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妖怪桜と春に眠れ
あの桜の下に眠る人間の魂は、生前、たいそう凄惨な人生を歩んだそうで、 今はその悲劇的な生涯を弔うために、またその魂が二度と転生することが無いように、 静かに、ひっそり、桜の木を鍵にして、固く、強く、封印されているらしい。 わからないのは、はたしてそれがどんな人生を歩み、どんな思想をもった人間だったのかということで、 それを知りたいがために私は生を受けてからの21年、あの桜の開花を待ち続けている。 地元の小学校の先生も、ママもパパも、小難しいことに詳しそうな近所のおじさんも、 誰一人その人間とその魂については頑なに教えてくれず、 分かっている唯一のことと言えば、 こどもたちに妖怪桜と呼ばれるその桜は、その人の魂が封印されたという21年前から、 もう一度も花を咲かせていないらしい、ということだけだった。 「知りたい」 その欲求は人間の欲求の中でも、かなり上位に位置するものだ。 生きたいように、食べたいように、寝たいように、交尾をしたいように、 私はあの桜の下に眠る魂のことを知りたいという欲求から逃れられない。 どんな人間も、この欲求からは、生が尽きるまで解放されることはない。 一度知りたいと思ってしまったものが禁じられれば禁じられる程、 それに対する好奇心は反比例して増大し、いつしか魔物のようにその魂を飲み込んでしまう。 わたしの魂はもう限界だ。 知りたいという欲求の波が心の中を蝕んで、かつて見た凄惨な津波みたいに、 わたしの大切な領域をさらっていく。 一体全体どうして、誰も何も教えてくれないのだろう。 まるで、私に何かを知られることを恐れているかのようで、 19歳の春、結局当時も咲かなかった妖怪桜のことをママに聞いたときの、 「どうしてだろうね」とはぐらかす言葉と、ぎこちない苦笑いがずっと忘れられない。 一体何を、私に隠しているのだろう。 東京の桜はちらほらと満開になるものも出てきている。 きれいな花びらの一片一片が風にふわりと待って、その短い華の時期を全うしている。 でも今年も、妖怪桜は咲かなかった。 水墨画みたいに白と黒に塗りわかれた枝の先には、一片の葉さえも灯っていない。 近づいて触れて、顔をこすりつけると、並々ならぬ妖気が伝わってくるような気さえする。 なのにひとつの音沙汰も生気も感じさせないその出で立ちが、 なぜか自分の写し鏡のようにさえも思えて、満開の桜の中でひとりでに感傷に浸った。 妖怪桜からは、ずっと声が聞こえていた。 春になるたび、何度も私を呼んでいる。 初めて気づいたのは小学2年生ぐらいのころだろうか。 それ以来、この桜と私の間に、 ただの人と桜以上のつながりがあることは分かっていた。 妖怪桜は、ずっと私に何かを伝えようとしているのだ。 花をつけない21年間、 毎年春になるたびに、ずっとその声を振り絞って私を呼ぶのが、 この耳にはっきりと聞こえているのだ。 それはなぜか懐かしいような、ママのおなかの中にいた時に、よく聞いたような。 その声の主がどんな人だったのか、どれだけ頭をひねっても思い出せない。 声は知っているのに、姿も、形も、何もかもがあいまいだ。 かつてつながっていたような気さえもするのに、 その輪郭は目が覚めたときに薄れていく夢のように、淡く、思い出せない。 春の終わりに引き裂かれるような寂しさを感じるのは、 私とあなたが、つながっていたから、ということなんだろうか。 先日3月19日をもって、21歳の誕生日を迎えた。 もう派手に祝うことも無くなったささやかなホームパーティの後、 切り分けたバースデーケーキの1ピースを妖怪桜の下に置きに行った。 少々驚いたのは、それがこの桜の木に関しては頑なに口を閉ざしてきた ママとパパの勧めだったことだけど、聞くところによると、 奇しくもこの魂の持ち主も、私と同じ誕生日だったそうだ。 ママとパパに見守られながらケーキを備え、手を合わせた。 不思議と、その時は妖怪桜の声は聞こえてこなかった。 会いたい。 いつかこの封印を解くことができたなら、 10億年後の地球世界に、またあなたと同じ日に生を受けたい。 心の中には悲しさも嬉しさもないのに、 まるで何かに呼応するように、私の左目からとめどなく涙が流れた。 あなたの声が私に聞こえるように、 私の声も、あなたに聞こえているのだろうか。 もしそうであれば良いと、合わせた手に祈りを込める。 ハッピーバースデー、私の片割れ。
妖怪桜と春に眠れ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1216.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 4
作成日時 2020-03-20
コメント日時 2020-03-22
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 2 | 2 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合ポイント | 4 | 4 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 2 | 2 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 4 | 4 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
元ネタは東方妖々夢の西行寺幽々子です。 私の体験も踏まえて書きました。
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