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いくえ
てのかげ て、手の影、かさね、がさね そこに ひとひらごと夜はふけいく 暗いは水しょうに似て 尖っていく すぎた心臓をころせるほど あのどこまでも 黒いくろいところを 星が落ちているひろさを 凍るような母のよう、を うちゅうと呼びたくなく うちゅう、から零れるかげ またかげ、を ここに、空とも言えず 遠くのものらは 何も問うてはいなかった ただ木々のように いただけだった てのかげ かさねがさね 触れないように 何かがあると わからないように しかし巡るのは体液だった 透明な葉には、まだ なれそうになかった きみの手はすこし濡れて ひどくかわった形の灯りになって けれど おしながすのはいつも 光なのだから 影の、手かさねて なかで 体温も 亡くしたものも かつて人がうちゅうとよんだ 何かになっていく こうしていよう かげの夜の またその影 ふれるまで 影の手がさね、かさね こうして かさねて
いくえ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1312.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-10-01
コメント日時 2018-10-12
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
拝見しました。 中々不思議な詩ですね。〈手のひら〉を重ねるのではなく〈てのかげ〉を重ねる所からして不思議です。夜が更けて「心臓をころせるほど」とはなんでしょう。夜のなんとなしの恐怖に震えるという事なのか、と想像出来ますが分からないです。 死の雰囲気がするっぽいですがそうとは断言できませんし、「母」「うちゅう」「体液」など面白い言葉がどんどん出てくる割には内容がとんと検討つかぬところであります。ただ雰囲気としては個人的には好きで、ゆらゆらとかかれている割には妙な恐怖のようなものを湧き立てられるような、やはりなんとも不思議な詩ですね。
0幾重にも行方かさね 沸き起こる思いかさね 行き過ぎるものを 現れては消え去るものを 追い求め 空をつかみ そして うなだれる 木々の葉擦れの その落ちかかる影の 重なりの向こうに こうこうと 月 夜は薄められはぎとられ はずかしめられ また重なり 光を吸った薄い影に 闇は覆われ わたし の すすみゆくまなざしの 遮断 ただ、立っている 押し寄せる闇の圧に あらがうほど 肌の 輪郭の わたし の 境界が 溶けて 膨満する どこまでも ひとり だ なんとなく、返詩のような形で、感想を記したくなりました。 水晶のイメージが、凍るイメージと辛うじて結びつくようにも思うのですが、 どちらかというと漿液のような、生理的、体感的、透明な液体のイメージと、 それが凍るイメージ、そして何よりも音の相似が「取り合わせ」を要求した単語であるようにも思います。夜、鉱物としての水晶、その後の透明感ある生理的な液の巡りのイメージが、うまく結びつくのか、どうか。伝達性、ということを意識するのであれば、このあたりが課題であるようにも思いました。 木々、そして葉が吸い上げる溶液のイメージと、葉脈や道管、透明な葉、形をとる前の・・・イマージュとしての植物のイメージ。 リルケが「おお、そこに一本の木がそそり立つ」と歌い始める賛歌を遠くに聞きつつ、 ここにはとても静かな、生理的で湿潤な始まりの世界がうごめいているように思いました。
0なんとも不思議な景色ですね。 てのかげ、なんでかげなんだろうか? 母やうちゅう、始まりと終わり始原にいつか戻っていく人が描かれているのかな、などと訥々と考えてしまいました。 内容が読み切れないのですが、詩の雰囲気には酔わせるものを感じました。
0とても繊細で微妙な、感情や感覚を扱った詩、という印象を受けました。 《うちゅうと呼びたくなく》《空とも呼べず》、詩の発語者はそれが「うちゅう」あるいは「空」であると理解しているけれど、それを拒んでいる(拒む、は言葉として強過ぎるかもですが)。《触れないように》《てのかげ かさねがさね》ているけれど、《ふれるまで》《影の手がさね、かさね/こうして かさねて》、「それでも何かにふれるときがくる」みたいな気持ちで、いまもまた手の影を重ねている(ような気がする)。 ……と、ここまで書いて思ったのですが、『「うちゅう」あるいは「空」であると理解しているけれど、それを拒んでいる』のではなくて、「うちゅう」あるいは「空」を、そうじゃないものとして理解している、もしくはしていない、のかもと……自分でも何を言ってるのかわからなくなってきたので、すみません、この辺りで……。 とにかく、良い(という形容だと物足りない感じもするんですけど)詩だな、と思いました。
0ふじりゅうさん コメントありがとうございます。夜のなんとなしの恐怖、というものに触れてもらえたのは嬉しいです。私にとっては、どちらかというと、不安、といったより漠とした感覚に近いですが、そういう夜の感覚は、この詩において夜の許すようなところと背中合わせになっているような気がします。 なぜ、「てのかげ」なのか、おそらくはその影の、不在感のようなものがそうした夜に触れることと関わっているのではないかと思います。 全体に、主題を述べるというよりは、そこにあるもの、を書こうとした詩ではあるので、雰囲気を好きだと言ってもらえたのは嬉しいですね。
0まりもさん コメントありがとうございます。少し、久しぶりの投稿になりました。 正直に言いますと、この詩については自分でもわからない部分があるのですが、夜の生理的な感覚、というのはこの詩の軸であると思います。そして、また、生理的であるとともに、この夜は、非在を秘めているように思うのです。(おそらく、そのような生理的であり、非在でもある、という世界との距離感はリルケにおいて私が強く親しみを感じるものでもあります) 伝達性、についてのご指摘、ありがとうございます。なかなか分かりづらい詩である、という自覚はありますね。どこがどう繋がり、またどう繋がらないのか、ということは意識していたいと思います。 返詩について、ひとり、なのだな、という感慨がありました。肌の輪郭が溶け、しかし夜との同化ではなく、否応なくひとりを意識させられる、という点が興味深いです。
0「手のかげをかさね、かさね」という表現の出だしに少し読み取りにくさを感じたりもしたのですが、「影の、手かさねて なかで /体温も 亡くしたものも/かつて人がうちゅうとよんだ/何かになっていく」から急速に読み手の心をとらえていくと感じました。「かげの夜の またその影」からラストにかけては、初めは読み取りづらいものであった「手の影」が、実際は何を意味するのかと興味をそそる仕上がりになっていたと思います。個人的には無常観、土から土へと還るかのような諦念、達観のようなものが示されているように感じます。それが一点謎めいたこの詩を興味深いものにしていると思います。
0帆場蔵人さん コメントありがとうございます。景色、そうですね、ここに書かれているのは景色だと、僕自身は思っています。うちゅう、と呼ばれている、夜の、頭上に広がっている何かに、帰っていくこと、また巡っていくこと、について、それは故郷であるのだけれども、また不安を帯びているという感覚。そういう感覚をこの詩は持っているような気もします。酔わせるもの、というものがあったというのは、嬉しく思います、やはり、詩にはどこか醒めているものを道に迷わせるところがあったらいいと思うので。
0田無いなるさん コメントありがとうございます。うちゅう、空、とその何かを呼ぶとき、こぼれていくものがあるような、そんな感覚があります。それはつまり、名付けを拒むこと、名付けから離れ、そこにある、一回性でしか無いものに触れようとすることであり、同時に、どこまでも触れないでいようとすることでもある。「それでも何かにふれるときがくる」そうですね。いつかは失くし、あるいは、またいなくなってしまうけれど(そしてそれこそが「ある」「ふれている」ことの証明でもある)、こうして影を重ねている、という状態であると思います。 こちらも少し抽象的な感じになってしまいました。いい詩、だと言ってくださって、嬉しいです。
0stereotype2085さん コメントありがとうございます。読み取りにくさ、から、読み手の心を捉えていく、という動きがあった、ということについて、僕自身、書いていて、途中から何かを分かっていくということもあるので、こうなっているのかもしれません。途中から、興味を感じて下さったなら幸いです。諦念、達観、のような感覚はあると思います。ただ、個人的には、もっと幼児的な感覚に近いと感じています。無責任な、その分世界に生身でさらされているような感覚、ですね。
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