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夜になるまで眠らなきゃ
”きみ”のことを考えるとき ”きみたち”のことを思っている きみの(きみたちの)笑顔は 眩しすぎる太陽の影ではないのか きみは夜も同じように 微笑んでいるのか ”わたし”のことを思うとき ”わたしたち”のことを考えている 私の影は まえにあるのか うしろにあるのか わたしは夜も同じように 君を信じているのか つめたい夜に わたしときみは目を覚ます そして相対する 唇から内臓まで凍るような夜 パラドックスの雨が降り 傘の中で きみたちとわたしたちは濡れる 泡のような心臓の音だけが 太古のリズムを引き付けて 暖かな記憶がはじけ飛ぶのだ 晴れた日にピクニックをするような穏やかさで あるいは、 裸になった桜の木を蹴り飛ばすような理不尽さで 「ちょっと遅すぎたのかもしれないけど、今更な話をするのに夜ほど相応しいときはないよね」 語られる言葉を論理的に並べようとしても 破綻しているから それは正しいのか、それとも優しいのかと 私は自分と私たちに問いかけている。 そして夜になって、 わたしはまだ、きみを信じている。 「これから少しだけ私のはなしをするから、 お願いだから耳を傾けてください。 文字化け。文字化け。文字化け。。。。。。。」 ”きみたち”のことを考えるとき ”きみ”のことを思っている きみは(きみたちは) ほんとうに笑っていたの、かしら? きみは夜には 笑えるの、かしら? ?
夜になるまで眠らなきゃ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1492.8
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2020-04-04
コメント日時 2020-05-17
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
まずタイトルが不思議で、というのも、眠るという行為の後に訪れるのは通常朝であり、その通常を打ち破ることから始まっています。 構成としては、「きみ」と「わたし」を思う・考える時に差異が生まれるというわかりやすいものではあるのですが、面白いのが「きみ」については先ず「考える」ことがあり、「わたし」については先ず「思う」ことがあります。この似たようで全く違う行為である思うと考えるの使い分けも工夫されているのだと。あくまで私見になりますが、「考える」のほうが概念的であり、指示語で言うならば「あの」と「私」から遠いものを指す時に使う言葉なような気がして、「思う」のほうが身近で「この」と「私」から近いものを指す時に使う言葉であるように思いました。 「つめたい夜に/わたしときみは目を覚ます/そして相対する」とあるように、「わたし」と「きみ」は同じ夜(時間)を共有し、また、「相対する」という表現からも同じ空間を共有しているのだと思えます。それでも、やはり、タイトルのことを念頭に置くならば、なぜ朝ではなく、夜に目を覚ます必要性があったのか。それは、「きみは夜も同じように/微笑んでいるのか」や「わたしは夜も同じように/君を信じているのか」という「のか」が示すように、これらの疑問を確かめるために、夜に目が覚める必要性(必然性)があったのだとわかります。 あと、使い分けられた単数(わたし・きみ)と複数(わたしたち・きみたち)の違いなのですが、わたしから見た世界にきみがいることがわたしたちで、きみから見た世界にわたしがいることがきみたちだという読みもできるのですが、おそらく、時間軸をずらした時に表れる「わたし」と「きみ」そのものなのではないでしょうか。というのも、「暖かな記憶がはじけ飛ぶのだ」と明確に示されているわけではないですが、この作品にはやはり、「わたし」と「きみ」以外の他者が出てきているわけではなく、あくまでも「わたし」と「きみ」の世界であり、それらを複数形にする手段として、やはり「あの時のわたし」が何人も「今のわたし」に宿っており、「きみ」もまた同様なのではないでしょうか。 「今更な話」や「これから少しだけ私のはなし」という、言わば覚悟を決めて、今まで安住にしていた関係性が何か崩れそうな予感がします。それでもまだ「わたし」は、「きみは夜には/笑えるの、かしら?」と疑問を抱き続ける限りは、きっと同じ時間と場所を共有しなければならないのでしょう。眠ることによって、時間と場所は束縛されます。少なくとも、眠りながら遠くまで行くことはできません。だからこそ、「わたし」は「きみ」を手離さないために、そして、「きみ」の夜の顔を確かめるためにも、「夜になるまで(ともに)眠らなきゃ」ならないのでしょう。
0感想をありがとうございます。 丁寧に読み込んでいただいて嬉しい限りです…。 >時間軸をずらした時に表れる「わたし」と「きみ」そのものなのではないでしょうか はい、そうです。 同じ人間を同じ人間だと捉えられなくなっていくとき、 きみはきみたちで わたしたちはわたしになったとき それがズレてしまうと どうにも付き合いというのは上手くいかなく 本来ならば見なくて良いはずの夜の顔まで確認しなくてはならないのですが 夜の顔など見てはならないもので 夜の顔を見た途端に終わっているのも同然なんですよね。 なんで私たちは(わたしは) そうやって大切なものを土足で踏み荒らしてしまうのか。 ちゃんと読み込んでいただいてありがとうございました。
0楽さん、拝読させて頂きました。 好きな作品だと思いました。 自分の内界、(或いは自分たちの内界?)と言葉を交わし会う一日。 私たちは知らぬ間にいくつもの部屋に別れて暮らしているようなものかもしれませんね? 違う時の流れを感じながら。
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