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無意味な詩のエクスタシー〜「私の中に出して」
セックスに意味があるとして、その意味を語るとすればそれは理性的な認識の無意味さを述べてしまう。そして僕たちが書いてしまう詩というやつは、いつもパラドックスだ。誰かの詩を読みもしもあなたが誰かに共感するというのであれば、あなたは嘘をついている。お判りいただけるだろうか?無意味さに共感という接点は用意されていない。それでも共感していると断言するのであればあなたの触感とその言葉にする回路は正常に機能していない。錯覚を共感という言葉で騙っているに過ぎない。 エクスタシーの語源はエクソダスにあって、セックスとは僕と君のレクイエムを伴う出獄の朝に浴びる光にこそ到達する場所がある。白犬氏が吐き出す言葉の羅列はその約束の地までの無意味な過程に過ぎず、彼女がいう通り、約束の地の「永遠は無い。」 「私の中に出して」は詩の無意味さを使った彼女の猥雑ながらも美しい(美的経験とはいつも孤独なスタイルに固執していて且つ儚いものだ!)自慰行為そのもので、セックスのなかでも一番上等なやりかたである。ぜひ多くの人に読んで欲しいし、寂しい約束の朝を迎えてもらいたい。
無意味な詩のエクスタシー〜「私の中に出して」 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1713.1
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作成日時 2020-02-25
コメント日時 2020-02-25
面白かったです。読んでないけど、たぶん元の作品より面白いんだろうな。書きざまからそういう感じがする。
その作品を実在せしめるような批評とは、私がそう思いこもうという言説を書かなくてはなりません。と、石村さんに語ることを釈迦に説法というわけではありますが、一方で文を書く上において完全なる自身を欲するのです。この乱雑で不完全な批評文は私のそれであり、また残酷ではありますが、作品は、私に「完全なる自身」をもたらすに及ばぬ不完全ではあったのでしょう。しかし、いうまでもなく完全なる自身をもたらす作品に出会うことさ極稀な偶然の連鎖にあります。私はこれからも無難な必然の作品を手に取ることはありません。きっとこれからも不完全な偶然に筆を取らされ続けます。完全なる詩に出会うには死するしかありませんから。私の批評が石村さんの心眼を狂わせるものであれば幸甚で御座います。
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