僧 - B-REVIEW
新規登録
ログイン
PICK UP - REVIEW

ことば

ことばという幻想

純粋な疑問が織りなす美しさ。答えを探す途中に見た景色。

花骸

大人用おむつの中で

すごい

これ好きです 世界はどう終わっていくのだろうという現代の不安感を感じます。



作品を
別枠表示

   

新鮮な僧に治安を担当させる 狂犬集会が開かれ 猫のいなくなった公園 村の狼が徘徊し 鳥の羽根は食いちぎられた シアン化ナトリウムの拡散と 春の北風の強さは 公衆を不安に陥れた モアイを愛して イースター島には行けず 猛打の阪神打線を羨ましがった私だが 僧は治安をいじり 打線など歯牙にもかけない いじり続けて終わる 頼もしい僧に私は感服している


僧 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 10
P V 数 : 2509.2
お気に入り数: 1
投票数   : 0
ポイント数 : 18

作成日時 2019-04-28
コメント日時 2019-05-12
#テキスト
項目全期間(2025/04/10現在)投稿後10日間
叙情性22
前衛性66
可読性00
エンタメ22
技巧55
音韻00
構成33
総合ポイント1818
 平均値  中央値 
叙情性0.40
前衛性1.21
可読性00
 エンタメ0.40
技巧10
音韻00
構成0.60
総合3.64
閲覧指数:2509.2
2025/04/10 04時22分06秒現在
※ポイントを入れるにはログインが必要です
※自作品にはポイントを入れられません。

    作品に書かれた推薦文

僧 コメントセクション

コメント数(10)
tOiLeT
(2019-05-01)

このシュールな世界観にあって、僧に感服してる『私』とは何者なんだ!? そんな、感服している『私』に感服してると、このシュールな世界を外側から傍観しつつもちょっと参加してるような気分になり面白いです。 つまりはその状況ふくめてエイクピアさんのワールドとでもいうか?

0
エイクピア
(2019-05-01)

沙一さんコメントを有難う御座います。ああ、モヤイ。私のはイースター島の常識的なモアイでした。ハロウィンですか。最近は確かに渋谷がハロウィン絡みでよく報道されているようですが、この詩を詩作して居る時はハロウィンは思い浮かべませんでした。阪神打線=猛虎はやはり22年ぶり?だったかで優勝した1985年のバース掛布岡田打線でしょうかね。バースと落合がセリーグとパリーグでそれぞれ二年連続三冠王をとった時代はプロ野球的には結構な時代だったと思います。

0
エイクピア
(2019-05-01)

tOiLeTさんコメントを有難う御座います。そうですね、「私は」詩作に必須なアイテムだと私は思うのですが、この詩では「私」は僧に感服していますが、多分に皮肉な感じは出せませんでした。イロニーはあまり意味がない場合も多いかもしれませんが、イロニーを意識してイロニーを消せれば詩がうまくいくと思ったのです。参加感、インタラクティブな感じを気にしませんでしたが、僧と私は公衆の参加を期待しているのかもしれません。

0
岩垣弥生
(2019-05-02)

浄土真宗では聖にもあらず俗にもあらず、といいますが、僧は一般的には聖に属する人物です。 しかし、この作品の僧は独特な価値観で町を治めている俗な側面を感じさせながら、ある種達観している聖人のようでもあります。「私」の思考も飛躍していて、行間から何とも言えないおかしみが滲みでています。 この作風やっばり好きだなぁと思いました。

0
岩垣弥生
(2019-05-02)

僧にもあらず俗にもあらず、の間違いでしたm(__)m

0
左部右人
(2019-05-02)

すみません、僕にはこの詩が書かれなければいけなかった理由が分からない。「シアン化ナトリウム」や「イースター島」が出現する意図も読めない。もしも、お時間ありましたら、ご教授いただけると幸いです。「詩が書かれた理由がない」のかもしれませんが。

0
宝塚橋乃
宝塚橋乃
(2019-05-05)

サフラン摘みを思い出す。

0
エイクピア
(2019-05-12)

岩垣弥生さんコメントを有難う御座います。そうですね、明治維新以降、僧の肉食妻帯が一般化したのか、以前からそうだったのかは、寡聞にして知らないのですが、もしかしたら、世俗的権力と教権とが激突していた戦国時代辺りを思い浮かべて居たのかもしれません。この場合の教権は政教分離から導き出される宗教側の教権ですね。なので僧侶は僧侶でも蓮如(れんにょ)とか教如(きょうにょ)とか、浄土真宗の中興の祖、信長と石山合戦で争った時のトップ、最高権力者を想定して居たのだと思います。

0
エイクピア
(2019-05-12)

左部右人さんコメントを有難う御座います。そうですね、シアン化ナトリウムは「公衆の不安」を導くために用いましたが、イースター島やモアイは気散じなんだと思います。阪神の猛打打線でもそうですが、「私」は外の現象に気が気ではない。気散じが必要だ。気晴らしと言ってもいい。自分がよくない現象の原因であるかのような発想です。「私」は不安感を払拭したい。そこで出て来るイースター島やモアイですね。以上は詩の内部の解説なので、「この詩自体」が書かれねばならなかった理由にはなって居ないのかもしれません。もしかしたら吉岡実の「僧侶」と言う詩が念頭にあったのかもしれません。オマージュではないですし、似ても似つかない詩ですが、念頭にあったと思います。

0
エイクピア
(2019-05-12)

宝塚橋乃さんコメントを有難う御座います。ああ、吉岡実の詩集。高見順賞。これから読んでみたいと思います。

0

B-REVIEWに参加しよう!

新規登録
ログイン

作品をSNSで紹介しよう→

投稿作品数: 1