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羅針盤
鯉を釣ることは 出来なくて 城ケ崎さんを釣る 彼女はエイズに ならない 利口さで ヴェジタリアンに なってくれた ベータは滅び 地価は高騰する この世の中で ウィンウィンはあり得ない この世の羅針盤は 私が司るのだと 思った
羅針盤 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2395.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 1
作成日時 2019-07-31
コメント日時 2019-08-21
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 1 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 1 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 1 | 1 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
フィギュアをルアーにしてタコを釣っているのを思い出しました エイクピア詩は香りは全然そういうのしないが、でも唐突にサブカル要素が出てくるもんだから毎回良い意味で面食らう
0渡辺八畳@祝儀敷さんコメントを有難う御座います。フィギュアをルアーにしてタコ釣りですか。そう言えば、鯉も落葉に食らいついたり、直ぐ吐き出しますが、疑似餌で簡単に釣れそうな雰囲気はあると思います。サブカル要素も、サブカルと言う言い方自体が、何か引っ掛かって、メインカルチャーの嫉妬ではないかと思う事すらありますが、サブカルから得た滋養分で詩作が出来ればこれに勝るものなしと気軽に考えてしまう自分が居るのに驚くことが間々あります。
0お邪魔します。 わたしの知識では、並ぶ言葉たちが何の隠喩なのかさえわからないほど難解な作品でした。それでも、読みやすく書かれているので表面的なところは読めるんですよ。 行の作りが魅力的で、非常にわかりやすく区切られていますね。ここまで丁寧に書かれているのに、なんの答えも見いだせないのは、なんだか情けないので、わたしなりに読み解いてみました。 もっとも、解こうとしてはいけない種類の作品なのかもしれませんけどね。 鯉は出世と相性が良いので出世の事かな。城ヶ崎さんはわたしの知り合いにはいないんですけど、なんだか格式の高そうな家柄に思います。偏見かもしれませんけど。 そう考えると、出世は縁が無かったが、代わりに令嬢を手に入れたというふうにも読めますね。 目移りの激しかった相手も一途に変わってくれた。彼女との関係は安定している。 流動的な株価の変動はもう先が読めなくなり、固定資産の価値が上がる昨今。会社の業績は浮き沈みが激しく、一方が浮き上がれば必ず反対側は下がる。この情勢では、いつどうなるかわからない役職を得るよりも、良い縁談を得た方が吉と言えよう。 安定的な家庭を築いていれば、ゆくゆくは、この船の舵はわたしが操ることになる……と思う。 わたしが読むとこんな解釈になりました。 うーん。こう読み解いて楽しみました、と言った方が正確かもしれませんね。 最後の行が面白いなと思いました。この先のことを言ってるように聞こえるんですよ。今までの事を踏まえれば自分が羅針盤を司ることになるのだろう、そんな希望というか野心というか。確定では無いところが面白いなーと。 色々と解釈を楽しめる、そんな作品に感じました。
0好きです。短く言葉を切られた一文一文が、語り部が訥々と独白しているように聞こえて、ある種の無常感と誠実さを感じました。
0こんにちは。エイクピアさんの作品に触れると、これは何だろう?と思ってしまいます。これは何だろう?と思うのはエイクピアさんの作品に限らずたびたびなのだけど。笑 どのような内容が書かれているのかを解釈すると、今作品は千才森さんのコメントとほぼ同じようなところに、私としても落ち着いたのですが、それならば散文としてでも、もっと読みやすい文体としてでも書けるはずなのに、どうしてまた次から次へと意味の流れを断ち切るような、こっちの石からあっちの石へ飛び移っていくような言葉の置き方を選ぶんだろう、と思います。 逆の言い方をすると、「物事を筋道立てて(時にはイメージや喩えを使いながら)わかるように語る」ために言葉がある、といった馴れきった通念を揺さぶられます(この通念は、いかんな、とわかってはいても気がつくと頭をもたげてやっかいなのですが)。そういう意味でとても刺激的でもあります。で、刺激的という面でいうと、語調が緩やかなのでじわじわ侵入してきて、なんというか、フェザータッチのような、はっきり言葉に固定できない刺激に味があるな、と思います。 仮に解釈されたような内容がテーマとして存在していたとしても、またはしつつも、それを散文として、あるいはわかりやすい詩的な形式を与えたところでどうするの?という詩意識が介在している。のかはどうかは憶測ですが、そうしたテーマを底に沈めつつ、表現上では方々に、次から次へ跳躍しては消え、現れてはまた跳躍する感覚を味わえるのは新鮮です。
0千才森 万葉さんコメントを有難う御座います。ああ、出世魚。私は出世魚と言うとブリを思い出すのですが、多分出世魚的なニュアンスが鯉で出て来るのは鯉の滝登りとか、鯉が龍になると言う中国の古い伝説から来ているのだと思います。そうですね、万城目とか、城ケ崎とか令嬢と言うニュアンスはあったと思います。経済の流動性は本当に激しくて、大雑把な情勢すら軽挙妄動するべきではないと思いますが、詩では地価とかウィンウィンが経済的なニュアンスで私も出したのだと思います。司るとか思ったは主情的な意思的な印象を与えてしまったのか知れませんが、私としてはそれすら、多分に空想的ですが、社会的な地位の高い人があまり主観的な意見を言えない縛りの中で発言をしたみたいなニュアンスで出してみたと言う側面もありました。
0汽水さんコメントを有難う御座います。無常観は直接は表明しなかったのですが、ニュアンスではあったのかもしれません。仏教的なタームは出掛かっていていつも出ませんので、今後直接的な詩表現となって出てくる可能性はあります。
0藤 一紀さんコメントを有難う御座います。そうですね、普通の散文を否定して居るわけではないですし、詩の象牙の塔にだけ閉じ籠ろうと言う姿勢でもないのですが、詩語の独立と言ったことはよく思います。物事を筋道立てて語ると言う事にも憧れています。特に数学の言語、跳躍的な直感や突飛な飛躍をしているにも関わらず、そんな事つゆにも出さずに筋道立てて論証する姿勢からはプラトンやデカルトの主張が氷解するような思いです。詩学と言えばアリストテレスかもしれませんが、哲学原論や数学原論に憧れて私は詩作をしているのかもしれません。あくまでイメージですし、単なる理想ですが、やはり良き詩作と言うステレオタイプは、物理の問題で満点を取るイメージだと思うのです、直接には詩作と結びつきませんし、自分でも具体的には噛み砕いて説明できないのですが。
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