水槽の牝牛は息を吹き返すのを待ち望み、
小判鮫は牝牛が一分一秒でもはやくこと切れるのを
牝牛の皮膚のすぐそばで、待ち望む。
何遍も、何遍も、
恒星の如く、周回している。
「お姉ちゃん、あのお牛のまわりにくっついているお魚、どうしたの、あんなにあんなにたくさんくっついていたら、お牛さん、ゆっくり眠れないよ」
水槽を取り囲む観衆は、
ざわっ、ざわっ、と
(まるで腫物にでも触れるように)
(娘の品性を凌辱する継母のように)
目を背ける。
お姉さんと呼ばれた女は、一匹の牝牛だった頃の話を
ゆっくりと、
海底にちゃぽちゃぽと沈殿した記憶の砂利を掬うように、
ゆっくりと、
ゆっくりと、引き摺り上げる。
「そうね、この町が楽園だった頃には考えられなかったでしょうね、この町が楽園だった頃には、でもね、覚えておきなさい、お姉さんも、お姉さんのお母さんも、お姉さんのお母さんのお姉さんも、そのまたお母さんも、みんなみんな、あの牝牛のように
……………………………………………………
目を覚ますのに、必死なのよ」
牝牛は手足をじたばたと
痙攣させている。
(観衆は)
(熱い吐息を吐いて)
(牝牛の目覚めを、静観する)
「だからあなたも、いつかきっと思い出すわよ、瞼をとじた時に、ほら、ご覧なさい」
とんとん、肩をさすられた娘は、
水槽の中で、
陽光を待ち侘びる牝牛の姿を、すっと
見つめる。
「そっか、お牛さん、眠りたくないんだね、そっか、そっか、はやく起きていたいのね、あっ」
痙攣する指先に、小判鮫の鈍い歯が、
すらすら
すらすら、と
食い込んで、
「ああ、また、駄目だったのね」
「あの牝牛は私の娘だったのよ」
観衆は、どっと深いため息を吐いて、
(どうやらすっごく冷たかったらしいと)
(後日、娘が聞かせてくれた)
牝牛は骨の髄までしゃぶられて、数粒の砂利となって、小判鮫は、水槽の奥へ、散った。
(そうして空になった水槽に、)
(今度は一匹の牡牛が、投擲された)
「あなた、運が良かったのよ」
牡牛の入った水槽を前にして、お姉さんと呼ばれた女が、娘の髪を丁寧にさすっている。
水槽に映った娘は、気持ちが良さそうに、
屈託もなく、わらっていたらしい。