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情緒
ひらり想い 綻んだ笑みで 涙を隠すほど どうかしているなら ひとり出逢い 吹き抜ける道を 迷いのすべてを 認め合えるまで 蜻蛉の月日から 幸せが零れていく 君のようになれない 僕だけの軌跡 いつまでも遠い 思い出の向こう側へ 誠実な希望を見送るよ 言葉は風になるというけれど さり気なく 届いてくれるかな Fly to your wonderland. 無力と気付いて 切なさに訪れる Let my cloud be blue. 叶わなくてもいい 憧れの傍にいる 人混みに埋もれて 孤独を包む過去は 永遠になくす時を 信じてゆけない 書き落とした手紙が 憂いを投げかけても 読み返す僕らは同じだね 降り積もる情念を辿るより 黄昏れた 時が止まればいい? flightless overnight 誰も知らない 激しさに打たれている only in my mind 夢は眠れない 二人を繋いでいる ひらり想い 綻んだ笑みで 涙を隠すほど どうかしているから めぐり巡る 果てなき情緒を 僕は試している Flow into the sky. 君に触れた愛が 言葉を止める前に Let my heart be light. 胸を塞ぐ闇が 壊れる刹那でいい Fly to your wonderland. 叶わなくてもいい 憧れが傍にある 二人の絆になる
情緒 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1642.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2019-09-21
コメント日時 2019-09-23
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
>めぐり巡る >果てなき情緒を >僕は試している この表現とても好きです。
0もしこれが歌詞で、曲の動画があるのなら、是非それ付きで投稿して欲しいですね というのは、歌詞は曲に乗って初めて真価を発揮し、一方でそれ単独では良さを発揮しにくいから
0survof さん、ありがとうございます。 渡辺八畳@祝儀敷 さん、「歌詞」と言い切ってしまえばその通りでしょう。私はこの文章だけで世界観を完結させているつもりです。まあ、歌詞だなーと思ってもらっていいんですが。
0サイトの方を見させていただきました。「詞」を書かれているのですね。「歌詞」でないのは歌が無い状態で詞だけ書いたからでしょう。「詞」作りは私も中学の時に散々やりました。ただあれは高校受験が終わったらギターがもらえるという約束で、晴れて手に入れた日から作曲するために先行して書いていたってものですが。 言わずもがなですが、詞は歌があってはじめて真価を発揮します。逆を言えば、聴くと素晴らしいのにテキストのみにするとあの感動が感じられない、ということは往々にしてあります。 詞は詩と違い歌があってはじめて真価を発揮する、ということはつまり、詞と詩の「文法」が異なるのです。例えば本作の英語パート、耳で聞くのなら効果を発揮するかもしれませんが、目で読むには他のところと比べて悪目立ちしている。 リアルタイムで流れていく歌詞と、立ち止まったり戻ったりができる詞もとい詩は、鑑賞のされ方がそもそも異なります。適切でない鑑賞方法ゆえに評価が落ちてしまうのは不本意でしょう。そのため椎名さんが取るべき行動は、作品に曲をつけるか、作品を詩として成り立つようチューニングするか、その二つだと思います。
0渡辺さんのコメントが大変興味深い内容で読んで触発されました。私からも本作品について詩文と歌について一言書かせていただきます。 心情を文字の言葉として表現する時、往々にして、一般化された言葉の意味に縛られてしまう。縛られるとは受け手が言葉に意味を見出そうとする結果、作者の心情が一般的な意味の範疇にとどまってしまう。作者が持つ心情は世界で唯一のはずです。それを世界観というのだと思うのです。ところが書き手と受け手は共通言語という共有可能な意味のなかで交信をするのですから作者の世界観は誰かの「共有済み」の既視感の中に埋もれてしまう。つまり作者が持っているであろう唯一の心情・世界観を表現するには比喩という、「喩えるならば」という固有に持っているであろう「息遣い」とれとりを使ってこそ世界観が滲むのが詩文ではないかと考えます。それに対して歌には音があり、その音によって比喩、息遣いを言葉に与えるオプションがあり、仮に詩文が平易な既視感のある語句が使われていたとしても音によって言葉の意味の縛りを解くことが出来るのだと思うのです。本作の内容に沿って評するならば、レトリックとして、その心情のオリジナルさ、つまり世界観の断片としてお見受けするのは、survofさんも挙げていらっしゃる連にあります。しかしながら、作品全体としては、語句一つ一つが持つ一般的な心情の意味内に収まってしまった感が強くあります。長々と書いてしまい失礼しました。
0×「息遣い」とれとりを使ってこそ ○「息遣い」とレトリックを使ってこそ 失礼しました。
0渡辺八畳@祝儀敷 さん、 歌にこだわりますね。渡辺八畳@祝儀敷 さんが曲をつくるなら「詞先」のようですが、歌があってはじめて真価を発揮するのは「曲先」でしょう。歌はボーカルとメロディで8,9割決まりますよ、歌詞なんて飾りですよ。曲先なら真っ当な作詞家のアプローチをとりますが、詞先で押し通すとボーカルもメロディも不自由しませんか(あるいはシンガーソングライターの才能が必要か)。曲をつけるにせよ「詩」にするにせよ、誰かに委託したいですね。 み う ら さん、 「音によって言葉の意味の縛りを解くことが出来る」というのは興味深いですね。詩評として「語句一つ一つが持つ一般的な心情の意味内に収まってしまった感が強くあ」るというのも有難いです。詩と詞についての見解は上の通りです。
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