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虹
昼食を食べ終わった似たような人たちが 温々とした部屋の中を歩いたり椅子に坐って ゆったりと過ごす休み時間 部屋に一台あるテレビにちょうど 音声も静かに表示される あちらこちらの今の外の天気や明日の天気予想 みんな激しいニュースよりは 空を眺めるように知らず知らず こんな小さい情報を見たいものだ 僕も自分が使った皿を黙々と洗っているところ 泡を落としながら思いもしなかったことが頭に浮かぶ 穏やかなしかし確実に悔しさを孕む想念が流れ始める 昨日の夕方 僕たちはみんなで一緒に虹を見たのだった 虹にまつわる物語が数秒のあいだ皿の表面に凝集する これまでの人生で僕は何回虹を見たのだろう 多くもないが少なくもない ちょうどいい心地よい数字とはこのことだ 虹はいつ見ても虹と呼ばれる同じものだ 確かに濃淡や大きさや見えた時刻や場所は違うけれども 僕たちはあんまり形容詞や副詞なんかを付けずに虹のことを言う ただ虹のことを思うとき いつも一緒に言いたくなるのは 誰と一緒に見たかということだ 少年時代に友達と見た虹は特に鮮やかな記憶となっている はっきりとその友達の名前をすべて挙げることはできない場合でも 顔は見えるようだし声は聞こえるようだ 或いは父親と見た虹 そのときの父親の表情や声 自分の背の低さなど 想像の中で僕は突然 社会人になってから間もない頃の情景を見る あのとき一緒に同じ虹を見た仲間 ビルの窓から虹が見えたのだった 虹だ虹だと言って騒ぎ写真まで撮って現像して配り合った でも彼らはもういない あの虹以降 昨日まで虹は見なかったような気さえする 本当かもしれない 古いというか新人時代だったあの頃 僕たちは自分たちの中で誰がすぐれていて 誰ができが悪いかなど意識せず仕事に夢中だった 一緒に同じ虹を見たときのみんなの気持ちは その虹に重なるように透明かつ光り輝き 虹が消える過程を見送るあいだの気持ちにも同じ緩やかさがあった 虹でなくても何を見ても同じ現実を見出し 同じ理想を見 実現するために取ったアプローチもベクトルも違わなかった しかし若干の時を経ると 僕たちのあいだにまずは能力的に それから感情的にというように差異が生まれ始めたのだ 感情の差異は能力の差異に還流し もう見分けが付かなくなっていった 人間の醜さを僕は目の当たりにした のぼせ上がってしまっていた僕も悪かったのだろう でも弁明すれば 羨みを表に出すのと喜びを表に出すのとどっちも同等に見るべきではないか 僕を称えてくれたのは年配の人たちだった 若い人たちの羨望は賑やかになる一方で 僕の孤立は際立つばかりだった 厳しい状況であったときに 僕たちのボスが社内に愛人を作った 愛人もまた僕を妬んだ 僕は社内に愛人がいるなどという事態を受け入れられなかった 他の人たちは黙認して自己の生活の安定を一番に考えた また僕の孤立が深まった 事の挙げ句僕は退社した 友人もコネも作れないまま或いは失ったまま 虹の消えるさまが見えるようだ 昨日のように虹はいつかまた現れるだろう そのときには誰と一緒に見るだろうか 或いは一人で見るかまったく知らない人と偶然見ることになるかもしれない 皿を洗い終えた僕は窓辺に寄り 昨日虹を見た方角を見上げた まっすぐに高く伸びた杉の梢にカラスが一羽飛ぶのが見えた
虹 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1467.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 6
作成日時 2019-05-01
コメント日時 2019-05-01
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 3 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 2 | 1 |
エンタメ | 1 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 6 | 2 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0.7 | 1 |
エンタメ | 0.3 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 2 | 1 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文