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四時四十四分
鼈甲飴が溶ける夕暮れ 「紙芝居もこれでオシマイ」 読み手の老爺はそう呟くけれど 猛り狂うサイレン 悶え狂う鴉が その声を掻き消してしまう 眠りの密林 輪廻の滑り台 いつまでも汚れなき心? いつのまにか穴が空いたスニーカー 僕も君も純粋さと飴を切らして 嗚呼、アルコールの甘味料 赤い眼をして 正体を亡くして 「ゆめからさめた」 いつかの無邪気な子供の影絵も 今では無感情な大人の影さ 複雑骨折した針時計 彼が刻む時は歪んでしまって 誰もが無機質な電子時計に縋る とうの昔に切れた電池 交換することすら忘れても尚 恐らく四時四十四分 三番目のトイレで行方不明の少女 エレベーター 降りた先は平行世界 エスカレーター すれ違う僕と僕 カーブミラーに映る赤い花嫁 カーブミラーに映る赤マント 溢れる奇と狂を 逢魔が時は赦してしまう 茜色 蹂躙される日々と人々 切り替わらないスクリーン 凍てついた高層ビル 鋼鉄の墓標 光も温もりも届かない狭間で 唇を閉じたままのフリージア 枯れない花束を 死んだ笑顔で渡す君 その瞳が濡れることはあるのか その心に白波が揺れることはあるのか 渇ききった君は 花束を残して去ってゆく やがて動き始める映写機 夕暮れのエンドロール そして夜が 夜が始まる
四時四十四分 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 871.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-07-06
コメント日時 2017-07-14
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
べっこう飴色の夕景でしょうか。7音の重ねで書き起こすリズミカルな冒頭。 紙芝居のノスタルジー・・・一日の「物語」が終わったことの暗示のように感じました。 サイレンと鴉、現実界において不穏さを予感させる記号のようなイメージが置かれることによって、二連目の抽象的な〈眠りの密林 輪廻の滑り台〉一節が、不穏な宿命に巻き込まれた語り手のイメージに重なっていくように思いました。 〈僕も君も純粋さと飴を切らして〉ここには、紙芝居に象徴されるような童心=純粋さ、その後にもらえる水飴やべっこう飴の懐かしさ、甘美さ・・・への憧憬がある様にも感じます。 〈いつかの無邪気な〉〈複雑骨折〉〈とうの昔に〉・・・8音、7音のリズム。7・5調、8・6体、などと呼ばれる、いわゆる歌謡体(古来からの)、馴染みのある音感が散りばめられていて、口ずさむ進行が意識された作品だと思いました。 〈恐らく四時四十四分〉ここから、作品としては佳境に入るのでしょうが・・・飛躍が大きすぎて、読者としてはついていくのが大変でした。めくるめく不気味さや不穏さ、その連打に身を任せる、という読み方(聴き方)をすればいいのかもしれませんが・・・ 4(死?に通じるとして嫌う人も多い数)が3回、続いた時刻に、〈三番目のトイレで行方不明の少女〉。〈逢魔が時〉に出会う不思議。歪む鏡面、〈赤い花嫁〉〈赤マント〉・・・まさに〈溢れる奇と狂〉、ですが・・・自由奔放に想像力を駆けまわらせすぎている、そんな印象も受けました。後半のぶっ飛び感?に、面白さや勢いを感じる方もいらっしゃるかもしれませんが・・・。 べっこう飴色の夕景から始まって、〈茜色 蹂躙される日々と人々〉の時刻を経て、〈夕暮れのエンドロール/そして夜が 夜が始まる〉までの時間帯に体感した幻影を、観客の一人として見せて頂いたような気がしました。。
0比喩に必然性があることが、まず特になかなかない素晴らしさだと思います。 >「紙芝居もこれでオシマイ」 時についての、何かが起こるというライトモチーフ(のちには、「ゆめからさめた」となる)として、働いて いるようなきがしました。そういう分析は、少し強引かもしれませんが。 >四時四十四分 これなども、単純すぎるほど誤りようのない、時刻の言葉ですが、実際使ってみろと言われると、難しいと思います。 そういう題で、全体を構成する芯にするというのは、実力を感じます。 >いつのまにか穴が空いたスニーカー >唇を閉じたままのフリージア とにかく、表現力だと思います。 >そして夜が 夜が始まる この締めも、表現力がなければ成り立たせられないでしょうね。それだけではなく、何度も言うと、 必然性のある詩文。これが結構難しいことだと、僕は自分では実感させられてばかりいることです。 どんな作者も、そういうところは、悩むことだと思っていますが、そこを越えられる人もまた、少ない でしょう。
0まりも様 夕暮れのサイレンと鴉に依る、不穏な雰囲気に巻き込まれてゆくという描写は私が現実にでも心から欲している情景で、それが作品に表れたような気がします。 歌謡体は殆ど意識していなかったのですが、こうした作品を書くと、幼い頃に聴いたり学んだりした歌謡体的なリズムや音が無意識に出るのかなぁと思いました。 そうですね、読み返すと、好きな都市伝説を首根っこを掴んで唐突に引き摺り表した感がある気が確かにします。。整合性を完全に置き忘れて、ぶっ飛び過ぎたというか、そんな感覚は改めて感じます。
0黒髪様 比喩の必然性、詩を書くときに於いて、自らのアタマに浮かぶ情景を描き出すというか暴きだす際に、比喩表現は凄く重要であると、創作を始めた時から意識しています。 「ゆめからさめた」は音楽で云えば、次の展開への異常な間奏というか、平仮名のみで書き表すことで場面の切り替わりを意識した表現ではあります。 四時四十四分は馬鹿みたいにシンプルですが、その言葉から夕景或は夕暮れを連想することは、他のどんな言葉よりも浮かびやすいだろうと、そうした意図もあります。
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