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それだけが見える ということが、あるのか かつて、私であった人の 私へ曳かれる眼差しと 交わる、畸形の花 びらに似た、包装紙 いちぶ尖ったアルミ缶 ゴミやゴミが裏返り、 「眠るように」という 直喩のうちに、「眠る」私へ 伸ばされる かれの身体が裏返り、 まぼろしを 告ぐるはやさしい同型射。 畸形の花々のうちに ふつうの、雑草のにおいを覚え 私はここで息絶えていい かつて、それだけが見える という、「それ」を、 呼ぶためにあった名前よ いまここで、お前が 意味するまぼろしを見せてくれ
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作品データ
P V 数 : 1050.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-06-26
コメント日時 2017-06-30
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
花 びら と可視効果を施し直喩をかける手腕。美しい行間ですが、同型射。で区切った意味があまり映らなかったと思いました。 短歌とか上手そうですね。 面白かったです。
0現国の問題で「畸形の花」や「雑草の匂い」のこの詩における位置づけの観点から出題したい誘惑にかられました。
0名前、が呼び覚ます、幻としての わたし を見詰める わたし について、想いを喚起される作品でした。 畸形の花、ここで区切られることによって喚起される、曖昧ながらひとつのまとまりを持った花のイメージが、改行でハラハラと散る断片のイメージとなり、そこから、強引なのに素直に納得してしまう急峻さで包装紙のイメージに変容する。 展開の流れに無駄がなく、読んでいて爽快感を覚えました。 いちぶ尖った・・・とは、潰されて廃棄(リサイクル)されるアルミ缶のイメージでしょうか。それが裏返る、という予想外の新鮮な驚きが、かれの身体が裏返り・・・という、カ行で駆動する、これまた新鮮なフレーズの伏線となっている・・・ 畸形の花、という言葉の持つイメージの幅が大きい(読者によって受け止めるものの違いが大きい)という部分を、どう捉えるか、という問題が生まれると思いますが・・・ 畸形、を、何か特別のもの、個別のもの、として、そこに価値観を見いだしていた、のに・・・それもまた、無数の、雑草と呼ばれるものに過ぎなかった、と見る、失望と安堵、その両方の感情を、私は呼び覚まされました。 私、と、かれ、の関係性が、曖昧すぎるような(もう少し踏み込んで、そのあたりを聞いてみたいような)気もするのですが・・・固有のものとして、私、を、際立たせるもの、としてのまぼろし・・・を希求する、そんな願いを感じました。
0名前をめぐる作品。ここに固有名詞が出ることはなく、街中に在りがちな物が乾いて動く世界。それを描写するために、特別な名前を必要としない。 この作品の主題が名前にあると思わされてしまうが、実は違っている。言うならば、ある物とある物らしい物との対比であろう。 「私であった人の/私へ曳かれる眼差し」というのは、今の私を眺めているかつての私の眼差しであり、「かれの身体が裏返り、/まぼろしを/告ぐるはやさしい同型射。」というのは、まぼろしの正体が裏返ったかれの身体であるということ。かれの身体はどこかにあるはずだが、おそらく私は、その身体が裏返った結果としてのまぼろししか見ることしかできない。 視覚や聴覚には名前が必要ない。それらは原初の感覚として語り手に感じられるものであり、それをわざわざ名前に還元する必要がない。そのために「畸形の花/びらに似た、包装紙」があり、「ふつうの、雑草のにおい」がただそこに在る。それらはやはり、ありふれた世界の一部であるから、特別に命名する必要がない物として作品を彩っている。 果たして、私は「それ」を呼ぶためにあった名前を取り戻したいのだろうか。その手掛かりとして、お前が意味するまぼろしを求める。まぼろしとは、裏返ったかれの身体である。細部に注目すれば、「それ」を、呼ぶためにあった名前よ、と、過去形になっている。かつて名前が与えられていたであろう「それ」が今となっては「それ」になってしまっている。それを取り戻すために、「お前」が必要であり、それとも、名前などもはや必要ではなく、ただただ「お前」が明示してくれる世界=まぼろしを、名前ではなく、その中身=意味だけが必要なのではないだろうか。畸形の花や雑草のにおいに名前が必要ではないように、「それ」が意味する内容だけを欲しているのではないかと。 ある物とある物らしい物との対比とは、私であった人と私の対比やかれと裏返ったかれの対比もあれば、その物が指し示す内容=意味=感覚とその名称との対比も含まれうるだろう。
0再び読んで見て今回は 「眠るように」という 直喩のうちに、「眠る」私へ 伸ばされる かれの身体が裏返り、 この4行が印象的でした。直喩とは何かふ深く考えさせられました。
0みなさまレスポンスありがとうございます。 作品とは関係のない連絡で恐縮ですが、なぜかB-REVIEWにログインできないため、新しくアカウントを作成しました。この作品の投稿者と同一人物ですので、ご了承ください。
0ひとつ言いたいことを言わせてください。皆様におかれましては、もうすこし分かりやすい言葉でレスポンスしてほしいです。まりもさんの文章はそれ自体詩に見えるし、なかたつさんの文章はなんと言えばいいのでしょうか、どこが主な主張パートでどこが論証パートなのか不明瞭に思います。私の読解力が低すぎるというだけかもしれませんが。
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