かれているのだ、ということを杉本という人がいっているようですが、 この詩について私は、「いいや、人生はゲームではない/その証拠」と、テーゼを否定する形で書かれているということを強く感じました。 滝の換喩は、あいかわらず、いいなあと思います。
0コメントありがとうございます。滝の換喩のところを読み汲まれていただけたようで良かったです。 今日、本屋に寄って、岩波文庫の『伊東静雄詩集』を立ち読みしてきました。「鶯」の部分だけです。実はこの本をずっと昔、図書館で借りたことがあるのです。一割も読まずに返却してしまったのですが、それはなぜだったかと考えると、なんかページの面がすべすべしている、引っ掛かる感じがない、ということだったと思います。良すぎる、或いは上手すぎるということにもなるかと思います。そしてこの感じは中原中也や萩原朔太郎からもやや受け取られるものなのです。または私が読者として低レベルだったのか……。 杉本という人とはこの本の編者の杉本秀太郎という人だと思われますが、この人の言説までは到達できていません。それにそれを解するには「先行する詩」を全部読まなければならないようです。 帰宅してAmazonで調べますと『わがひとに与ふる哀歌 Kindle版』というのがあって¥0なので、これを読み直そうと思います。最近、本をたくさん買いすぎてしまって……。 「人生はゲームではない」とタイトル付けしましたが、テーゼと言えるほどまでは意識していなかったです(テーゼとは、肯定的な命題のことでしょうか)。むしろ『無題』とでもしておけば良かったかもしれません。しかしながら書き始めてパソコンに保存する時にファイル名を衝動的に『人生はゲームではない』としたのも現実です。私の感性がこの世の中の雰囲気を感じ取って、それで付けたタイトルです。 この詩を書いた後、最近見知ったのですが、自分がゲームをしているその画面と自分の声とをYouTubeでライブ配信する人々がいて、その視聴者数もかなりのものであるようです。私が見たのは「フォートナイト」?というゲームだったかな。生き残ることが目的のゲームらしいです。ゲームと言えばたいていそうか……。
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