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黄昏の告別
人間の愛は実に複雑だ。 しかし、私は、物事を単純に見て解決するすべを覚えつつある。 魔術師と儀式主義者は、最も地に足をつけた種族である。 恐れるな。 失敗を恐れるな。 プライドへの執着を捨てよ。 今、高校時代なかのよくなった同級生との記憶がよみがえってきた。 しかし、私自身は、ほとんど怒りを覚えることはなかった。 自我が脱落しているからである。 愛情より感謝は偉大であり、感謝より自由は偉大である。 あらゆる苦しみから解放された私は、悲しみや苦しみや喜びを全力で生きる、一市井の民。 radhesyama 恐れがないやつなどいない。 恐れつつも前進し続けるものを勇者と呼ぶ。 この残酷な自然界を生き抜け! 闇とか悪と呼ばれるものは、覚醒したものから見れば、純粋な力であり、光であり善である。 俺はリアルなものをもとめているんだ! 力を! どんな醜いものも暗いものも乗せることができる自由を! プライドとアイデンティティは違う。 アイデンティティとは、自分自身を信じ、暗闇へと入っていく力のことである。 矢に射られた鹿のように苦しみながら逃げ惑う。 あとちょっとだ。 ゴールに達するまで。 ゴールに達したら別のゴールを見るだけだ。 フィリポの十字架 地面と垂直に勃起したペニス。 騎乗位のときのペニスは、天をむいた聖ペトロ十字であり、創造主ブラフマーである「女」に最も喜ばれる体位のひとつである。 俺は、もう昔の、プライドばかり強くて弱く、ありのままを見れなかったころの俺じゃないんだ。 闇と悪を鋭く知り尽くすことが男としての自立の条件だ。 今、8年前、恐る恐る悟りを求め始めた求道者の青年は、勇者になっていた。 そいつが、人生でどれくらい打ちのめされて、闇を見てきたかは、 その深さは、見ればわかる。 闇は人の我を落とすからである。 チンポ騎士団は、女の闇なんか見てない。 やつらは弱いやつらだ。 ブスフェミ野朗共め。今に見てろよ! いや、非真実なものは現象界に存在していてもすでに死んでいのだ。 たくさんの闇を見せてくれて世界よありがとう。 女よありがとう。 おかげで強くなれたよ。 構造と象徴を超えた超越的なものがあるのではない。 その中に浸透し、それ自体の矛盾を暴きだし、其の非一貫性ゆえに、それは深淵を見せるのである。 闇は今日も豊穣であった。 夕日はあの、電車に飛び込んだホームレスのおっちゃんの真っ赤な血の色であたりを染めていた。
黄昏の告別 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2817.6
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 69
作成日時 2019-04-05
コメント日時 2019-04-20
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 7 | 5 |
前衛性 | 11 | 11 |
可読性 | 7 | 7 |
エンタメ | 26 | 26 |
技巧 | 6 | 6 |
音韻 | 5 | 5 |
構成 | 7 | 7 |
総合ポイント | 69 | 67 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1.2 | 0 |
前衛性 | 1.8 | 0 |
可読性 | 1.2 | 0 |
エンタメ | 4.3 | 3 |
技巧 | 1 | 0 |
音韻 | 0.8 | 0 |
構成 | 1.2 | 0 |
総合 | 11.5 | 8 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
はい。 笑っちゃいました。笑いは狙いの一部……ですよね。 悟っているようで、でも若さが暴走している感じが、少し微笑ましく、また滑稽なでこぼこになっている。 言っていることがどんどん変わっていく感じ、Aを言ったらB、今度はCとどんどん置いてきぼりに浮かんでくる言葉が、 春先のふわっとした感じ、躁にも似た忙しなさのようなのを出していて、味がありました。 なんだろうな、実感の無さというのがあって、それも含めて、自分もある日に通り過ぎた想いみたいなのが、なんだか浮かんできたな。 リアリティが薄いのが、リアリティがある。なんか良くわかんないコメントでごめんなさい。
0いわゆる大人とは退屈して家具のようになってしまった人だ。 そういう人には、死ぬほどの苦痛もない代わり。本当の安らぎや喜びもない。 悟りの世界は一生青年の覚醒状態を保つことなのだよ。
0taishi ohiraさんの世界 素敵 taishiさんの喜怒哀楽を私に埋めて
0貴方の 1番の玩具になりたい kei
0thnx
0何回かに分けてコメントを送ることになると思います。 今回は、この作品の長さ、多さに、単純に感激したことを伝えます。 短い作品が多く、またそれらがけっこう好評を得る中、そして私もそれらの中に良いものがあることを認めてきているのですが、少し物足りなさを、時には「またこの手の詩か」というような困惑の気持ちを持つこともある中、この『黄昏の告別』という作品のように、長く、多く書かれたものを発見して、私はとてもうれしいです。
0初めの三行についての所感。 >人間の愛は実に複雑だ。 >しかし、私は、物事を単純に見て解決するすべを覚えつつある。 >魔術師と儀式主義者は、最も地に足をつけた種族である。 私はこの部分を読んで、自分がかつて「機械になりたい」と表明したことがあるのを思い出しました。 機械はこの複雑な世界で、何をしても誤ることのないものです。 そして私は『魔術師と儀式主義者』の次に『機械』を並べてもよいと思いました。 『Let it be』『Let it go』などの教訓的な言葉も慰めとなったり良い結果につながることもありますが、私はこういう軽い教訓に従った結果、誤った帰結に至ったことがあります。 多くの場合、魔術や儀式は計り知れない経験の賜物です。 それらには誤りや迷いを避けるための機能が備わっていることが多いです。 肯ける三行でした。
0恋愛は理想主義者たちが12世紀ごろにもたらしたものです。それが今日、ここまで商業化されたのです。 地に足をつけた「魔術師や儀式主義者」が優勢だったならば、恋愛はなかったでしょう。 しかし、恋愛は肉欲と、霊的な愛の過渡期的なものです。 そういう意味では、それは悟りへの手段となるのです。 魔術師とは阿頼耶識にアクセスできるもののことで、儀式主義者とは、地上に霊的なものを凝結させる能力をもつものです。 ニーチェは言いました。超人とは大地の意義である。 阿頼耶識に達し、現象界に圧倒的優勢を持つものを超人と呼びます。
0物質界 儀式主義者 情緒界 理想主義者 精神界 科学者 直観界 芸術家 意志界 魔術師 芸術家から魔術師になっていく詩。
0かなり知見に差があるようで、私は自分の勉強不足を認めざるを得ません。それにもかかわらず私は、自分の持っている限りの力で、ソクラテスの前で自分の考えを言う者のように、コメントを続けたいと思います。 この『黄昏の告別』という作品は、大きな改行を二回おこない、三つの連に分けて書かれています。急ですが、最後の連について言わせていただきます。なぜならこの連に、一応は(一応はです!)、『黄昏の告別』というタイトルの由来をうかがうことができるからです。 >闇は今日も豊穣であった。 と、完了形になっていることで『告別』であることを察することができ、また、次行(最終行)に『夕日』が出てくることから『黄昏』であることを知ることができます。明確には第二連に多く『告別』を読み取ることができるのですが……。 そしてここの『闇』という字は、この作品中で八度目で最後の使用ですね。 単純ですが、私はこの連から、以前読んだ『真昼の暗黒』という小説のタイトルを思い出しました(アーサー・ケストラー著 中島賢二訳 岩波文庫)。『闇』が『今日』の昼にあったと言うのですから。 最終行は穏やかならぬ、現実的な(リアルな)描写をしていますね。この『リアルな』という語は、第一連の中に出てきます。 >俺はリアルなものをもとめているんだ! 今回のコメントでは、とりあえず上に書いたような確認をしたかったのみです。
0>フィリポの十字架 >地面と垂直に勃起したペニス。 >騎乗位のときのペニスは、天をむいた聖ペトロ十字であり、創造主ブラフマーである「女」に最も喜ばれる体位のひとつである。 この部分は、性を扱った表現という一面的な観点からすると、私の狭い読書体験から感じることだが、ヘンリー・ミラーや村上春樹がおこなった表現に並ぶか、それらよりもすぐれているのではないだろうか。
0リアル=現実的というよりは、力の感覚、人が取り乱すようなリアリティという意味ですね。
0作品をどのように鑑賞するかは人それぞれの自由だと思うが、また一方で、正しい鑑賞を目指すということもなければならないと思う。その目的もあってこのようなコメント欄やポイント欄が設けられているのだろうと思う。 それでちょっと私が気になったのが、この作品について投じられたポイントの数を見るに、現在『エンタメ』に11ポイントとなっており、『前衛性』と並んで、他の項目よりも二倍ほど高いということである。 『前衛性』は分かる気がする。しかし『エンタメ』が私には分かりにくい。『エンタメ』という語の意味を広く取れば、まあ分かるかな、といった感じである。 この作品については私も未だ「分かった」と言えるほどではないが、どうもかなり深刻で、暗くて、重い内容を持った作品だと思う。『エンタメ』にポイントを入れる気になれない。 もし『思想性』『精神性』『人間性』といった類いのポイント項目があれば、私はそこにポイントを入れたい。そしてこういうポイント項目に合う作品はけっこうあるのではないだろうか。
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