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暗号解読
世界は暗号でできている。 耳慣れない言葉、意味の分からない記号、自然の複雑な造形、みな暗号の一部だ。 雪の結晶、山の稜線、川や沼の形、それに植物の生育や星々の運行も、秘められた意味を帯びている。 なのに、ぼくはちっとも暗号が解読できない。読めるのはわずかにニホン語と、イヌの言葉が少しだけ。世界中いたるところ謎と暗号が満ちているのに、ぼくはカタツムリよりも、クダクラゲよりも無知文盲だ。 ロシア語も古文書もスワヒリ語も読めず、ヒエログリフも楔形文字も分からない。植物のことば、DNAの暗号、素数の不思議、素粒子の奇妙な振る舞い。そして宇宙の創生をめぐる暗黒のカオス。ああ、何ひとつ分からぬまま呆けていくだけだ。 いつもの曲がり角で、だれかが囁く。 振り返ると、ぼくは決まって石になる。 石になり、やがてひび割れ、ぐちゃぐちゃに溶け出し、また固まって石になる。 なぜそのリズムがつかめないのか? なぜ彼らの歌が聞こえないのか? 解読のカギは一体どこにあるのか? 服を脱ぎ、ギプスもはずし、屋根にのぼって胸を叩く。 ときに歌い、ときに嘆き、ときに太鼓を叩き、また迷路に分け入っていく。 論理回路の迷宮。時間の迷宮。こころの迷宮。 分析と解釈にはどこまでいっても果てがない。 癌細胞のように、謎と仮説が膨れ上がっていくばかりだ。 だが死んだ蛇のように伸び切った迷路の奥底で、ヒカリゴケが静かに輝き始めるころ、集めたデータが徐々に変質していく。ぜんまいが緩むように意味が希薄になり、次々に崩れ落ちて蒸発する。 そのとき、わたしはようやく気付いたのだ。 心は身体以上のものではない。身体は心以上のものではない。 新しい言葉を知るということは、意味や文法を覚えることではない。 言葉の海を泳ぎ、大量の水を飲み込み、その味と形と粘り気を丸ごと味わい、言葉の中で一度死ぬことだ。 踊ること。踊ること。ただ痙攣的に踊ること。 半死半生で生きること。光のなかで、震えながら愛し続けること。
暗号解読 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1324.5
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 7
作成日時 2019-06-15
コメント日時 2019-06-15
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 1 | 1 |
可読性 | 2 | 2 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 3 | 3 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合ポイント | 7 | 7 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0.3 | 0 |
可読性 | 0.7 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0.3 | 0 |
総合 | 2.3 | 2 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
やはり、agathさんの詩はうまいです。またそれだけでなく、言及の多様さで、広い世界空間を作るという 結果を導くことに、やはり安心感を覚えます。 カギはどこ、と提議して、心と身体と導き出す。そして、言葉の大海を泳ぐという締めの結末。 >光のなかで、震えながら愛し続けること。 最終行で、この、光のなかで、という言葉は、なかなか出てこない言葉だと思います。
0黒髪さん、お読み下さってありがとうございます。 以前「暗号解読」という本を読み、チューリング・マシンやエニグマその他、気の遠くなるような記号と論理の世界の一端に触れました。その感覚を少しでも作品化できないかと思ったのですが、同時にこれは、詩作についての自戒の言葉でもあります。ご指摘の「光のなかで」は、K・ジブランというレバノンの詩人の言葉からヒントを得たものです。(「死とは風の中に裸で立つこと、そして光の中に溶け入ること」)
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