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人格を与えられた観念 ―「永遠の反射」評
不思議な作品だ。読みつつ次第に引き込まれ、名状し難い感覚に心を揺さぶられ、読後もその揺さぶられた感覚がいつまでも消えず、怪しいほどに続いている。謎めいた思想や情景が語られているからではない。この名状し難い、感動という陳腐な言葉では到底間に合わないのだが、それでもやはりこれは感動なのだと言う外ない感覚がどこから来るのかが謎めいていて、私の心をいつまでも揺さぶり続けている。 具象性が徹底して排され、驚くほどに単純・端的な抽象語、観念語のみで構成されているこの作の書き手には、語りを詩的な華やチャームで彩ることなどまるで眼中にないようだ。数式のように純粋・簡潔な思惟の活動の軌跡の中で、観念が人格を得て己を語り始める。 >最初に一つの心が生まれた >その心はなにかを昔に成功させて喜ぶ >心は身体に言う >「いまだどんどんやれ、いまだどんどんやれ」 >身体は答える >「いいですねえ」 >そして心と身体はそれらに呼応するように動きだす この一節が何を語っているのかを読者や評者は様々に解釈、解説を試みようとするだろうが、どのような解釈にも平然として動じない、このように生きて動いている観念の有無を言わせぬ実在感の前に、どんな解釈もその表面に触れることすらできない。何度読んでも、私はこの一節の所謂意味を、考える気がしない。それが無駄であることが最初から判ってしまうからだ。不条理めいた謎のまま、精神の奥深いところを揺さぶってくるこのものが、紛れもない真実であると受け容れる外ない、だからこれは詩によってしか語れない真実であり、それゆえに本作は極めて純粋な詩である。「詩的」な表現を一切必要としないほど純度の高い観念。それが詩でなくて、何であるのか。 己を端的に精確に語ること以外、何も考えていない観念がこう独白する。 >永遠に反射し続けるものに価値があるのだろうか >文字は残り続ける それがいつしか「最初の心」と「別の心」が織りなす人間劇となる。 >だが永遠に反射しつづける心がそこで良い方向と悪い方向へ導くことを知らずに >別の心は語り続ける いや語り続ける >最初に生まれた心は思う >「永遠の反射よりか現在の心の反射を糧にするわ」 >「慢心」よりか「向上心」につなげるために 高校生の小論文のような平坦な叙述の末に、唐突に表れたこの「よりか」の破調がなぜこれほど生きて響き、心に微細だが深い衝撃を呼ぶのか。ここでまた私は、語る言葉を失う。
人格を与えられた観念 ―「永遠の反射」評 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1463.0
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作成日時 2020-03-28
コメント日時 2020-03-29
石村様 お世話になります。船虫と申します。普段は活動名を舟虫という名前で朗読の場で活動させていただいております。 このような形で取り上げて頂き誠にありがとうございます。 私はあまり詩の表現というものがわからないまま書いております。 その中で自分ができる範囲の言葉で書いてみました。 普段はHIPHOPの音楽ばかり聴いており、彼らからのリリックを常に聴いて、目で歌詞のカードをみて自身の糧にしてきました。 リリックは抒情詩という意味というのも最近知りました。 そんな中、普段感じてるものといいますでしょうか、そのようなものがふと頭に落ちてきたので、勢いで書きました。 詩人でもないし、ラッパーと名乗るのもなかなかにまだ日が浅い人間です。 本当に取り上げてくださりありがとうございます。
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