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死にて死に
出したりし 南無阿弥陀仏 子牛死に 生まれ出で 子牛 ただもう 生きてなく あと少し 早くあれば 気がつけば 間に合わず 命なし 遺骸生まれ 「ああ ダメだ」 足 引っかかり 子宮 命消え 合掌 浄土思う 仏となれ 念仏し 死にて死に 続く日常 牛の世話 また生まれ そして生きる 人と牛 また命 重ねる日々よ 眠る牛よ 安らかに
死にて死に ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 845.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-07-03
コメント日時 2017-07-07
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
乱配置というような、イレギュラーな言葉の置き方、それでいて整然と置かれた言葉・・・。心中の乱れを、抑制しながら並べていった言葉のように感じました。 テニスンというイギリスの詩人の詩の中に、dying dying dying と連呼する部分があって、まるでピストルの弾をガンガン撃ち込まれているみたい、と思ったのですが、訳文を見ると、死に死に死にて・・・となっているのですね。不思議なことに、しにしに・・・とサ行で綴られると、芒原を風が渡っていくような、そんなびょうびょうとした景色の中にしゃれこうべが転がっているような感覚を覚えます。 逆子で生れた子牛でしょうか・・・衝撃がナマのまま綴られているような印象を覚えます。遺骸で生れてしまった、その時の焦燥感と悔恨と祈りを伝えようとするあまり、作品として対象と距離が取れていない、そんな感覚もありました。同じような言い回しや言葉を重ねていく時・・・気持ちのクライマックスに向かって重ねていくのか、切なさを抑制するために、呪文のように重ねていくのか、そうした効果を意図せずに、思わず使ってしまった、ということであるなら、言葉の重ねを遂行していく必要があるかもしれない・・・そんな部分に目を配りつつ、死との遭遇、その時に「私」が受けた衝撃・・・について、じっくり想いを聞かせてほしいと思いました。
0まりもさん、こんにちは。 逆子では無く、足が折れていてそれが子宮にひかかって時間が経ちすぎたのですね。 出産にあまり時間が経ちすぎると危険な様です。仕事柄死んでしまった牛はしばしば見るのですが、少し前まで生きていた出産途中の血の気の無い牛の遺骸は、衝撃を受けてしまいました。 その衝撃を感じたまま書いた結果がこの作品です。 どうしてもこれ以上の推敲をする気が起きないのも正直なところです。 花緒さん、こんにちは。 確かにいきなり「子牛の遺骸」などと来てもよくわからないかもしれませんね。 でもやっぱり変える気がしないのです。 これが完全な作品と言う気はありませんし、初見の人にわかりにくくても。 自分なりの鎮魂であるからかもしれません。
0そうだったんですね・・・ 衝撃が、そのままに伝わって来たことは事実です。ですから、推敲されたくない、というお気持ちもよくわかります。 そっと、置いておく詩、手放していく言葉。そんな祈りの言葉なのでしょう。 自分なりの鎮魂。静かに噛みしめたい言葉です。
0淡々と。同じ韻律でもって書き進んでいく誕生と死と。そんな様相に突き抜けた視界といいますか、境地といいますか、どこか悟りというものをしかと思わせるような、そんなことをも読後に感じます。牛と生と。産み落とされた命が大地を支えにして、やがて立ち上がる。意味、力、働きを思いました。
0湯煙さん、こんにちは。 昨日は双子だった二頭の死産と、二頭が無事に生まれたということがありました。 悟りというより、動揺する意味も暇も無いのが正しい気がします。それはそれで衝撃を受けて詩を書いた訳ですが。 できるのは生きている牛ができるだけ元気なままでいさせる事なんで。
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