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アンパン・マン
彼女が「好きな人は食べたくなるの」というといつのまにか僕の体はアンパン・マンになっていて彼女は僕に顔を近づけてくるのでキスをしてくるのかとどきどきして待っていると彼女は僕の顔を食べたのだった。僕の顔には彼女の歯型と唾液が付いていて、少し嬉しいのだけれどそれとは無関係に僕はアンパン・マンなので弱ってしまう。餡がポロポロと溢れるし、顔が囓られたところから崩壊が始まっている。その事を彼女に伝えると彼女は「アンパン・マンは幾らでも顔が交換可能なんだよ」と言ってさらに僕をどんどん囓ってゆく。鼻が囓られ、匂いがしなくなり、次いで耳が齧られ(あんぱんに耳はないという突っ込みは、此処では意味を成さない。何故なら僕はアンパンではなくアンパン・マンである)音が消え失せ、最後に目が囓られ何も見えなくなった。彼女は僕の顔を全て食べてしまったので、僕の顔は無くなってしまった。すると何処からともなく新しい顔が飛んできて突如視覚と聴覚と嗅覚が復活し、あまりの世界の素晴らしさに僕はほろほろと涙を流してしまうのだった。彼女は得意げな顔で「彼女に食べられるってどんな気分?」と聞いてきたが僕は世界の豊饒さに感動している途中だったので彼女の質問を無視してはらはらと涙を流し続けていた。話そうとするが声が嗚咽になってうまく話せない。すると彼女は僕を放って職場の愚痴をこぼし始めた。僕は彼女の口から溢れ続ける愚痴をテーブルに設置された台ふきんで拭き取らなければならず、やがて台ふきんが愚痴を吸ってひたひたになってしまうので店員さんに言って三回も取り替えなければならなかった。しかも彼女はどうして私の愚痴を飲んでくれないのよと無茶なことを言ってくる。愚痴は体に悪いのを知っていてこういう意地悪をしてくるのだ。でもそういう彼女の意地悪なところが僕は好きだったりする。会計をしてファミレスを出ると月が本当に赤くて大きくてびっくりする。「今日スーパームーンなんだって」彼女が僕の驚きを察知したかのように言ってきた。車に乗って国道を目指す。月が赤いせいでビルの影も赤く染まっている。「ねえ、高校行こうよ。」彼女が言ってきた。こういう突発的なことを彼女はたまに言うのだ。そこが魅力でもあるのだが。前の彼女は全ての行動が僕の予測の範囲を超えないので飽きてしまった。「行ってどうすんだよ。」「校舎に忍び込もうよ。水着も用意してきたし」彼女はいつの間にか水着を持っている。しかも高校の時のスクール水着だ。思いつきだと思ったら用意ずみなのか。僕は内心舌を巻いた。こうなったらこちらに拒否権はない。国道を目指すのをやめて高校の校舎に目的地を変更した。 校舎に着くと彼女はこっちこっちと言ってフェンスの破れ目に僕を引張っていった。学生時代もここから忍び込んでいたのだろう。校舎裏からグラウンドの隅に行くと、プールは干からびていた。流石にこの季節ではまだプールに水は入っていないか。僕は少しホッとした。彼女と違って僕は水着を持ってないし、第一こんな季節に入られたらプールだってたまったもんじゃないだろう。僕は彼女に帰るぞと言ったが彼女はプール際から動く気配が無い。プールの底をじっと覗き込んでいる。風が吹いて校庭の周りに植えてある木がざわざわと音を立てた。僕はなんだか怖くなって、彼女にもう一度「水も無いんだから入れないだろ、プール」と言って彼女に近づいた。彼女は未だにプールの底に何か重要なものがあるかのようにプールの底を覗き込んでいたが、僕が覗き込んでも矢張りプールの底はプールの底でしか無かった。するとおもむろに彼女が僕の服を掴んだ。彼女は今度は僕の瞳がプールの底であるかのように覗き込んできた。「水がないということは水がないということがある、ということなのよ。」僕は最初、彼女が冗談を言っているのかと思い、笑おうとしたが、彼女が真剣な眼差しを崩さないので中途半端な半笑いになってしまった。次に彼女がとうとう完全に頭がおかしくなってしまったのかもしれないと思った。彼女は常におかしかったが、今度こそ、本当に、何かが決定的に狂ってしまったのだろうか。そして彼女の強い瞳をみて、その可能性も消した。それは明らかに正気の目だった。彼女はもう一度言った。ないということは、ないということがある、ということなのよ。これは形而上学的な話なのだろうか。 「これは形而上学的な話ではないわ。」 彼女は言った。 「プールに足を入れてみて」 僕はプールサイドに腰掛け、(もし水が入っているなら)足をプールに入れた。 これはいわゆるごっこ遊びなのだろうか。 僕は雨の日、カーテンを閉め切って床の上を泳いだ子供の頃を思い出した。ドライアイスをお湯を張った桶に入れ、床に置く。すると白い煙が床一面に満ち、そこに寝転ぶと雲の上で寝ているようなのだ。更に青いカーテンを引くと部屋の中が水の中のような薄暗い青色で満たされる… 彼女も僕の隣に腰掛けてきた。脚をぶらぶらさせている。僕も脚をぶらぶらさせようとして自分の足の感覚が消えていることに気づいた。胸の下辺りが急に冷えた。 恐る恐る下に視線を向けると自分の足は無くなっていた。 「あなたは産まれてからこの方、存在しかしてこなかったけど、本当は存在してない時間の方がずぅーっと長いのよ。宇宙からしたらほんの瞬きにも満たない程。だから存在しないことは怖いことなんかじゃない。もっと親しいものなのよ。あなたは宇宙が見た一瞬の夢なのよ。川に浮かぶ泡と同じ。浮かんでは消えて行くだけ。それに、存在しないことって案外心地いいのよ。何にも考えなくって済むし。存在していることに起因する凡ゆる憂鬱や面倒ごとから解放されるわ。」 彼女は真っ黒な瞳で僕の顔を覗き込む。 「死にたく無いよ」 「死ぬんじゃ無いわ。消えるのよ。死ぬと言うことは生きていることの一部だわ。そして生きていることは存在する事の一部。存在しなくなるということは死からも解放されるわ。」 「でも存在しなくなる事は怖いよ。僕は僕が存在しない状態を経験したことが一度もない」 「あら、じゃあこの機会に試してみればいいじゃない。人生何事も挑戦よ。」 「なんて無責任なんだ。」 「でもこれは本当は貴方が望んだ事なのよ。だってほら、」 彼女は僕の脚を、脚が元々あった場所を指差した。 「身体は正直」 無いはずの脚の古傷が疼きだす。小学校の頃、彫刻刀を手に持ったまま背後の席の友達と話していて、躰を前に戻そうとした拍子に切ってしまったのだ。ぱっくりと避けたピンク色の裂け目から血が流れ出し、白のハイソックスを真っ赤に染め上げていた。しかし彫刻刀はよく研いであったので傷口は綺麗に切れており、見た目ほど痛さを感じなかった。何時もは殆ど痛まず、とても寒い日に思い出したかの様に疼くだけなのだが。 それが今何故か痛み出していた。都市伝説程度にしか思っていなかったが、これが幻肢痛というものなのだろうか。僕はもう胸の辺りまで消えかかっている自分の身体を見て思う。身体が全て消えた時にも、幻肢痛は感じるのだろうか。 彼女はプールの底を覗き込んでいる。そこに何かがあるかのように。 僕は消
アンパン・マン ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1788.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 21
作成日時 2019-08-23
コメント日時 2019-09-03
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 2 | 2 |
可読性 | 2 | 2 |
エンタメ | 6 | 3 |
技巧 | 7 | 5 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 4 | 4 |
総合ポイント | 21 | 16 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0.4 | 0 |
可読性 | 0.4 | 0 |
エンタメ | 1.2 | 1 |
技巧 | 1.4 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0.8 | 1 |
総合 | 4.2 | 4 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
yamabitoさんコメントありがとうございます。 ラストは意図的なものです。 存在という存在は龍樹という仏教の本を読んでいたところ、その議論が書かれており、それについて書いてみたいという思いがありました。
0エンタメ性だけではなくて技巧性がありますね。長いですが、先を読みたくなる類の文章、いや詩でしょうか、だと思います。彼女が哲学者を気取っているからでしょうか。季節外れのプールに纏わる話が印象的だからでしょうか。そもそも一番初めのアンパンマンの話はインパクトが強く、現実を譬えて居る内容だとは思えなかった。
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