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カイコ~東にあるイタリア~
日本から見てイタリアが 東にあると言う誤謬石が飛んで来た 湯でカリカリしながらも カイコにやらなければならない 大量の桑の葉の供給に頭を悩ませ 排泄も多いカイコの為に 新鮮な桑の葉の供給を 毎日まめにやる 今回はまゆの段階で殺さぬ 成虫を誕生させる 口器の無い成虫はじき死ぬ それでもカイコを死なせないために 新鮮な桑の葉を供給して 湯でカリカリしている訳には行かなかった 誤謬石は飛んで来る 日本から見て西にあるイタリアも イベリア半島のどこかから見れば 東にあるイタリア 差が和解して居る 満たされて行く自我 満たされた男が 違和感を持つ いい説だ ワイセツだ カラーの手紙が届いた 家訓がびっしり書かれて居る 自由に私は想起する ラージボールが飛んで来ても 小指が階段の壁で突き指しても 自由な法律は無くならない テントを増設して 誤謬石に備える 湯でカリカリもしようじゃないか 桑の葉はたくさんあるのだ カイコの成長が楽しみで 今日も眠りにつく カイコの成長 成虫蛾のはかなさ マスコットと化している現状・・・
カイコ~東にあるイタリア~ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1085.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-07-24
コメント日時 2017-07-31
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
最初の宇宙人の詩からファンです。 内容はカイコもイタリアもさっぱりわかりません。そりゃ湯でカリカリもしますわ。この頭に入ってこない感。素晴らしいです。いつか詩集作ってください。
0エイクピア さんの詩を初めて読みました。 普通、訳が分からないと数行で読まなくなるのですが、 読みながら、あれ?バラバラじゃん、あ、ここで統合されて・・・やっぱりバラバラ・・・統合・・ ってことで、最後まで読まされてしまいます。 音楽で言えば転調、小説などでの違うストーリーが並行して描かれて、最後に統一されるような展開でしょうか。 意味は数度読んでも殆ど理解できませんが、その理解できない非統合なものを敢えて表現したようにも思えてきます。言葉のスピード感、展開の意外性、K音を多用した韻律など、面白い作風だと思いました。
0こんにちは。 わたしは誤謬なしに東西が理解できなかったことのある読者です。 私が初めて東西を学校で理解するより前に、天才バカボンの名曲が流行しておりました。 「西から登ったおひさまが 東に しずむ……これでいいのだこれでいいのだ……」という歌詞でした。 わたしが学校に行くときなどは、朝に太陽があるほうがバカボンの曲の反対だから 東というふうに理解してました。わたしの人生は、誤謬石が 飛びまくっております。 かたやお蚕様のお暮しぶりときたら、とても決まりきったお暮しをしておられます。 まず羽のある蛾なのに 飛べないし、自分では桑の葉をあつめるほど移動することなんてできないので、決まったルーティーンで成長するのを人間が世話しないとならず。詩文のマスコットキャラクターというのは いいあてておられるなあと思いました。だれかの世話なしには存在できないという 不便な体をもっているのが お蚕さまです。 湯でカリカリするというのは、作者がカリカリしているような取り方もできるなあと思ったのですが、 絹の製造過程のひとつに、繭を湯の中にいれて糸をとる作業のような おきまりの作業のことを示しているような気が 私はしてます。 ≫カラーの手紙が届いた ≫家訓がびっしり書かれて居る ≫自由に私は想起する ≫ラージボールが飛んで来ても ≫小指が階段の壁で突き指しても ≫自由な法律は無くならない ≫テントを増設して ≫誤謬石に備える わたしは ↑この部分が好きです。さっぱりわかりません。だからこそ好きです。 わけのわからないところにあるイタリアから、わけのわからない無理難題(誤謬のラージボール)が飛んできても リタイヤしないぞ。という意味かもしれません。 ただ わたくし るるりらも たいがい誤謬のかたまりだということもあって、詩文の意味とは全然違うことも 想いました。 MITメディアラボが行った、生きたカイコを使ったデジタルファブリケーションの話を思い出してしまいました。カイコの繭生成パターンを解析し、人が作った基本骨格の上に膜を作らせて巨大ドームを作っている人々の映像をテレビでみたことがあるのです。 なかなかのラージボールですので、検索でみつけたものを ご紹介したくなりました。 人間も蚕もすごいです。 https://www.designboom.com/technology/the-silk-pavilion-by-mit-media-labs/
0イタリアと日本、シルクロード・・・イタリアの絹織物。どちらから見て東か西か、どこを世界の中心とするか。マルコポーロに訪ねても、きっと答えは見つかりますまい・・・ 題名、カイコとカタカナで書くと、回顧、とも読めるのが面白いですね。 供給、排泄、供給、と重ねていく進行速度の遅さ、全体に粘り強く「カイコ」にこだわっていく流れ、その流れを寸断するように〈違和感を持つ/いい説だ/ワイセツだ/カラーの手紙が届いた/家訓がびっしり書かれて居る〉い、い、せつ、せつ、か、か、か・・・と音から先に引き出された連想と日常がないまぜになったような、不思議な展開・・・。自動筆記を試しておられるのかな、と思いつつ、なかなかついていくのが大変で、もどかしさが残る作品ではあります(そのもどかしさを演出するのが狙いなのかどうか・・・) 〈今回はまゆの段階で殺さぬ/成虫を誕生させる〉この強い意志は、どこから由来するのか、どこに着地していくのか。このフレーズが、強く印象に残りました。
05or6さんコメントを有難う御座います。カイコはカイコガと言う段階に達する前、蛹の段階で殺して絹糸をる為の幼虫ですね。「蚕(かいこ)」だけでもカイコガ、成虫を表すのかも知れませんが。イタリアは天才バカボンの西からのぼったお日様が東に沈むと言う誤謬に基づいた歌にヒントを得て、イタリアが東にあると言う観点を詩にしてみました。日本から見たら明らかに西に在りますが、イベリア半島のどこかから見たら東にあると言う地理的な事実ですね。詩集はちょっと先の話になるのかも知れません。
0花緒さんコメントを有難う御座います。そうですね、今回はゆとりを持ってと言った感じです。ゆとりを持った方がいい詩が書けると思ったのです。解釈の出来なさ、頭に入って来ない感ですか。伸びやかさは失いたくないと思います。自由な言葉の連なりは本当に詩の特徴だと思いますね。これを無くしたら詩では無くなるような、そんな様な気がします。今回は自由さの中にもカイコやイタリアなど、出来得る限り、イメージし易い物を持ってきて詩的ストッパー的な役割を与えて見ました。
0白島真さんコメントを有難う御座います。そうですね、最後に統一される感じは、たとえ陳腐なストーリー展開に乗っ取って居ても義務的に、展開収束させるべきだと思ってやりました。成虫の蛾、そのマスコット的な喝采感。幼虫で始まった以上、収束させようと思いました。その中で詩的真実も盛り込めたらと思いました。詩的真実は常識的なストーリー展開からは零れ落ちてしまう詩的ジェムであると思います。むしろ詩語として輝かせる努力すべきジェムでしょうね。そのままでは汚いものですらない、と思うからです。
0るるりらさんコメントを有難う御座います。ああ、そうですね、レスレスでも書きましたが、天才バカボンの曲はどうしても念頭にありました。確かにバカボンの曲が真理であるとすると、この場合は誤謬が真理であると言うちょっと分かり辛い認識ですね。子供にとっては流行曲が真偽の「真」かも知れないので、この場合は正しい方角の認識は誤謬無しには意識できないでしょうね。そしてお蚕様。官営冨岡製糸工場など、日本で産業革命が始まるまでは、文字通りその通りだったと思います。絹糸の製造工程は意識しなかったですが、潜在意識にはあったのかも知れません。引用して頂いた7行は私も工夫したところであるのかも知れません。MITの映像は立体視が印象的ですね。興味深い試みだと思います。
0天才詩人さんコメントを有難う御座います。誤謬石の面白さだけですか、それは残念ですが、詩的展開には工夫したつもりでした。次回作で努力したいと思います。
0天才詩人さん再コメントを有難う御座います。ああ、「ダヴ」。自分の過去作には感慨深いものがあります。「星を見る人」はファミコンのゲームでもあったようですが、自分の実体験に基づいた実質を強く意識して居ました。具体的に言うと、視力の事で、詩の中にも登場させていますが、思い入れが強すぎて、言い足りなかったり、言い過ぎたりを危惧します。何かもう少し工夫しどころがあったのかも知れません。
0まりもさんコメントを有難う御座います。ああ、マルコポーロ、「東方見聞録」ですね。どうしても母を訪ねて三千里やジェノバを想起します。「回顧」は確かに意識しました。どうしても詩作すると回顧的な要素は盛り込んでしまいがちなので。自動筆記は意識しなかったですね。でも勉強したい要素です。語頭や語頭付近ですか。K音や何か調子のいい要素があるのかも知れません。マユの段階、蛹の段階で殺さぬ意志はカイコガ、カイコの成虫である蛾の段階でのマスコット的な要素を知ったためかもしれません。但し相当非力な状態を前提として居るので、悲しいストーリーが根底にあると言う要素にさらに突き動かされますね。
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