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トビウオ
水平線にむかって トビウオが一匹 二匹 三匹 たくさん の トビウオが 一匹 二匹 三匹 たくさん 胸鰭をひろげて 海水がしたたるまえに きしゅっきしゅっ跳ね跳んでは 再びまた海中にそしてまた きしゅっきしゅっきしゅっきしゅっ 飛んでゆく 見えなくなって 消えてゆく
トビウオ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2409.5
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 12
作成日時 2018-09-27
コメント日時 2018-10-15
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 4 | 4 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 4 | 4 |
構成 | 1 | 1 |
総合ポイント | 12 | 12 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 4 | 4 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 4 | 4 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 12 | 12 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
なぜだか気になってしまう作品。なんだろうかと、こちらの作品スレッドに戻って読んでしまう。トビウオの様を、トビウオの現象を、感じるままに書かれている作品、ということなんだと思う。それはライトな作風であり文字数が多い作品の中ではアンチテーゼなものとして存在感がある。それは作者の意図ではなく、読み手の私の感想として。詩文の在り方として訴求してくるものを感じました。
0「きしゅっきしゅっ」という擬音がこの詩の全てではないでしょうか。 トビウオの一瞬の動きを捉えている、とても俳句的な表現だなと思いました。 言葉数が少ないから、より一層鮮やかに伝わる。 海の広さ、色、トビウオの腹の輝き、スピード感、そういう言葉として書かれていないものが伝わってきます。
0一件シンプルな詩だが、しかし無視はできない。 たとえば 「トビウオが一匹 二匹 三匹 たくさん の」 と 「トビウオが 一匹 二匹 三匹 たくさん」 の改行の違い。 前者はトビウオと1や2といった少ない数字とを同行にすることで、ひとつひとつ丁寧にトビウオの存在を指す効果がある。 後者は1,2,3、and moreとすることで前者で指した対象が非常に多い数いることを印象付けている。 この構成により、実数としては3までしか表していないのに「たくさん」という表現がほんとうにたくさんの数字を示すことができている。 ほかにも「胸鰭」と、この詩としては異例に硬い熟語。詩の中間行にある故に視覚的にも魚の中間にあるヒレを連想させ、またここから詩の展開が変わってくるといるメルクマールの効果も出ている。 ほかにもあるが挙げていたらキリがない。 特に一つ目の特徴である改行の妙を私は評価したい。行分けを行う意味とは何か、を考えることは詩の古くからの課題である。これがなかなかに難題で、巷では(もちろんビーレビでも)句読点代わりに漫然と改行をしているだけの詩も多い。昨今の現代詩は昔より散文詩が増えた印象があるが、これも課題に対しての「そもそも改行する意味なんてないんじゃね?」というひとつの回答だと私は思っている。 この詩に関してはその課題に対し実に優秀かつ真正面から回答を示しているなと感じる。 いやぁ、すごいよこの詩は。
0みなさま、コメントありがとうございます。 >>三浦天才詩人果実さん 僕の感覚でも、この詩は手のひらにちょこんと乗るくらい、ライトなもの。その軽さのなかにも、三浦さんの感性に触れるなにかがあったのかな、と想像します。 「なぜだか気になってしまう作品」、とても嬉しい言葉です。 >>紅茶猫さん 僕は俳句や短歌などの短詩も好きで(読んだことがあるものは、ごくごく少数ですが)、幾つか実作してもいます。その影響が、たぶん自分の詩にはあるだろう、と思っていました。《きしゅっきしゅっ》が、あるいはその一部だったのかもしれません。 書いていないものまで伝えることができたのだとすれば、書き手冥利に尽きるなぁ、と思うと同時に、それは紅茶猫さんのちからだな、とも思います。感謝。 >>蔀 県さん 「いい出来」。ありがたいです。僕にとって、詩のなかの空白はとても大事……というか、上手く言えないのですが、『ここは空白だよね?』『うん、そうそう』みたいなところがあるので……すみません、わかり難くて。 自分の詩が「大好き」と言ってもらえるなんて、ほとんど想像したことがなかったので、正直ちょっと照れます、ね? >>クヮン・アイ・ユウさん 《海水がしたたるまえに》。ここは投稿前、読み直しているとき、変えるかどうしようか、迷ったところでした。僕自身、ひっかかっていた部分なのです。が、今はこれで良かったんじゃないかな、と思えます。そして、「視覚の詩」。実際書いているときを思い返すと(結構前に書いたものなんです)、普段より視るってことを意識していて、たしかに(脳内の)撮影カメラが移動したりズームしたり、だった気がします。感謝。 >>渡辺八畳@祝儀敷さん もの凄くお褒めくださっているようで、逆に申し訳ない気持ちすら湧いてくる心持ち……ですが、諸々分析していただいており、嬉しいです。 特に詩の改行(行分け)は、空白と同じく僕のなかですごく、大切な部分なので……やはり上手く言えないのですが、そこに目を止めて、評価していただけていることは、この詩書いて良かったな、と素直に思います。感謝。
0目に留まりますよね。この詩は。技巧的な部分では、渡辺さんが存分に解析なさっていたので、僕自身「そうか」と納得しましたが、詩情という点においてはトビウオを、古い言葉ですが「企業戦士」や「名もなき市井の人々」といったものに照らし合わせて、描かれている印象がしました。きしゅっきしゅっきしゅっきしゅっ。何だか悲しげです。
0詩を読むとき、内言語として拍子をつけて読む人は多いと思います。空白と改行がとても心地よく、詩にリズムを産んでいますね。また、飛んでゆく、消えてゆくとの繰り返しから、スピード感が生まれているように思います。たくさんで集まってどこへ行くんだろうと考えると、とても楽しかったです。
0<<stereotype2085さん コメントありがとうございます。あ、なるほど……トビウオを「企業戦士」や「名もなき市井の人々」等に照らし合わせて読むと、たしかに「きしゅっきしゅっ」が寂しげにも悲しげにも感じます。僕自身、意識していなかったので、この詩を再発見できた気がします。短い詩ですが(だからこそ、かもしれませんけど)、読んでくださった方によって結構、印象の違う詩なのかもしれないですね、これ。 >>ヤエさん コメントありがとうございます。少し考えたのですが、この詩の改行と空白は、書き手としての僕の生理的な感覚と、読み手としての僕の「ここはこうした方がより良い」というような比較的理性的なものとの複合から出てきてる……のかな、と思いました。スピード感も、ほぼ同様な気が。なにより、楽しんでいただけたのであれば、それがいちばん嬉しいです。
0ストレートに自然を観察されたような情景に好感が持てる作品ですね。技巧についてはもう皆さん書かれていて、今更だけど言葉の配置が上手く、工夫が見えます。 最後の 飛んでゆく 見えなくなって 消えてゆく 広い海原でちっぽけな自分がそこにいる、何故かそんな感覚を得ました。
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