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幻想離れⅡ
僕は神について知らないと思う。なのに神のことを書こうとしている。原稿用紙一枚に向かって四百字書こうとしている。偉大な人々の神にまつわる著作など大して読んだことがないし、読んだことがあっても、何にも分かってはいないと思う。でも教会に行ったことならけっこうな回数ある。僕は神について知らないかもしれないけれど、神に会ったことはあると言えるかもしれない。あまり深くは考える必要もないのかもしれない。教会に集まる会衆の一人であったというだけで十分神に対したことになるのではないかと思いもする。神父とか牧師にも会ったことがあり、彼らの話を親しく聞いて楽しかったことがあり、彼らに手紙を送ったこともあり、信者たちとまじわりわくわくしたこともある。あれらの人々の胸に、たぶん僕のことが思い出されたりもするかもしれない。結局は入信しなかったのだけれども。僕は教会の建物や雰囲気や音楽や香りが好きだった。聖書に書いてあることも好きだった。でもおそらくはそんなことだけでは足りないのだろう。僕は急に教会に背を向け、聖書もほとんど読まなくなった。ただあれらの日々の感動は忘れていない。入信できなかったわけは、僕には神を頼むことができなかったということなのだろう。反対に神がヒトを頼むように感じられたのだった。僕は僕が為すことや作るものを頼み過ぎるのだろう。しかしそれらまでもが時にむなしく感じられるのだが。 また原稿用紙一枚を取り出して何事か書こうとしている。今、僕の頭の中で鳴り響いて止まない言葉がある。「幻想離れ」という言葉がそれである。僕はこの言葉がだいぶ好きであるらしい。前に僕は『幻想離れ』というタイトルの作品を書いたことがある。内容は大まかに言えば、僕から幻想が去ってしまって何にも書けない、だから再び幻想に戻って来て欲しいと呼びかけるというものであったはずである。あの作品を書いてから長い時が経った今、色々考えることがある。書くためには幻想が必要なのか、書けた以上はもうすでにして幻想に取り憑かれているのではないのか、幻想を欲している割に自分は現実などというものを見ることができているのだろうか、求めなくてはならないものは幻想ではなくて現実ではないのか、時に自分の秘密が露わになることが怖いのは自分が現実というものを隠し持っていて怯えているからではないのか、本当には僕は幻想に包まれていてその恩恵に浴しているのではなかろうか、等々。 ディズニーランドになんか行きたくないのだ。映画もアニメも漫画も音楽も小説も詩もテレビも新聞もビジネス書もハウツー本も学習書も欲しくない。何の買い物もしたくない。旅行や散歩やレジャーやスポーツや車やバイクや料理や酒や友人や性的喜びも要らない。絵画や建築や彫像も要らない。夢見させてくれるあらゆるものが要らない。なのに僕は衣食住に足りている。長々と挙げた夢見させてくれるものたちにどっぷりと浸かり、または包まれ囲まれている。僕はひとときも夢から離れられないでいるのだ。夢を憎みながらも実は愛して暮らしているのだ。このことを無理に却下しない方がたぶん良いのだろう。今こそこのことを素直に認めようではないか。今こそここにあるこのような現実を認めようではないか。そして僕は十分疑った後なのだから、安逸のそしりなど受けることはないであろう。さあ出発だ、今や僕は夢により、つまり幻想により、しかも現実的な幻想により、この胸を満たされているのだから。
幻想離れⅡ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1763.2
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 279
作成日時 2020-02-04
コメント日時 2020-02-26
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 115 | 2 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 82 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 82 | 1 |
総合ポイント | 279 | 3 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 57.5 | 57.5 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 41 | 41 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 41 | 41 |
総合 | 139.5 | 139.5 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
幻想に 息を吐き切り かみ吹雪 (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668
0羽田恭さん、お読み下さりありがとうございます。 そして、文芸的、文芸批評的コメントをありがとうございます。 思わず笑ってしまいました。苦い笑いですが。 芝居、ひとり芝居を、人に見てもらうということは、実に恐ろしいことです。 雛祭イベント、おもしろいですね。 私の作へのコメントがこのイベントでの最初のコメントとなるとは……
0棲んでいる 僕の神様 衣食住 (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668
0つつみさん、お読み下さりありがとうございます。 またも五七五のコメントをいただきました。 >棲んでいる 僕の神様 衣食住 ですか。うーむ、なるほど。 思い出すことがあるのです。私は大学は実学を重んじる大学の文学部だったのですが、実学を重んじる大学になぜ文学部があるのか、という議論を耳にすることがしばしばあったのを思い出すのです。 衣食住をだいたい実学であるととらえてこんなことを思い出しました。 しかし、五七五コメントという方法はおもしろいですね。雛祭イベントが終わっても、一つのコメント方法として存続していいのではないかと思っています。
0良い詩です。期待しないで生きるの無理って話だと思います。 結局最後は全部失うから期待しても無駄かも知れないです。 期待しないと辛いし、期待しても裏切られる。 まあ、期待したら裏切られるけど、時には期待以上になって、神様来たー!になる時もあるから、期待を超える瞬間を待って、自分の力じゃなく、何か分かんないけど何か凄いの出た!て時を待つのも良いと思います。 良いテーマの良い詩ですね。誠実だと思います。
0良いテーマ、誠実であるとのコメント、ありがとうございます。 幻想に「期待」する、これは私の思い浮かばない言い方でした。 幻想を捨てれば現実が見えてくる、と人は考えがちですが、幻想の中にあってこそ人は現実を見て現実を受け容れているのかもしれませんね。
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