緑の石橋
わたしは流水の音がどうにも好きらしい。波音、川の流れる音に出会うと、この時ばかりは耳の詰め物を外して聴き入ってしまう。身体に無理なく、すうっと染み入るのである。
気持ちの優れない時はしばしば、近所の沢に出かけて気分の転換を図る。そこには小さな石橋がかかっていて、いつも橋の中ほどから手すりに顎を乗せ、川面を覗き込む。落下防止のネットには苔がびっしりと生えていて、緑のカーテンに深く包(くる)まれている気分になる。季節がら桜の花びらが絶え間なく流れて行き、淀みに差し掛かるとピンクの歯車となりゆっくりと回りだす。桜の枝がどっしりと目の前まで伸びていて、満開の時期には間近で花を観察することができる。何でも触ってみる癖があり、ちょんちょんとつつき回していた頃が懐かしい。わたしなりの花見である。
ところがこの橋、道幅がとても狭い。車一台を通すのがやっとである。そのため、車がやってくる度にわたしは橋のたもとまで戻らなくてはならない。わりかし往来があるために何度も行ったり来たりを繰り返す。また、長いこと手すりにかじりついているからなのか、怪訝そうに顔を覗いていく人も少なくない。
でも良いのです。わたしはこの沢を愛している。だからふり返る暇がない。行ったり来たりは手間のうちには入らない。しかし、もし仮にこの場所を追われたとしても、その時は乙女椿を見に、これまたとっておきの場所に行けばよい。愛着はあれど執着はしない。これは難しいことであるが、常にこころに留め置きたいと思っていることである。
作品データ
コメント数 : 6
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ポイント数 : 3
作成日時 2020-06-10
コメント日時 2020-06-26
#現代詩
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#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 3 | 3 |
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前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
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2024/11/21 23時03分40秒現在
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>愛着はあれど執着はしない、これは難しいことであるが、常にこころに留め置きたいと思っていることである。 留まれば腐りを始める流水のようですし、一所不在を示唆する響く締めの一文でした。それだけ本当に愛着があり、恢復させてくれる場所なんだろうと伝わってくる作品と思いました。
0とても素朴な詩で感動しました。少々思ったのが、「緑のカーテンに深く包まれている気分になる」というところが、全体のバランスを見ると、若干ですが、個人の感情が生のまま出ている感じがして(私としてはこの詩はかなり客観的に感じましたもので)、この詩風合いだともう少し抑えめに書いた方が全体としては釣り合いがとれるのではないか、と個人的には思いました。包まれてい‘る’気分にな‘る’と韻を踏んでいるせいで、他の部分の散文的な感じから浮いて見えたのかもしれません。 それはさておき、このような風合いはとても好きです。ああ、いいなあ、と思わせてくれる、どこか滝の近くで吹く冷風を感じるような詩でした。ありがとうございます。
0湯煙さま コメントありがとうございます。随筆は慣れず気恥ずかしくもあります。去年の台風で川筋は変わってしまいましたが、今なお大切な場所であることに変わりはありません。
0白目巳之三郎様 コメントありがとうございます。ご指摘の箇所、確かに違和があると思います。私が思うに特に「深く」がよくないのでしょう。他は写実的な描写を多用していますが、この一文だけは読者にイメージを問おうとしている。筆者として狙い過ぎたことは否定できませんね。 素朴、という言葉に嬉しくなりました。
0沙一様 コメントありがとうございました。自分としては随筆のつもりだったのですが、どちらにしてもこれは素直に書いて残しておくべきものと思いました。 ビーレビに愛着はありますね。この名前を名乗った最初の場所だからでしょうか。拙い作であっても真摯に向き合ってくれる人がいた、という経験はやはり大きかったと思います。
1斉藤木馬さんへ 私も最終連がいいなと思いました。「愛着はあれど執着はしない」って大事ですね。私もそんなふうに生きたいです。
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