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2020.4.19ピエロの走り書き
あの娘が 太陽の黒をかじれば 眠りから覚めた赤子が 夢物語を手にぶらさげて 「そう」 と頷いては空を射貫き 血塗られた服を着こんでは 「さあ」 と呼びかけて民衆の王に変わりゆく 月を眺める群衆の血 水面に映るリストの傷 幼い女の子が流す涙 灰色に覆われていくブルースカイ 速まるのは鼓動ばかり 遠のくのは幸せ 赤子が夢見たのは恍惚で 赤子が手にしたのはディストピアで 赤子が送られるのは断頭台で いつか切り落とされるは王の首 世界最大規模のエンターテイメントショーに 招かれたのは自死を決めていた僕ら 運ばれるのは死の床の棺で 僕らは赤子に埋葬されていく 黒服のレジスタンスが淘汰されるのは避けられず 僕らの気取った物言いとスタイリッシュな立ち居振る舞いは それは若者を熱狂させて街頭でのバリケード戦へと導いたものだ だけど頭目を失ったフォロワーの若者たちは 無軌道な情動の化け物へと成り代わり 今では女の情欲を追い回すだけ 太陽が沈もうとしている 最早僕らでさえ手がつけられない 赤子のお目覚めだ それは凋落が定められた上での ライジングだ 赤子が夢見たのは理想郷で 赤子が築いたのは残骸で 赤子が送られていくのは絞首台で いつか締めつけられるは王の首 響く 痛みの音だけが 響く 痛みの音だけが 響く 痛みの音だけが 響く この東京で 世界最大規模のディナーショーに招かれたのは国賓クラスの人々だけだ 強靭なセキュリティを抜けて会場に忍び込んだ暗殺者集団の「奇形児」は 銃を乱射させて殺戮の限りを尽くした 「奇形児」の過激な思想はネット上でも 国政レベルでも秘密裡に危険視されていて それが人々の明るみに出たのは最大の悲劇の場だったわけさ あとは赤子の王の首が切り落とされるのを待つだけ 全くもってやるせない 響いているよ この胸に 響いているよ この耳に 響いているよ この瞳に 響いているよ この咽喉に 響いているよ このこめかみに 響いているよ このみぞおちに 響いているよ この胸に 痛みの音だけが 2020を迎えたこの東京で
2020.4.19ピエロの走り書き ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1410.6
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2019-01-30
コメント日時 2019-02-18
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
2020っていうことは東京五輪を意識されてるわけですね。 ということは「奇形児」は五輪反対派を指していて、赤子はその組織の連中もしくは取り巻きといった感じですかね。 もしかしたら「AKIRA」みたいなパラレルワールド的な東京をイメージされたとか。(AKIRA見たこと無いのでよく知りませんが。笑) 一方で、「灰色に覆われたブルースカイ」でぱっと浮かんだのが北京五輪だったんです。 “速まるのは鼓動ばかり 遠のくのは幸せ”っていうのが、北京の汚染された空気の中でランニングしていた市民ランナーが肺がんになったという話を指しているのかなぁと。そう考えると、五輪というエンターテインメントに招かれたのは汚染された空気の中で走っていた選手たちであり、棺はスタジアムなのではないかと。 そう考えると、「棺」を作ることを反対した影響力のあるアスリートが民衆を躍動して「新国立競技場建設反対」→「東京五輪反対」につながるんじゃないかなと思いました。 その中で、「痛みの音」っていうのはもしかしたら「ミュンヘンオリンピック事件」のことを指していたりして。 となると、「東京五輪反対」というよりは、そもそも「五輪反対」を叫ぶ詩なのかなと感じました。
0柿原さん、コメントありがとうございます! お返事遅れました。この詩はですね。東京五輪反対の詩ではないです。そのようなディティールに富んでいることも事実ですが。この詩は政治的寓話、寓意の詩として読んでも充分なのではないかと思っています。首を斬りおとされる王とは、別にナポレオンでもロベスピエールでも皇帝ネロでも、何ならヒットラーでもよいのです。それぞれのパラレルワールドにおける独裁者、暴君、墜ちるべき人、星を思い描けばよいのです。そこからこの詩の読み取り方も見えてきましょう。以前僕は「瞑想する世界」という詩で「政治的ファンタジーの詩を書いているのか」という批判めいた指摘を受けたこともありましたが、辛辣な寓意、寓話性を持つファンタジーならそれでも特段構わないと今では思っています。だがしかし柿原さんがこの詩から多くのイメージを喚起していただけたのは事実であり、嬉しい限りです。痛みの音が「ミュンヘンオリンピック事件」を想起させるとは、予想外でしたが、それもなかなかいい風味が出ているなと思います。それではまた。
0仲程さん、コメントありがとうございます! お返事遅れました。抑えぎみな詩文で、何のために生きていくのかとの情景が目に浮かんだとのこと。嬉しいです。この詩は最近投稿した「ハレルヤ」に比べて伸びやかさがない、弾けていないという印象を持っていたのですが、今一度読んでみると深みがありますね。実は「世界最大規模のディナーショー」とか「世界最大規模のエンターテイメントショー」とかのくだりは「なろう」で完結済みの自作詩集の一つから拝借したのですが、とても小気味良く、それでいて不気味で不穏、くわえてポップなイメージを喚起させるのに成功したと自分では思っています。痛みの音が響く、響いてるの部分で魂が揺らされ、内なるところに染みて行ったとのこと。この詩は自分が想像した以上に効果的な要素をはらんでいたのかもしれません。とても嬉しいです。ありがとうございました。
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