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詩的で素敵な忙殺
「土曜日に取り残されたい」と詩的で素敵なセリフで休日を欲した先輩は、それでもその仕事が大好きなご様子で。私としては憧れだけでこの世界に入ったわけで、その世界の広さを知ってしまった日から、8時間どころか3時間ぐらいしかもたない集中力を抱えながら日々戦々恐々としている。正直、逃げ出してしまいたい、なぜ「大人」はこんなにも真っ直ぐ働いているのだろう。一度抱いた疑問は、頭の中でぐるぐると渦を巻き、いつしか胸のあたりでつかえ、後ろ暗い靄みたいな感情が身体の中に滞留する。私に手を差しのべるのはいつだって"責任"だけで、その手をとって報いてやらないと彼(彼女かな?)はいつまでもお節介に、消えてはくれない。私の生きてるこの世界は、もしくは社会って言ってもいいかもしれないけど、大半が私の知らないことでできている。私の知っていることなんて微々たるもので、そんな浅識でも生きていられるって逆説かもしれないけど、知ってることと知らないことのどっちが幸せかなんてその時々だよね。どこまでが消化されてどこまでが排泄されるかも知らずに、三食律儀に食べてる私はちゃんと歯車として振る舞えていますか。真面目や良い人なんて言葉をシャワーみたいに浴びて、いえいえそんなことないですなんて言葉でさえ、抜け目なく良い人のレッテルを貼られます。物心ついたときから「大人っぽいね」と言われていたので、大人っぽいまま大人なれない私です。大人になったら人生が楽しいらしいので、私はまだまだ子供みたいです。そうやって言い訳ばかりを探す感情は大人な部分でしょうか。大人たる証拠なんて、ちょっと強めのお酒が飲めるぐらいで、保証なんてアルコールに溶けているのに、相も変わらず"責任"だけが手を差しのべてくる毎日。世界か私か。できれば私が、「だったらしょうがないね」なんて理由で壊れてしまえばいいのに。
詩的で素敵な忙殺 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1627.7
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 2
作成日時 2020-02-03
コメント日時 2020-02-09
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 2 | 2 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 2 | 2 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 1 | 1 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
責任感 溶けてしまえと 日曜日 (雛祭イベントで、五七五調でコメントしてます。) https://www.breview.org/forum_blog/archives/668
0必ずしも土曜日が休日であるわけではないですが、この作品における土曜日はおそらく休日であって、だからこそ「土曜日に取り残されたい」と先輩は休日を欲していると説明がされています。「土曜日に取り残されたい」とは、言い換えれば「休日が欲しい」もしくは「休日の中に居続けたい」となるわけですが、「それでもその仕事が大好きなご様子」であると。その先輩と対照的なのが、語り手である「私」であって、日々戦々恐々として、逃げ出してしまいたい、という率直な感情を述べています。 そして、語り手が考える「大人」は真っ直ぐ働いていると、これは、「私」と「大人」との間に一線を画していることを示しており、つまり、「私」は「大人」ではないという表明でもあります。そんな「私」に寄り添ってくれるのは、責任、だけであって、それがいつまでも付きまとい、また、「私」が存在・所属している「社会」は、「私」の知らないことでできていると言うのも「私」と「社会」との間にも一線を画しているのです。これらの一線は、誰かが引いたものではなく、「私」が「私」を自己規定している、自らが勝手に用意した一線なのでしょう。 「三食律義に食べてる私はちゃんと歯車として振る舞えていますか」という問いは、一体誰に向けた問いなのでしょうか。誰にとも届かない問い、もしくは自問とも言えるのかもしれないのですが、この問いを聞けるのはこの作品の読者であって、また、この「私」に手を差し伸べられるのも読者なのかもしれません。 一線を画す、という行為と対になるのは、「良い人のレッテルを貼られ」ることであって、「私」が「私」を見た時の評価と他者が「私」を見た時の評価が一致しないことは、現実世界でも多々あることです。終盤では「大人」というキーワードが多用されますが、これは、序盤にあった真っ直ぐ働く存在=「私」の定義した「大人」、にはなれない「私」の葛藤があり、言い訳としての「だったらしょうがないね」を補うとしたら、「子供だったらしょうがないね」という逃げ道を求めているように感じました。 「大人」「責任」というものとの葛藤というよりも、「私」が思う「私」と他者が思う「私」との不一致の方にこの作品の主眼が置かれていると思われました。
0大人とは 責任とはと 降る雨よ 大人とか責任とか、そんなこと考えてもいないような人の方が幸せそうに見える。あるいは、確たる大人としての責任を持つ人は手の届かない遥か高みに見える。本質、言い訳、わからない。周りの言葉、自分の不確かな感覚、知らないこと、知ってもどうにもならないこと。取り留めもなく、そんな自分は、とまた離れる感覚。 自分の中でもうまくまとまっていなくて、つらつらと書かせていただきました。なんでしょうね、ほんと。
0大人とは 責任とはと 降る雨よ 大人とか責任とか、そんなこと考えてもいないような人の方が幸せそうに見える。あるいは、確たる大人としての責任を持つ人は手の届かない遥か高みに見える。本質、言い訳、わからない。周りの言葉、自分の不確かな感覚、知らないこと、知ってもどうにもならないこと。取り留めもなく、そんな自分は、とまた離れる感覚。 自分の中でもうまくまとまっていなくて、つらつらと書かせていただきました。なんでしょうね、ほんと。
0あれ、なぜか連投されてる。すみません。
0なかたつ様 最後までお読み頂きありがとうございました。この詩は私にとって半ば日記的な意味がありました。つらつらとその時に思ったことを書いたのですが 確かに、なかたつ様の御指摘で自分なりに腑に落ちた部分があります。 私と他者から見た私とのギャップは確かに悩むところです。 コメントありがとうございました。
0IHクッキングヒーター様 コメントありがとうございます。 この手の思想は 何かのきっかけでドバッと思い巡らしたり、日々の中で逡巡したりと 付かず離れずの雰囲気が共感していただけたのかと嬉しく思います。 ただ実際こんな考えに思いも及ばず、まっすぐ生きている人もいるのは真ですし 取り留めのないが正にその感じかなと ありがとうございました
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