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ストップ ザ ペイン
苦しみを与えられる 罰であるのだろう 意味のない苦しみは救われないからそういうことにしておいてほしい 夜は眠る時間だ 死も眠る時間だ 夜を過ごし起き上がれ 死を味わい寝ていなさい 私もああなる 苦しみないことがまさに苦しみのように思えるが 死にも意味はあるのだろう 世代は交代して絶滅の危機という無意味に抗する 今や人の力で絶滅が可能になった どこまで行くのかというと 行けるところまでだろう その間に異常現象が起こるのかもしれない それを憂うるようなことに どれだけ力を注げるか 苦しみよさようならと 言う心の感情は 僕の核心なのである 僕の核兵器ではない 人間はどこまでもひどくなりうる 生き物だからだ 今苦しい人を 見捨てていく そんな恥ずかしがり方は 悪と呼ばれるんだろう 人のことなど 人のことなど 昔の時代は結束が強かった 今は学習で知るのだろう 正義とは正しい関係のことであることを 痛みは十分だが 苦しみが最後まで 不自由も きっと最後まで 最後を迎えるのを 耐えらるようになりたい 生き生きと遊ぶ子らも 心に暗い影を感じていたのだ 人間は生きなければならない 影の中に蛇がとぐろを巻いている 楽しい昼と眠る夜 たった気分のことなのに ああうらめしい 過ぎた日も 太陽を感じられることは とても嬉しい
ストップ ザ ペイン ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 989.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-12-24
コメント日時 2018-12-27
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
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平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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技巧 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
ほらな?だれもコメントしてないやん。こういうのをやめようねって言うとんねん 「君がいなくて苦しい。君の表情の意味も、ガラスに反射した昨日も。僕を苦しめるんだ。」 こういうのをやめようねって、何十年も何千年も前から言ってるねん。どういうことかわかるか? 紀元前3000年前のギリシャでは数学哲学芸術が著しい進歩をとげたやろ?てことはその時代に、お前が書いたみたいな抒情詩はやりつくされてんねん。そんぐらい想像しろよ。どんだけ無教養やねん もはやツッコミ待ちにしか思われへんは。 俺がイタイ抒情詩を唯一許せるのは未成年だけや。お前成人やろ?やばいでほんま
0ギリシャ時代の詩はホラティウスくらいしか読んだことないけど、抒情詩だけが排除されて良い根拠にはならないと思うんだ。どうでも良いけど、やめようねって命令されるのは腹が立つかな。まああなたがよいと思える詩を集団で作るようになって、新しい詩が生まれるの?まあそこそこやるのも生き方としては良いと思うよ、うん。
0黒髪さんからすれば、みうらと同じにするなと思われるのかもしれないのだけれども、私も抒情詩をいつも書いているつもりなのだけれども、よく自分語りと揶揄される(いや、私の場合は自虐ネタで自分語り系と自分で言っていたりしますが) 。これについてちょっと歴史の視点で述べさせてもらいたいと思うのです。で、これについての黒髪さんのご意見を訊いてみたいというのもあります。 黒髪さんの作品「夜」は突き抜けた感じがあって私的にはとても惹かれるものがあったんです。でも、本作には残念ながらその読後感がない。これはなぜだろうかと考えた時に、過去の取り扱いが気になった。「夜」にも過去の事柄と思われる内容がある。でもそれは自分史の中の過去。本作「ストップ ザ ペイン」では「世代」「絶滅」という言葉など時代の流れを語る箇所がある。私にはそれらが黒髪さんの外の出来事に読めてしまう。外界が語られていても何ら問題ではないし、評価される読み手もいらっしゃると思います。極私的な感じ方になってしまうのだけれども、外の出来事に感じるという印象をもと先鋭していうと空々しく感じてしまう。で、ここからが本題なんですが、なぜに空々しく私には感じてしまうかというと、日本語って明治の近代化の時に多くの言語が造語されたと言われてますが、私らが使っている日本語ってそもそも空々しいものなんじゃなかろうかと思うのです。言語歴史の知識を多分に持っているわけでもないし、おバカなみうらの妄想でしかないのですが。つまりその、元から空々しい言語を自己の肉体の宿らぬ用い方をすると空々しい印象になるのではなかろうかと思うのです。ある意味で、ある意味ですが、最果タヒさんも自分語りというと自分語りだと思うんです。でもなぜにそれが広く好意的な印象になって伝わるかというと、空々しい日本語を最も活かしているからだと思う。空々しい日本語をなんとか自己に繋ぎとめようとしているような。 長々となってしまいましたが、黒髪さんいかがでしょうか。もちろんスルーされても大丈夫です。
0オオサカダニケさん 吐いたつばを飲み込むようですが、少し言い過ぎました。若者相手に大人げなかったです。 感情的になってしまったものとして、ご理解ください。 みうらさん ご批評ありがとうございます。空々しい言葉に、生命を与えていく、これは意味ある行為ですね。 まあこの詩の場合は単純に、アイディアが足りなかったと自分では思っています。 そして、アイディア勝負ではないような、完全に磨き上げられた詩を、作っていくように しなければならないと思いました。僕は、普通の人のように、色々傷ついたこととか、 理不尽なことが過去にあって、それをふさぐようなことが、完全にはまだできないでいます。 マテリアルワールドで、自分を生かすには、どうすればいいのか、そんなことばかり考えていた ような、世代の人間です。そういうことを書くべきでしょうが、自分の傷をなめてばかりで、 どうもスッキリとはできないようです。
0全然いいで、せっかくネット上やねんから思いっきりdisりまくってストレス発散すればいいねん。俺みたいなガキ相手とか関係なく好きなだけdisりまくったらいいねん。
0完全に磨き上げられた詩?意味わかんね。例えば「おなかが減った」をかっこよく言うってことか?
0オオサカダニケさん 磨き上げられた、というのは、詩のテーマと表現が完全に響きあう、完成された詩と言うことです。切れ切れの叫びであってもそれは可能だし、詩を磨くことは、どんな詩でもできて、「おなかが減った」を、表現を変え、付け足したりして、詩にふさわしいような表現と変えること、と考えています。「おなかが減った」は、ある詩全体のテーマにさえなりうる言葉だし、色々と面白い加工はできるものですよね。
0理解はできる。この世に実在することを上手に表現する。ありますね。
0オオサカダニケさん 気になったことを、付け加えます。 引用開始--------------------------------- 他人のセリフに ルビをふるな 他人のセリフに ルビをふるな 自分のセリフに 「」(カッコ)をつけろ 「」をつけろ 「」をつけろ ---------------------------引用終わり (「ダヴゥル・シガレッツ」中島らも詩集より) というのを紹介したくて。disるのも、自分のセリフとして、カッコよく、したいですよね。 詩を磨くことは、上等な服装を着ることであり、晴れの舞台にあがれます。もちろん、便所だと思う人もいるでしょう。どう使いたいかですね。 敵と思えるもの、と戦うべき、と思ったときに、思想の戦いをすること、それがいとおしく思える、 人間の、生き様ですね。がんばってこーぜ!この僕のレスの上にあるオオサカダニケさんのレス 文章、簡潔明瞭でカッコいいよ。
0返信ありがとうございます。傷口がふさがった時の作品が投稿されあら小林秀雄かと見間違う批評を必ずやりますよ。本当の本当に。本当に。
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