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わたしは死ねばいい
味気ない朝よ街中の愛が 好きにすればいい 無自覚なれば獣 自覚すれば人間たち 冬終えの岸辺 おもうのは きみを 愛している 未練無ければ 死ねばいい
わたしは死ねばいい ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1795.4
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-12-27
コメント日時 2019-01-08
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
いい詩だと思う。最近の三浦さんの詩は自己の消失寸前のところで書いていてとても心地よい。ただ三浦さんというビーレビ界隈で浸透したパーソナリティに少し依存している気もあり。しかしそれを巧みに利用しているのならばそれはテクニックであり、技巧であり何も責め立てられるものではない。良詩だと思う ちなみに私は死ねばいい、と来れば「どうした? 何があった。大丈夫か?」と脊髄反射で来るステレオさんでもある。タイトル違った方が良かったかも、と極々個人的には思う。
0「わたしは死ねばいい」というより「わたしは死んでもいい」って感じの詩ですね。または「わたし以外は死ねばいい」って感じでもある。そんな感じがしました。
0題名が結果的に反語になっているでしょう。未練があるということは、なにくそと生きる、 涙を流しながら生きる、そういうことになっているのではないでしょうか。未練は、たくさん つくると、爆発してしまいそうになったりしますが、みうらさんは、川に小石でも投げる ような、叙情で、しんみりとしている。と、ここで、死ねばいいという言葉の意味が、 感得されます。つまり、自虐を孤独に行うことが、子ども時代の思い出などとともにでしょうか、 自分の死というものを受け入れるための、情感的場面の一つになっているということです。 追慕の気持ちを、最小限の言葉で表した情景とともに、さわやかな読後感を生んでいると思います。 英語に翻訳しても、面白い感じの詩として感じられるんじゃないかと思います。それはつまり、 日本を体得しているからに他ならない、という逆説的な理由で、そういう堅実さと 俳句的穏やかさに、とてもいいものを感じました。村上春樹の『風の歌を聴け』は、まず 英語で全部を書いて、それを日本語に翻訳してできた、という成り立ちがあるらしいです。
0ステレオさん コメントありがとうございます。「ネット詩にはたしかに良作があるけれど連続性を持った詩人は僅か」というある方からの話にハッとしました。作品が物語として続いているのではなくて、みうらの連続性を探ってたりしてます。みうらの妄想の連続なのかもしれません。
0柿原さんコメントありがとうございます。否定の言葉を発して肯定の気持ちを伝えることが出来たら、なんてことをいつも考えています。そういうひねくれたやつ。だぜ。
0黒髪さんコメントありがとうございます。本作はかなり削りました。削ってしまうかどうかの判断を下す作業って執着を棄てる修行僧みたいだったです。英語で書いて、和文に訳すのも、それに似た判断を下す作業なのかもしれません。バッサバッサ削ってしまうと爽快ですね。
0短いなかに凝縮されたものを感じました。リズムが崩れた感はありますが、あえて崩すことで短い詩を印象付けようとしたようにも思います。それからこの詩のきみはだれなんだろうか。そんな疑問はくだらないのかもしれないが、自分がこの詩を読み上げたときに思う人がきみなのだろうと勝手に納得して、良い詩だなぁ、と勝手に思っております。
0潔いですね。未練なければ~そう感じました。構成として一切の無駄が無いのに、新しさを感じるのは、私の読書量が足らないせいでしょう。
0花緒さんいつもシビアに作品をみていただきとても感謝しております。いつかまた花緒さんの傑作を。楽しみにお待ちしております。
0帆場さんコメント有難う御座います。はたしてきみとは一体だれでしょうか。わたしもわかんないんです。帆場さんは知っている気がする。だれなのか、わたしだけにこんどツイキャスで教えてください。
0沙一さんコメント有難う御座います。みうららしいというシャープな本質の見抜きが沙一さんらしくて、コメントも流石だなあと勉強になります。私がシャイだということがバレてしまっているようで恥ずかしししいなあ。
0つきみさんコメント有難う御座います。読書量の話題を御借りして申しますと、私、恥ずかしながら村上春樹しか読んだことのない、一般的には無知でおばかな領域の人間でして、他人から学ぶ言葉の全てがいつも新しい言葉なので、いつもハッとしております次第です。
0それが作者自身のものであるかないかに関係なく、一人の人間の独特な声調が読み手に明瞭に感じられ、心惹かれます。この語り口で四十行、五十行続いていてもただ気持ち良く耳を傾けていられそうにも思いますし、これで終わりかという気分にもなりますが、「はい、これで終わりですよ」という素っ気なさも語り手の声調に含まれるものと感じられ、不満はありません。死というモチーフが「軽み」に達している、余韻深い詩情を味わいました。
0石村さんコメントありがとうございます。人の生死が持っている運命的なもの、神秘的なものを言葉にして表現する時、思想や宗教的なところから遠いようで、それでいて近いような、そういう表現になっているといいなあと心がけていたりします。これからも詩を書きたいと思います。
0私は死ねばいいと言うのは心理的にショッキングなフレーズですが、無自覚なれば獣、自覚すれば人間たちと言うフレーズから、踏みとどまって居ると言う印象を持ちました。
0みうらさんは、私が名前を出すのもおこがましい「~しか読んだことのない、一般的には無知でおばかな領域の人間」と仰いますが、一冊の詩集しか読まない方がいらっしゃいます。人生を通して沢山本を読む事を否定しませんが、~しか。で良いじゃないですか。人生のバイブルは人それぞれですよ。
0エイクピアさん コメントありがとうございます。理性と反理性の比喩表現を挙げていただきありがとうございます。
0ボルカさん コメントありがとうございます。ご指摘のところなるほどと理解します。細かいようですが、詩は細かい言い回しに無意識に持っているものが出ていて、微妙に違ってきますこと今後の創作に活かしてまいります。
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