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彼女と私
いつも人の揚げ足を取って、私をいじめていた彼女は、 新しく入った高校で、沢山の友達に囲まれ、昔の意地汚い性格を隠しながら、青春を謳歌している。 虚弱体質で、昼夜逆転の生活を送っていた、少し地味な雰囲気の彼女は、 髪を伸ばし始め、その長く伸びた髪は緩く巻かれていた。服の趣味も変わり、随分と大人びた姿が目についた。 口八丁で、笑顔の絶えない可愛い彼女は、 勉強についていけず、精神を病み、通信高校へ通うことにした。今では、自分の夢に向かって、日々努力しているのを私は知っている。 周りの子は、どんどん変わっていき、 次々と自分の個性を磨き得ている。 何も変わってないのは、私だけ。 変わろうと思うのは、とても簡単だ。 実際は何一つとして変えられない、変わる事はとても難しい事だ。 自分の性格、思考、身体、個性の全てが嫌だ そう悲観する事を止めてくれる人が居れば、どんなに良い事か。 彼女と私、 彼女達と私は、一体何処が違うのだろうか。
彼女と私 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1412.4
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 108
作成日時 2019-05-16
コメント日時 2019-05-17
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 31 | 31 |
前衛性 | 12 | 12 |
可読性 | 30 | 30 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 5 | 5 |
構成 | 30 | 30 |
総合ポイント | 108 | 108 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 10.3 | 1 |
前衛性 | 4 | 0 |
可読性 | 10 | 4 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 1.7 | 0 |
構成 | 10 | 5 |
総合 | 36 | 9 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
おはようございます、よろしくお願いします。 久しぶりに目に留まり何か話しかけたくなったのが、この作品 果たしてこれが詩に値するのか 自室で自問自答する女子なのだか男子なのだか定かではない一個が腹に溜まった念をゆっくりと吐き出し、息を吸い込み 吐き出す様 その光景が目に浮かぶというより 読者である私自身が部屋に漂う塵になり その様を垣間見ているような 特段テクニックや小難しい言い回しなどは感じられなかったのでカウントはできませんでしたが 事この作品に関したらそれは必要ないように思えました。
0彼女達との違いは、本当は私が一番よく分かっているようにも思います。 それは、行動しているかどうか。 彼女達は、ちゃんとそれぞれに行動していて、その結果変わっていっている。 私に必要なのは、具体的な行動と、視野を広げることだと思います。 具体的に、自分のどういうところが嫌いなのか? 例えば、人と話すのが苦手な自分が嫌いなら、話しやすそうな人に自分から話しかけてみるとか。 あと、本を読んだり、音楽を聴いたり、自分とは違う人の視点を取り入れるのもいいと思います。 悲観して何もしないのは、楽だけど、たぶん楽しくはない。 人と比較しての劣等感なんて捨ててしまって、いい。 私がどうしたいのか、そっちの方が大切に思います。 >彼女と私、 >彼女達と私は、一体何処が違うのだろうか。 この最後のところの問いは、とてもいいなと思いました。 本心からの叫びの問いという感じで。 そういう問うことは、ずっと大事にしていってほしいです。
0李沙英さん、コメントありがとうございます。 詩を書き始めたばかりなので、詩特有の言い回しができていなかったり、詩と小説を履き違えて書いていたりと、まだまだ勉強しなくてはいけないと感じます…。
0おはようございます。一連目、二連目そして三連目の彼女に共通していえるのは、女子力が上がっている彼女たち典型だなと 思いました。女子力というものは なにかしらのお手本の真似しているのだと思われます。ハウツーにさえ出会って その通りに行動したら女子力は かならず上がります。 つまり、彼女たちと 作者さまとの違いは お手本に出会っておられないんじゃあないのかあ。って思いました。お手本なんて なければないで お気持ちさえ安定させられば 幸せな気持ちになるはずだと私は思います。でも、どうも不安定なお気持ちがお辛いのなら とにかく今より 視野を広げて 様々のものに触れて、嫌ではない自身になる努力をするしかないような気がしました。ご自分を変えられるのは、ご自分しかないですよね。 わたしもなにかがんばろうって思えました。ありがとうございます。
0かつて「しりかげる」というハンドルネームのネット詩人がいたので、まさかその人が現れたかとびっくりした。 こういう詩に対して私がいつも言っていることをコピペすれば、「言葉が本来持つ情報(=語義)をx、詩文が持つ情緒諸々すべてを含めた情報をyとして、その量がx<yであることが詩の定義である。そして、xとyの差が大きければ大きいほど良い詩だ。 」となる。一応断り申しておけば、この定義は私オリジナルのものだ。 この詩が伝えたいことをが後半に書かれてしまっている。道徳の教科書みたいに「教え」を詩から得ようとは私は思わない。なので明確に意味伝達を目的にした詩を前にすると私は結構興ざめしてしまう。 このビーレビをぜひ練習の場として活用してください。
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