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大量消費されるお洒落〜トマトの缶詰めについての詩
工業化された食い物たち。 僕らはその資本主義を味わっている。 食い物の工業化は「進歩の時代が行き着いた極地だ」ってのはアナーキストを気取る起業家の言葉だ。トマトの缶詰めで一体なにが出来るのかを考え出すってそれは資本主義が匿名を獲得した時代の始まり。いつも同じでこれからもずっと同じ幸せを。 精神性っていうやつはすべての造物に宿る。 そんなこと、精神性ってやつは宿っていませんよ、ただの食い物なんだから、ほら何も考えずに食べてくださいよっていうのが匿名化なわけで、上手に巧妙に精神性を消す。 そのことを悪くいうつもりはない。 アンディウォーホルが描いたバナナは悪くない。 ポップアートがあるお洒落な部屋。 >横に座る >写真を撮る >冷蔵庫にしまう >隣のひとに、 >見せに行く >作った人を、 >空想する ポップアートは匿名な造物を、ほら、みなさんそれぞれ、作った人を空想して下さいよ、精神性を宿らせてみてくださいよってするわけだ。ただの食い物なのに。だけれども、そのただ大量消費されるだけの食い物を固有な恋愛にまで、古き良き時代を生かしてもらえた僕たちは、行き着かせてしまうのだね。 この作品には、 古き良き大量消費された時代の空想(精神性)が、 ある。
大量消費されるお洒落〜トマトの缶詰めについての詩 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2394.7
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投票数 : 0
作成日時 2020-03-16
コメント日時 2020-03-31
大量消費の世界では人も物も存在が弱くて悲しいよな。ジャズ、ポップアート、フィッツジェラルド、サリンジャー、カポーティ、どれも感傷的だ。精神性の行先もそういう感傷の中で見る夢が関の山だという悲しさだ。村上春樹が描くとこの悲しみが自己愛の欺瞞に変貌するんだけど。 平成、令和の感傷にも同じく居直った自己愛の腐臭が漂っている。大量消費の渦の中にいる人間やキャンベルスープの缶詰の吹けば飛ぶようなはかなさ、弱さにじっと堪えている悲しみみたいなものはどこにもない。だから「古き良き時代」と感じるんだろう。都会の感傷から真情が失われたからだ。 佐野元春にはそういう腐臭が不思議にないね。この時代の感傷を全身全霊で生きてみることができたから、村上春樹にならなかったんだろうな。思いっきりかっこつけるというダサいことをやるには勇気が必要で、その勇気がないのが現代の自己愛リリシズムなんだな。
1こんにちは、みうらさん。 トマトの缶詰め。 それは、あるいはタイムカプセルなのかもしれない。 誰かから、誰かへの。 今日は、みうらさんにお願いがあって来ました。 みうらさん、どうかビーレビを守っていただけないでしょうか。 今、僕が顔を出せるのは、ここくらいしかありません。 ですので、この場を守っていただけないでしょうか。 ここを誰でもアクセス可能で、誰でも開くことができて、それでいて堅固な缶詰め、遠くまで届くタイムカプセルにしていただけないでしょうか。 方法は、全てみうらさんにお任せします。 とても大変なことですけど、ぜひみうらさんにお願いしたいです。 あわせて、運営の方にお願いしたいことが二つあります。 一つは、編集機能のない今を維持していただけないでしょうか。 僕としてのわがままなのですが、言葉を第三者に編集されると困るからです。 二つ目は、たまに自分のコメント欄にコメントを投稿するのを許してほしいということです。 もちろん、上には上げないですし、最低限に抑えるつもりではいます。 どうかお願いします。
0トビラさんコメントありがとうございます。ビーレビの代表を降りる頃に、くたばれビーレビューというタイトルの投稿をしましたが、なんであんなタイトルを付けたのか自分でもよくわからないのですが、衝動が一つあったことは間違いありません。それはこの場を去っていった人たちへの落とし前のような。 トビラさん、ぜひ今後ともビーレビを盛り立てていってください。そして失望や矛盾した感情をたくさん抱え、他者との断絶を思い知ってください。とても辛いことですが、トビラさんにはお伝えしていいように思いました。 それでも、と、止めても止めても残ってしまうことを、これからもビーレビに残していってください。これからも、よろしく。
0石村さんコメントありがとうございます。思わず、私の性根の傾向を出してしまった文だったように思います。自己愛とかっこつけの間に引っかかってくる、対象作品だと思います。
1みうらさん。 その現実、受け取りました。 これからも、よろしくお願いいたします。
0>自己愛とかっこつけの間に引っかかってくる その宙吊り感がみうらさんの表現だと思うし、本当の意味での現代的な存在の表現の、ひとつの誠実なかたちなんではないだろうか。 だから、表現を止めてはいけない。どうせ止められないだろうが。
0お疲れ様です。運営の帆場です。トビラさん、みうら氏への個人的なお願いはともかくとして運営へのご意見についてはフォーラムか運営への報告メールをご利用して頂けるとありがたいです。こちらは作品へのコメントを書く場所ですので。またフォーラムに記事として投稿された方がより多くの方にトビラさんのご意見が広まるかと存じますのでよろしくお願いします。みうらさん、作品と無関係なコメント失礼しました。
0帆場さん、ご指摘ありがとうございます。 今度から運営へのお願いは、フォーラムかメールを使います。 あと、今後はフォーラムを有効に使っていきたいです。
0ある種の皮肉も込められているのかな?と思いつつ、 一方で、このまま試作品として成り立つのだろうか?などとも考えつつ、 でも『これは何だろう?』と考えさせれば『詩』という形式とは無関係に、現代のアートの一つの形なのかな? などと考えたりもしました。 最後の部分、 大量消費はよく批判されますが、 その行為そのものではなく、その精神性(空想性?)にある種の平和を見出してる点?が面白く投げかけにもなっているような、 そして何処までも客観的な視点、一定の距離感が保たれてる感じが『ポップアートぽい』とも感じました。 でもそれは間違いで、その距離感を作っているのは『自分なのではないか?』とも考えだしたあたりで、 よく分からなくなってきたのでこれで終わりにしたいと思います。
0すみません、完全に勘違いをしておりこちらは批評文なんですよね? 作品だと勘違いしていました。恥ずかしい・・・ というわけで上の私のコメントはスルーしてください。
0お見事ですね。古き良き大量消費された時代の空想が刺さりました。Toiletさんが詩作品だと勘違いするぐらいに作品を鑑にして自分のこととして書かれていると感じました。先日、批評とは何か解らずある方に泣きついたときに、あなたの書いているのは感想文に過ぎない、ただ一言、作品を鑑にしなさいと言われました。この数日、それを考えていたのですがみうらさんは常にそういう姿勢であるように感じました。面白く読ませて頂きました。
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