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伊賀忍者
演歌を歌えば 城にある珠玉の宝が 風に吹かれて 肝炎を恐れる 私の自我が風に吹かれて 炎の道が出来た ちこちゃんよりも雄大な 意味を膨大に持ち 長い構築が私は出来る 私は風に吹かれて 伊賀忍者を思った
伊賀忍者 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1010.6
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-11-30
コメント日時 2018-12-03
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
エイクピア詩は相変わらず飛躍がかなりあるなぁ、とは思いつつも、この長さだから読み通せる。この飛躍具合ならこの長さがベストだ。
0感覚的に読みました。三波春夫が思い浮かんで、大粒の真珠の玉々が風で飛ばされてひいって、しゃがんで頭を抱えるような感じが思い浮かんで、ひゅうーって背後から風が吹いてきて見たらバックトゥーザフューチャーのタイヤの跡みたいな道ができていて、ちこちゃんがぼーっと生きてんじゃねえよ!っていうのが思い浮かんで、風に吹かれながら長い道を見つめている。 伊賀忍者というのがなんかかっこいいと思いました。
0「肝炎を恐れる」という一行が印象的でした。「風に吹かれて」という陳腐な表現の陳腐さを上手に回避しており、また、ある種の諧謔を感じさせる構造に感心します。しかしこの詩を一年後にも覚えているとは思えません。それどころか一週間後にはすっかり忘れているでしょう。当然ほとんどの作品はそのような運命にあるのですが、この作品は特にその傾向を強く持っており、そういう「軽さ」とどう向き合うかは、ひとつの課題かもしれないと思いました。
0渡辺八畳@祝儀敷さんコメントを有難う御座います。長さの問題は私もよく考えますが、確かに、私は長距離走に向いて居ないのではないのかと思ってしまいます。飛躍の問題があるのかもしれませんが、それ以上に持久力の問題もあるのかもしれません。
0グーグルグル夫さんコメントを有難う御座います。ああ、感覚的な読み方は私の詩作に近いのかもしれません。三波春夫や大粒の真珠は意外な指摘でしたが、伊賀忍者からの発想ではと思いました。風なんかも結構ドラマティックに考えることができるのかもしれません。バックトゥーザフューチャーの指摘も意外でしたが、ちこちゃなんどから出て来る発想かもしれません。三波春夫も冒頭行の「演歌」からかなあと、でもたくさん演歌歌手がいる中でと考えるとやはり意外な感はあります。伊賀忍者は本当に詩にずっしりと重点と言うのか、安定度を齎したくて置きました。
0完備さんコメントを有難う御座います。軽さですか。軽さと言えば芭蕉晩年の境地軽みを思い出しますが、詩とはあまり無関係ではないかと思いつつ、やはり俳句的な文脈で考えるのも大切なのかもしれません。忘却、忘れられるなどは創作作品の全般の運命として受け止めたいのですが、この作品は特にと言うスティグマは追うのかもしれまず、反省点としては考えて行きたいと思います。
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