別枠表示
渋くてあまい
私はおすまし顔で太宰の小説を手に取ってみたり、海外文学をパラパラとめくりそれらしい顔をして首を傾げてみたり、ここに目当てのものはないような、賢いふりをして、微妙な顔で店を後にするという遊びをしていた。 この遊びをし始めたのは高校1年の頃、教科書で読んだ梶井基次郎の檸檬にずいぶん夢中になった私は現物が欲しくて近所の本屋に探しにいった。しかしそこに檸檬は無く、本屋のおじさんに尋ねるとおじさんは、「渋いね」と私に言った。 私はそれが妙に嬉しかった。賢いねと言われたわけではないのに、「君は他の子と違うね」と言われたみたいで。 私は渋いのか、周りの女子高生とは違うセンスの持ち主なのかとかなり舞い上がったのが始まりだ。 それから私は周りの人から、渋いと思われようと行動する事にした。私はブラックコーヒーを毎朝バスに乗る前に同じコンビニで買うようになった。これはそのコンビニの店員に「普通の女子高生はココアとか、甘いミルクティだとか、そのようなものを好むはずなのに、この子はブラックコーヒーか、随分渋いな」と思われる為だ。それと、私は学校帰り制服姿で純喫茶に通っていた。前にたまたま喫茶店から出て来たところを少し気になっていた野球部の男の子に目撃されており、後日「あそこから水谷さんが出てきて驚いた、意外だね」と言われたのがきっかけだった。 高校の友達は難しい名前のクリームが盛られた飲み物片手にプリクラを撮る放課後を過ごしていたが、私は違う。まだ席にもついていないのに梶井基次郎の檸檬を片手に古びた喫茶店に入る。静かに席につき、ブラックコーヒーとプリンアラモードを注文する。熱いコーヒーをすする。本をめくる音が、有線で流れているクラシック音楽と交わって頭の先で溶けた。 17:45分、前に野球部の彼に目撃されたであろう時刻に喫茶店を後にする。今日も彼とは会えなかったけれど、何処かでまた私を目撃しているかもしれないから気は抜けない。喫茶店の前で制服を整え、背筋を伸ばし駅へ向かった。
渋くてあまい ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1513.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 6
作成日時 2020-01-16
コメント日時 2020-02-01
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 1 | 1 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 4 | 4 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 6 | 6 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0.3 | 0 |
可読性 | 0.3 | 0 |
エンタメ | 1.3 | 1 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 2 | 2 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
スイスイ読めて面白かったです。
0私も最後まで苦なく読め、まず可読性が高い作品だなと好感を持ちました 内容は原義での「中二病」。だから特別新規性があるわけではないが、逆言うと見知った概念なので安心して読める ただ、 >17:45分 ここは「17:45」か「17時45分」のどちらかにすべきでしょうね
0この詩にある想いは「渋くてあまい」というより「甘酸っぱい」ような気もして、それこそ、この喫茶店で飲んでいるブラックコーヒーはどの豆のものなのかとも想いを馳せるのですが、高校1年の「私」には豆の種類など関係ないのでしょう。 冒頭にある「遊び」をするきっかけは、「私は違う」という周りとの比較による自己規定にあるものであるかのように描かれています。自らの行動は自らを規定することで生み出されるのと同時に、それを後押ししたのはきっと「本屋のおじさん」の「渋いね」と言われたこともあります。そのことに対して「私」は「妙に嬉し」いという感情を抱いています。そのおじさんの本意はわからないですし、深い意味もなかったかもしれないですが、その「渋いね」という一言に対する「私」の捉え方は「君は他の子と違うね」と言われたみたいであるという。ここが一番のポイントなのかなと思いました。私たちの日常においても、誰かの何気ない一言が何年も何十年も残り続けるということはあって、相手は忘れているかもしれないけれど、自分は覚え続けているというズレに僕はフェチを感じています。 「それから私は周りの人から、渋いと思われようと行動する事にした」と続くので、やはり「おじさん」の一言は大きな契機となっていることがわかります。そして、この一言の重みというのは、「おじさん」だけでなく、「少し気になっていた野球部の男の子」の一言がとどめをさすのです。 語り手なりの「渋い」と思われる行動をとる理由は、①周りとは違うことをしたい②おじさんに言われたから、という2つの理由に加え、③少し気になっていた野球部の男の子に目撃されたい、という理由へと変わっていき、最終行へと続いていきます。「何処かでまた私を目撃しているかもしれないから気を抜けない」と。いずれにしても、自己による自己規定でつくられた「渋い」と思われる行動であって、果たして本当に他者からどのように見えているのかというのは、日常においてもわからないものです。それでも、喫茶店に通って小難しい本を手にブラックコーヒーを飲むということが、この語り手にとって重要な意味があるという唯一性を十分に語り得た作品であると感じました。
1