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【批評文】鳩村「かみさま」~お前の背中にはズックの跡があったよな~
詩人ってさ、トラブルがあるとよくSNSで「傷つきました」とか「悲しいです」とか書くじゃん。あれ個人的に嫌いなんだよ。パブリックな問題であっても問題の判断を極私的な感情に委ねてしまっているわけで。感情を定量化して提示するならまだしもさ。おめぇの感情なんておめぇ以外には関係ないんだよ。 そんなことを言いつつも私も詩の読解には極私的な感情を入れてしまう。ことこの詩に関しては。 「かみさま」は例えるならゴリゴリの一刀彫だ。ノミの跡とかそのまんまで、スタイリッシュからはかけ離れている。しかしその作為の無さ(実際に無いかどうかでなく「無い」ように見せる技術)こそが見せるものもあるだろうと。 私が生まれ育った福島市は、都会みたいに小さいうちから私立の学校に通わせて英才教育なんて文化は全く無いので生まれた地域の学校へ自動的に通うことになる。だからほんと色んな奴がいた。「かみさま」のコメント欄にも書いたがほんと色々に。早稲田行った奴の一人は外資系のコンサル会社に4月から就職で、初年度から年俸600万だって。しかもひとつ上になると一気に900万までいくとか。逆に小中は賢いほうだったのに高校で発達障害が見つかりその後復活もできず、未だ地元でふらついている奴もいる。料理の学校行くとか言ったりもしたが、まぁさ、実現は難しいじゃん。悲しいよね、たぶんいまのまんま老いていくんだよ。 んでやはりコメント欄にも書いたが「モアイ」というあだ名のやつが小中にいて、中3時点で掛け算割り算も怪しいタイプだった。いまのネットスラングでいうと「ギリ健」。ギリギリ健常者の意味。通帳が交付されるほどではないが健常者として生きるにはハンディキャップがありすぎる。 「かみさま」の詩中主体はこの「モアイ」を連想させるんだよ。 いるよね、ほんと、「かみさま」みたいな、「モアイ」みたいな奴、悲惨な奴。私の中ではもうそれがダブってしまってしょうがない。身近にああいうのがいた人ならわかるでしょ、この悲哀。逆に言えばいなかった人には到底わからないのかもしれない。 んでだ、いま私は就職のため23年間住んだ福島を離れ東京にいる。そこら辺に関しては拙作「進学や就職」(https://www.breview.org/keijiban/?id=3132)も読んでほしい。私なんて決して高尚な身分ではないが、でも現在の情況として「地元に残るマイルドヤンキー」と「都会へ出るエリート」の二分化が日本では起こっているんだよね。全然全然だけど、でも一応自分も国立大出だから世間的にはイイ身分になってしまう。で、マイルドヤンキーとエリートってはそれぞれ全く交流をしない。マイヤンの交流は地元で完結し、エリートは地域を飛び越えて遠方とばかりになってしまう。相互が断絶するのだ。 だからさ、私の人生のなかでもう「モアイ」と交流する機会はほぼ確実に無いんだよ。もしかすると地元帰った時に見かけるなんてことはあるかもしれないが、しかしそこからの発展は無いだろう。たとえ話したとしても互いのノリとかもはや違くなっているだろうし。ねじれの位置だね。なぁさ、一緒に給食食ったんだぜ、一緒に雑巾がけしたんだぜ、一緒に下校したんだぜ。なんでその後の人生ではバラバラになってしまう。 もうさそんな感情が湧き上がってしまうんだよ、この詩はさぁ。荒とかいっぱいあるだろうけど、でも刺さるんだよ俺には。わかるやつ、いるだろ? ただ今読みかえして思うのは、すべてひらがなでなく小学校低学年レベルの漢字は少しまぜたりするともっとリアリティが出たであろう。それでも、この詩はすごいよ。
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作品データ
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作成日時 2019-03-29
コメント日時 2019-03-29