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【選評】鬱海 言葉で伝えるということ
この作品を初めて読んだ時、カラオケ大会の途中だったのに思わず、友達を放って読みふけってしまった。それくらいのインパクトがあったことをまず書いておきたい。 まず、 知らないもののことを上手く伝えるのは難しくて という箇所が心に響いた。一見当たり前のことのように思えるが、おそらく同じ魚を見たとしても、それを誰かと全く同じように見ることは出来ない(たとえば魚の模様に目が行くひと、大きさに目が行くひとなどがいるように)ということ。そしてその見ることにおける不均衡を均すために言葉があるのだろうが、その言葉で伝えるのは、僕にとって難しい。こういう経験は誰にでもあるだろうが、言葉で伝えることは難しいというそのことを言葉で伝えることにこの詩は成功している。と思ってジンときた。 次に読み返して、思ったのは作中の2人と読者との距離感について。お互いのことをほぼ知らず、2日めになってやっと 彼女の子供時代の体験を聞いたことが物語のキーとなっている。なんとなくドライな関係であるという印象を受ける2人の関係に、自分の子供時代という、ごく私的な話題が持ち込まれてきたことで、この詩に対する距離感を詰める効果が生まれていると思う。しかしそのエピソードが傘泥棒であるため、共感性や自分の過去を追体験するような感じにはなっていない。それに、子供時代のエピソードというある意味湿っぽい話題と物語全体を貫くここちよいドライさのバランスがうまいなと思った。 もっと書きたいですがまとまらなかったので。 成功している、とかうまいなと思った、とか書きましたけど、本当に私がいいたかったことは、この詩ホントすき!の一言でしかなくて、好きになった理屈は後付けです。選評って緊張しますね。初めてしたのでドキドキだし、こんなつまらないこと書いてあれかなとか思いましたが、この詩への好意のために一応書かせていただきました。なかたつさんのフルキュレーションにおけるゼンメツさんとのやりとりなどを見て、選評かきたいなと思って書きました。おわりです。
【選評】鬱海 言葉で伝えるということ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1056.7
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投票数 : 0
作成日時 2018-11-12
コメント日時 2018-11-24
コピペがうまくいかなくて、作者名タイトルが書けてません。 ゼンメツさんの『傘泥棒』です。 せっかくの作品に対してすみません。次回から気をつけます。
0あとワンポイントキュレーションである点も抜けていました。重ね重ねすみません。
0選評、本当に本当に、ありがとうございます。鬱海さんも「言葉で表し難い心情」を描く書き手だとなんかめっちゃ勝手に思ってます。ちょっぴり曇天模様のショートショート、めっちゃ好みです。ところで、なかたつさんの選評で「名詞」の話があがっていますので、その流れに乗っかるかたちで、ちょっとこれを読んでいる皆さんに、鬱海さんの作品からあえて変化球のものを一つ、紹介させて頂きたいな。と思います。 『僕たち私たちの恋愛日記』 この詩は人物ごとそれぞれのごく短い断片的エピソードで構成されています。ただ、読み手に与えられる情報はそれだけではなく、はじめに各々名前と年齢が添えられておりまして、これがこの作品をより深いものに仕立てあげています。とりあえずその中から一人のエピソードを引用して取り上げてみましょう。 みどり(21) 僕は古本屋さんの店員の女の子と付き合ってた。彼女に別れを告げられる前の日にその子の働いている古本屋さんに行って本を整理してる彼女にキスをしたら「みどりくんは何もわかってないわ。世界一ばかなひと。私がいなくなったら誰があなたにそのことを教えてくれるの?」って言って泣かれた。僕はただなみだでキラキラしている彼女のひとみだけを見ていた。 はい、どうでしょうみなさん。 エピソードを読んだあとにその名前と年齢を見返してみてください。みどり(21)。なかなかに中性的ですね。しかもひらがな。本名かどうかは分かりませんが、いかにも『エピソード通り」の響きじゃないですか。そしてですね、21才、そう、彼21才なんです。これが17才なら「そんな時期もあるかもね」となまあたたかーく感じて終わりかもしれません。しかし彼は21才、なんだかこの先もきっとこのままなのだろうな、という、どこまでも途切れない曇り空を感じさせる年齢です。いつか彼が、みどり(40)だとかになったときの具体的な「いやいや、みどりくん。じゃねーよこれ、終わってるって、なんかもう終わってるって感」を、まだまだ漠然と遠方にかすめさせる若さです。いやー、良いですね。21才。 「示唆」を汲むのって、やっぱりなかなか、読解力の要求が高くなってしまうのですが、この構造ならば、読み手こ誰をも、自ら思いを潜らせていく流れを作ることができるのではないでしょうか。 いやーやっぱ名前重要ですね。あんま意味を持たせないように「タカシ」とか「コニシ」とか付けてる場合じゃないですよみなさん。ちなみにこういうはなしでもっともわかりやすいものと言えば「幸子」 そう、これです。「幸子」の幸薄感といえばもはや鉄板です。しかしこんな段違いにわかりやすい例を除けば、示唆的な名付け作業って、「人名」の共通認識がめっちゃ曖昧なので、つける側としてはなかなかその腕を要求されます。それを踏まえてぜひ、みなさんも、読むうえでも書くうえでも、人名という「固有名詞」に注目してみてください。
0ゼンメツさま 拙い選評にコメントいただきありがとうございます。また拙作の紹介もとってもうれしかったです。 <いつか彼が、みどり(40)だとかになったときの具体的な「いやいや、みどりくん。じゃねーよこれ、終わってるって、なんかもう終わってるって感」 でおもわず笑ってしまいました。でもたしかになまえと年齢のバランスなどは大切かもですね。固有名詞の働き、もっと深めて考えていきたいとおもわされるコメントでした。ありがとうございます。
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