「いいか、仕事できる奴なんか腐るほどいるんだからな、転職なんて甘いこと考えるなよ」
死んだ伯父が僕にのこした言葉だ。思い出している。僕の眼前には土砂降りの雨。一人考えている。
「別に隠していたわけじゃないよ。僕は生まれつき口がかたくてね、言うのをすっかり忘れていたんだ。大事なことだったけどね」
口がかたいせいで、仕事でトラブルになったことがある。思い出している。僕の眼前には土砂降りの雨。一人考えている。
なんにも考えないのが一番いいけど、土砂降りの雨を前にして、こんなことが聞こえてくる。
記憶が聞こえてくるようなダイヤルを、僕は自然に回しているんだな。でもみんなそうだろう。記憶の中身が違うだけなんだ。
陰に干されている洗濯物のように、
僕は静かにしている。幸福でいたいからね。退くということも、大切だから、伯父のようにつましくあることが。
何々であることなど将来ないであろうし、
過去になかったであろうし、
現在にもないであろうと、
考えたいけど、
なんにも考えないことで、
本当に考えていることが、自然に考えられてゆくんだな。
いろいろ頭をよぎるものだ。振り払いたいけど、
不安、後悔、興奮、
こういったものの種になる言葉がやって来る。
「ああ、もうだめだわ」
母は言った。
僕は君の腐った足を見た。どういうことなのか半分だけ分かって、僕はうなだれた。
「しかたないじゃない」
遠い昔の日の朝のことだ。
あの日の夜、君は小さな残りの命をふりしぼって羽ばたいて、そしてこの世を去っていった。僕ら家族の全員が見守る前で。君は鳥だった、最期に最も鳥だった。
夜暗の中で、濡れた庭の土を掘って、君を埋めた。
「早く埋めなさい」
土をかけようとしない僕に母は言った。
命はきっと、夜に終わるのがふさわしい。朝も昼も、みんな忙しいからね。
僕もあの日は学校だった。学校へ行く時、玄関の鳥かごの隅に君がうずくまり続けているのを見た。それで母が君に触れて、君の足がもう動かないと分かったのだった。
僕はあの日、寄り道をして帰った。そんなに仲良しってわけでもないクラスメイトにゲームのソフトを貸してあげるついでにその子の家に誘われたんだ。灰色の糠雨の降る昼だった。ちなみにこの人は今もうこの世にいないらしいよ。
僕はなるべく早く切り上げて帰ったよ。君は生きていたね。家族が全員そろうのを待っていたんだね。えらかったね。
命はきっと、夜に終わるのがふさわしい。夜の闇はやさしくて、誰にでも公平だから。
君は幸せだったと思う。僕も君のような死に方をしたい。
思い出している。僕の眼前には土砂降りの雨。さっきより少し弱まったか。一人考えている。誰かに伝えることでもないと思う。僕は口がかたいしね。胸の中にある器がもう全部、あふれちゃっているんだな、誰かに何かをあげたり誰かから何かをもらうことができないような具合に。ずきずき痛むよ。でもみんなそうだろう。
雨が弱まってゆく。そして自ずから、家路が開くだろう。
膝下に、青葉が何枚か飛ばされてきて、つと速く、ばらばらに高く揚がって、また遠くへ飛ばされていった。
「ついておいでよ」
「いや、行かないよ」
作品データ
コメント数 : 2
P V 数 : 1185.5
お気に入り数: 1
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ポイント数 : 4
作成日時 2020-07-08
コメント日時 2020-07-28
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合ポイント | 4 | 4 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 4 | 4 |
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2024/11/21 23時37分35秒現在
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優しい語り口に、羽ばたいていった鳥を思う気持ちが全文をとおして伝わってきました。 余談ですが、私も幼いころに文鳥を飼っていました。物干しに鳥かごを吊るしていたのだと思います。学校から帰ってきたら鳥かごは地面に落ちており、鳥の姿はありませんでした。数日前に野良猫が雀を銜えていたことをとっさに思い出しました。真相は今も不明です。 >あの日の夜、君は小さな残りの命をふりしぼって羽ばたいて(…)君は鳥だった、最期に最も鳥だった。 >命はきっと、夜に終わるのがふさわしい。朝も昼も、みんな忙しいからね。 などが好きです。 また、鳥がうずくまっているのを見た日に寄り道をして帰ったのは、鳥の死を予感してあえて逃げたのか、幼さゆえに朝の出来事が鳥が死んでしまうかもしれないという考えに思い至らなかったために安易な誘いにのっただけなのか…そのあと「なるべく早く切り上げて帰った」ともあり幾通りかの解釈ができそうですね。とても興味深い部分だと思います。 >雨が弱まってゆく。… からの終わり方がとても美しいです…!飛んで行く青葉と「ついておいでよ」「いや、行かないよ」のやり取りも素朴というか素っ気ないところに主人公の精神的な成長を感じて、さわやかな気分になりました。
1お読み下さりありがとうございます。 この作は、はじめ、短歌の連作として作るつもりでしたが、詩の形になってしまいました。 死、静、こういうものを気分として書きました。でも人間の心というものはどうしたって動的なものですね。また、ものを言うということも動的ですし、死ぬということも動作の一種です。 伯父の言葉はちょっと激しいけれども、言っている中身は静かであれということです。その伯父はもう死んでいる。口がかたいことは静的であるけれども、仕事に荒波を起こしてしまった。そんなことを土砂降りの雨を前にして一人考えている「僕」。 静かにしていても、心は動くことをやめない。 少年時代に経験した、飼い鳥の死の看取り。その過程はダイナミックなものでした。 最後に「ついておいでよ」と聞こえたけれども「いや、行かないよ」と思う「僕」。「僕」は動かないで静かにとどまることを選びます。
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