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四季を超えて四季に入る
僕は春を踏み、夏を駆け抜けて 秋に溶け込んで、冬に逃げ込んだ 何にもならずに 何にもなれずに 僕はこれからも 僕でいなくちゃいけないみたいだ 誰だって 誰かになりたいと願うけど 結局自分にしかなれないんだと 毎年 冬の終わりに気づいて また同じ靴で春を踏む
四季を超えて四季に入る ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1787.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 6
作成日時 2020-02-05
コメント日時 2020-02-20
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 6 | 5 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 6 | 5 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 2 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 2 | 1 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
こんにちは。 > 誰だって 誰かになりたいと願うけど 結局自分にしかなれないんだと ここずしーんと来ました。 よく聞く言葉だけど、四季に重ねることで実感なんだなあという感じがします。 最終連がすごく良かった。 タイトルは、私だったらコンパクトにします。
0蕪城一花 さん コメントありがとうございます。 たしかにタイトルにまで気にしていませんでした。参考にさせていただきます。
0大野原幸雄さん、夜分遅くに失礼致します。拙いコメントですが、よろしくお願い致します。 全体的に簡潔明瞭で、文字数が非常にコンパクト。世界観も分かりやすく、主に苦悩や諦めの境地が描かれていているのに、そこまで「闇」を感じさせない。 何故なら「四季」の力で、完全な「ダークネス」にはならず、「灰色」みたいに淡く、ぼやけてしまう感じが、苦悩や諦めのドロッとさが薄まり、サラサラと読みやすさを助長させたような働きさえ、 感じたからです。 私的には、「真っ暗の闇」レベルの表現の仕方が好きで、色で言えば「黒」でなければ、「原色」。ハッキリしたトーンの方が苦悩や諦めの「負の感情」が活きる気がしました。 メインの「四季」を全面に出してしまうと、「四季」持つ爽やかさや癒しのイメージ、自然にのんびり移ろう季節の流れを感じさせ、苦悩や諦めの焦燥感や、切羽詰まった感じが弱まってしまう気がしました。 色調も「四季」は「もともとある自然色」なので、強いインパクトさを殺してしまうような気がしました。(人工的な色調にはどうしても負けてしまうからです。) そして疑問があります。 敢えてメインに「四季」を持ってきたのは何故でしょうか? タイトルにも「四季」を使われて、詩の中でも使われているので、気になりました。 そこまで「四季」にこだわる理由をお聞かせください。 (読み手に考えさせるスタイルでしたら、スルー願います。) ①「四季」=365日=毎日(日常)を表しているのでしょうか? ②「四季」=「春夏秋冬」として、使用されているのでしょうか? それとも他の意味合いがございますか? 〈何にもならずに 何にもなれずに 僕はこれからも 僕でいなくちゃいけないみたいだ 《僕でいなくちゃいけないみたいだ は、全体のバランスからは、字余りみたいに感じ、その箇所だけ長く感じました。 せっかくのコンパクトさが、勿体ないと思いました。 〈毎年 冬の終わりに気づいて また同じ靴で春を踏む 結局自分にしかなれないんだとの、諦めの境地でしょうか? 仕方ないと惰性すら感じました。 絶望と言う方が近いですかね。 「四季」は私たち人間が選べる訳もなくない毎年巡ってくる季節の連続です。 自分自身の運命を選べない=「四季」で例えたのなら、凄いひねりだな、と思ったからです。 短い文字数で、完成されて、緻密さが光る作品と思いましたし、深くて面白く、いろいろな角度から読みたいなとさえ思いました。 長々と主観を申し上げましたが、端的に文字をまとめて伝える力は是非見習いたいと思いました。 また作品を楽しみにしております。 ありがとうございました。
0>mimiさんへ とても丁寧に読んでいただいて、とてもうれしいです。 ありがとうございます。 ご質問について、僕なりに応えられる範囲でお答えさせてください。 >メインに「四季」を持ってきたのは何故でしょうか? 大きな理由は、文章を可能なかぎり減らしたいと思ったからです。 四季に例えることで文章から多くの説明を省くことができ、伝えたいことを伝えられると思いました。 伝えたいこととはmimiさんのおっしゃった「自分自身の運命を選べない=四季」←という解釈で間違いありません。 また、「四季」をテーマにしたこの詩は自分語りする主人公の「私記(しき)」でもあります。 >結局自分にしかなれないんだとの、諦めの境地でしょうか? 昨年と同じ靴で、昨年と何も変わらない春を迎える主人公が何を考えているのか…これについては人それぞれ違う気がします。 変化の無い自身に落胆する人もいれば、何も変わらないことで安心する人。 私はどちらかと言えば前者ですが、読んでくださる方には「(少なくとも)1年」という長い期間、変化が無いということがどういうことなのか、自分と照らし合わせて読んで楽しんでいただきたいなと思っています。
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