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希望灯
頭の辺りに僕の血が帰る、 飛散、していた血が帰り 冷静となり 耳に冷たい花をつける 二人は口づける 鳥の嘴のようにカチリ、と 憂鬱と、怒りと 種は蒔かれる、 僕は哀しくなる。 生きているのが許せなくなる。 自分のことだ、、、 もう短調の曲は要らない 天国の味をしめてしまっているんだから。 徒労しているのは営みで 営みに依存しているんだ、 今 胸が苦しいのは カフェインの摂り過ぎか、、、 今朝いつ起きたとか 今朝何を食べたとか、 そんなことはどうでもいいのに 時計に それからパンに 僕らの会話は唯物論者のような舞踏しかできぬ そのように語りむなしくあらねばならぬ ぶちやぶってやる、 ぶちやぶってやろう 僕らにはポエジーが在る。 何が流行だとか スターに胸を痛めないように 音楽を聞いて鈍感になりつつ 実際、鋭くなっている と 嘘のていか、 または鈍感で同時に鋭くなっているんだ 嗚呼、天使の羽が空気を切るぞ! 俺はカフェ イン で酔っぱらっちまって フェード アウト してゆく怒りのこころが 書けば再燃するぞ グシュウ、 汚れているものを 汚れているもので守っている ずっと 水は水に濡れていた (これは余談) ここは木屑でできたふたりの寝室で その明るみは透明性を保持したままここに在り続けます 死はもう勘定の内に入りません 燃やし尽し、されることを生業として 桜の木の下自分を失ったのは誰でしょう 古い 古いお話です 私の眼は今を見ている 今、は動いていないぞ そうして、自分の頭をキャンパス・ノートの前に固定させておいて。 昔はむずかしく語ったものだ 昔が、五十六億七千万年 前か 後か、もうわからなくなって でも考えることは止められない いつでもふざけたことを考えている俺は飛行士にはなれない、 体をはって壊すことしかできない、 それは否定ではない できることは事故を起こすこと 風が吹き、アクセルを吹かす 頭のなかに風が吹き、頭から白い煙をあげている男、 イエス・キリスト! 生まれながらの手紙書き とおいあなたへ手紙を書こう、帰れたら 蜜蜂のようにはやく帰ろう 蜜蜂のようにさっさっと書いてしまおう あなたは眠っていました (体の半分を影として) 闘い疲れた体はぼろぼろ、 でもそうは見えないからうつくしいね と、語りかけないように きみの隣で眠る きみと 反対方向を向きながら この部屋にはサティがスロウに流れている、、、 おならのように恥ずかしいふたり 時もしずかにみつるのでしょう 働き盛んな蟻が一匹、 白い壁を這って もうすぐだ! もうすぐ灯りまで届くぞ アウト、 してカメラは庭をうつしている 百日紅は、灰皿は最悪だ つつじはうつくしい 仮に生まれ変わるなら人間じゃなくてつつじだな 金勘定に悪戦苦闘 やなこった 呪いに洗い やなこった という私は天国生まれ 冴えない頭は現実酔いです。 日は冴え冴えとくうきを送る 僕にあなたに 世界は終わらない 世界は弛緩してゆくだけ、、、 ぼうっとすれば絶望的で 強くあるなら希望になろう よい匂いのするあなたが ぎゅっと手を握りました。
希望灯 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 907.6
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-05-01
コメント日時 2017-06-02
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
結構ね。よく読みますと視点があちこちしてるのですけど、それを感じさせない善い詩だなぁと思いました。いろんなコラージュされているパーツが、『希望(の)灯』と言う題名に収斂されているせいでしょうか?「ぶちやぶってやる、/ぶちやぶってやろう/僕らにはポエジーがある。」ここすごくいいです。ポエマーの意地を感じます。でも、一番笑ったのは「おならのように恥ずかしいふたり」の一行かな。こういうユーモラスな余裕のあるフレーズって実は難しい。句点読点の使い方も上手いです。
0本作は田中恭平さんの本質的なアレが出ている作品だと思う。それは、タイトル『希望灯 』にも表れていて、田中恭平さんの作品に僕は、「語り手」はいないと思う。そもそも、「語り手」とは一体、何者なのかと、時々思う。批評なるものを展開する際には、自己防衛的な意味合いで、とても使い勝手がよい。「私は、語り手を批判しているのであって、作者は批判しておりません」みたいな。なんか、そーいうの嫌ですね。僕は。ああ、すみません、発起人でありながら、問題有りですね。はい。聖書も仏典も、その後の誰かの書物かもしれないが、それをキリストや仏陀の言葉だと受け取るように、その、作品がフィクションであろうとも、別にいいじゃない、作者と話をすれば。だって、ここに、中原中也が投稿したら、語り手が・・なんて批評を展開します?中原中也さん、これは、どういったメタファーでしょうか?ってコメントで訊かないか?ああ、すみません、少し横道に逸れましたが、まあ、そういうことです。田中恭平さんの作品を読むと、なんでも言っちゃっっていいじゃん!的なフリーダムな気持ちになります。
05月始めに投稿されていたのに、読み落としていました・・・一覧表で確認しました
0皆さま、お読みくださりありがとうございます。 朝顔さま、「詩のアクロバット」というモチーフが浮かびまして、こんな風な一見 しっちゃかめっちゃかな作品になってしまいました。お笑いいただけたようで おならのように恥ずかしく感謝しております。ありがとうございました。 三浦さん そうですね、自分の場合は生活詩といいますか、自分をそのままダイレクトに パチパチ、キーボードで打っていくだけなので、語り部がいるとするなら田中恭平個人です。 以前は創作物として詩を書いていましたが、今は現実のことにしか興味関心が ありません。そういう風に作風を変えてから、文学極道では評価が多分下がった、とか 下世話な話もする(笑) しかし、実存という言葉があるんですが、実存って未だに意味がわからないんですよ。 人生とか運命の類かな、と思うんですけどね。違うなー。 どうもありがとうございます。 まりもさま そうですねぇ、「詩のアクロバット」をモチーフにしつつ、盛るものが多過ぎて とてもアンバランスな作品に、危うい作品になっているようにも思います。 ご指摘の通りです。 これは、ザ・ビートルズの「ホワイトアルバム」というか、ああいう収拾が効かなくなった体で ちゃっかりそういうコンセプトなんですよ、という風に読ませたかったのですが なかなかうまくいかないものです。読者の満足感を意識し過ぎたのかも知れません。
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