【選評】8月投稿作品 - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

大人用おむつの中で

すごい

これ好きです 世界はどう終わっていくのだろうという現代の不安感を感じます。

硬派な作品

萩原朔太郎や中原中也のエッセンスを感じます。

千治

体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

ほば

世界は自由だ━不死━

わかるということ

あなたにとっては何が、その理解が起きるピースになるだろうか?

ほば

ふたつの鐘がなるころは

鐘は明くる日に鳴る! いつでもそうだ!

運営在任中に出会った多くの作品の中のベスト。決して忘れない。

yasu.na

良い

シンプルに好き

あっす

パパの日曜日

パパの日曜日

いい

明林

終着点

生きる、その先に死地はない!

美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

yasu.na

九月の終わりを生きる

呼び覚ます声

夏の名残の暑さが去ろうとする頃、九月の終わりになると必ずこの作品のことを思い出す。

afterglow

こっちにおいで

たれかある

たそがれに たれかある さくらのかおりがする

るる

詩人の生きざま

言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

酔おう。この言葉に。

正直意味は判然としない。 だが、じんわりあぶり出される情景は、良い! 言葉に酔おう!

羽田恭

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

この作品、私はとても良いと思うんだけど、まさかの無反応で勿体ない。文にスピードとパワーがある。押してくる感じが良いね。そしてコミカル。面白いってそうそう出来ないじゃん。この画面見てるおまえとか、そこんとこ足りないから読んどけ。

カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

永訣の詩

あなたが出発していく 光あれ

羽田恭

あなたには「十月」が足りていますか?

もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

るる

だれのせいですか

どんな身体でも

どんな自分であっても愛してくれるか、抱きしめてくれるか、生きてくれるか SNSできらきらした自分だけを見せてそんな見た目や上辺で物事を判断しやすいこんな世の中だからこそ響くものがありました。例えばの例も斬新でとても魅力的です。

sorano

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

ずっと待っていた

渇いた心を満たす雨に満たされていく

afterglow



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【選評】8月投稿作品    

B=REVIEW 2018年8月投稿作品 選評 ◆大賞候補 羽田恭 フィラデルフィアの夜にⅦ (8/28) https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2210 ◆優良 ・尾田和彦 向日葵 (8/10) https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2125 ・るるりら ラ・ラ・ラ族 (8/20) https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2182 ・クヮン・アイ・ユウ Tender (8/29) https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2222 ◆推薦 ・岩垣弥生 八月の檻 (8/7) https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2106 ・鈴木海飛 我が労働歌 (8/5) https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2096 ・こうだたけみ 雨中遊泳 (8/8) https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2120 ・なかたつ 語り、手(8/31) https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2228 ◆注目した作品 ・桐ヶ谷忍 キメラの後ろ姿 ・社町迅 瞑想 ・仲程 こころ はんぶん/ブルーノ/そらの ・_ 「」 ・かるべまさひろ 詩でしか言えない ・survof ウォシュレット ・stereotype2085 死去ノート ・帆場蔵人 標本に溺れ ・ジャンブリーズ スケッチ ・沙一 たそがれどき ・杜琴乃 ROUTE ・田中ハル 指でなぞった憂鬱   ◆大賞候補作品について   今月の「大賞」候補は、羽田作品と尾田作品のどちらを推すか、というところで悩んだ。羽田さんは、仏教思想をバックボーンとしつつ、自身の生活体験を血肉化して、生と死という逃れようのないテーマを書き続けている。平易な表現、素朴で飾らない言葉使い、語り口のリズムをリフレインや行末の止め方などで作り出していることが、文体の特徴となる詩人である。フィラデルフィアシリーズはその系列から少し外れて、より自由に想像力を膨らませた、遊び(エンターテインメント性)の要素が入ってきている。実際にあった謎めいた事件の「真相」を、自らの想像力で補いながら探っていく、という形を取る連作だが、作品を作り出す、ということ、そのものへの問いを確かめるように書きつづけていることに注目していたシリーズだった。  今月投稿された、七番目の「フィラデルフィアの夜に」は、映像を見るようなリアリティーを追求しているゆえか、少し丁寧過ぎるような描写が、輪郭のくっきりしたイメージを作り出している。アンリ・ルソーの絵のような、と言えばよいだろうか。写実的に描く、というのであれば、クールベのような描き方をするなり、輪郭を明確に静謐に描く方向性を目指すのであれば、ダヴィッドやアングルのような新古典主義的な描き方もできるかもしれない。しかし、羽田さんは素朴派のルソーのように、丁寧に、地道に、誰もが同じ映像を見ることが出来るように言葉を選んでいく。  内容に関してはコメント欄に記したが、針金のような、無機的な構造物がなぜか命を持ち、自らの身体を用いて何かを一心に願う、その姿が印象に残った。腐葉土で身体を満たし、そこに花の種を蒔く。さらに、その身を汚水の流れる下水道に落とし、都市の暗部を象徴するかのような汚物の通り道に、自身の身を花園に変え、彩を添えようとする。そのために針金の構造物が命を持った、と読むこともできる。当然、その針金を構造物に作り上げた作者の意図、願いがそこには反映されているのであり、さらに踏み込むなら、針金の構造物を作り上げ、どこかへ消えてしまった作者の真意を探りたい、という、この詩を書いた羽田さんの思いが、ひとつの帰着点を見いだした、ということでもあるだろう。羽田さんがここで了とするのか、さらに異なる展開を夢想するのか、まだわからない。いずれにせよ、自らの納得する像を得たのが、七番目のこの作品だったのだと思う。階段の踊り場にたどり着いた、ということなのかもしれない。   ◆優良作品について  尾田さんの「向日葵」は、羽田さんの作品と比べると対照的と言ってもいい特色を持っている。鮮明な像が現れかけては、くっきりとした輪郭を結ばないまま消え、重なり合うように新たなイメージがそこに生じる。ひとつひとつの像が、広大な地平を彷彿とさせる詩空間を暗示し、その奥行きから奥行きへと到る移行が滑らかに作品の中で果たされていく。惜しむらくは、フレーズごとに異なる詩空間への通路を開くような1連目と、思弁的、内省的な時空に誘うような2連目との間の飛躍が、あまりにも大きい、ということだろうか。彫琢された、簡潔で重厚なフレーズが繰り出される2連は、思想性の深さ、鋭利に繰り出される箴言のようなフレーズの鮮やかさ(ドラマティックに宣言する〈人間を発見するのは人間しかいない〉など)が直球で撃ち込まれるところが魅力でもあるのだが、壮大な理念を凝縮された詩行に盛りこもうとしているがために、観念に傾き過ぎた印象が生まれるのは否めない。具体的に論評を試みたが、あまりにも長文になってしまったので、尾田作品への評は作品のコメント欄の方に貼ることにする。https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2125    るるりらさんの「ラ・ラ・ラ族」は、題名から推して2016年公開のミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」へのオマージュ作品なのかと思っていたが、さらに奥行きの深い思いが込められていたことをコメント欄から知った。作品創作の背景と、作品そのものを切り離すべきだ、という議論もある。しかし、一人の人が生きて来た軌跡がその人の心身を作っていくのであり、その心身から滴り落ちるものを言葉で拾い上げれば詩となり、音で拾い上げれば音楽となるのだ、ということから言えば、作者の体験や経験を切り離さない、という選択もまた、作品鑑賞、作品評価に加味されるべきことではないか、と思っている。少なくとも、そういうスタンスの評者が居てもよい、と考える。  心身に蓄積されたものは、親、兄弟、友人知人、といった、実際に関わった人達だけではなく、既に亡いけれども、人々の記憶の中で生きている印象を、今、生きている人から受け取ることもある。知識として、書籍や報道から知った他者との遭遇「体験」もあるだろう。自分の中に取り込まれた他者の印象が、自分と関わる人々や、自分の発した言葉、作品を通じて思いがけない人に伝わっていくこともある。ひとりの人が生きた事実は、こうして薄まり、加算され、混ぜ合わせられ、漉し取られたり浄化されたりしながら、永遠に拡散し続ける。靄のように漂う、誰かの生きた記憶に、今、生きている私たちが感動することも繰り返し起き続けるだろう。るるりらさんの作品は、以上のような感慨を最も強く感じる作品であった。作品の構造を「分析」したり、文体の特色を「解説」したりする必要があるだろうか。冒頭の少し甘めの呼びかけが全体のムードを作っている/秋がひらがなに柔らかく開かれ、こごえに小声と冷えた空気へのこごえ、が重ねられている/精霊バッタと漢字で記され、直後に雫、天、とイメージが重ねられて、魂の昇天への願いや想いが喚起される・・・と、いくら細断したところで、作品全体から受ける情感や、作者からのコメントを読んでさらに覚えた感慨といったものは、洩れ零れて行ってしまう。  実は、当初この作品を読んだ時、「お義母さま」への追悼作品だと誤読した。昇天した義母の魂が、天上でお父様と逢えますように、という祈りの詩だと読んだのである。嫁してきた〈わたし〉のふとんが〈ふかふかであるように〉いつも心配してくれた、とあるので、6歳で亡くなった女性のことではなく、6歳で原爆を体験し、時がそこで止まってしまった女性である、ということは解るが、今、現在、元気に過ごしている義母に、心の中で捧げた作品である、ということは、読者には伝わりにくいのではないだろうか。作品単体として読むのであれば、義母が生者であっても死者であってもどちらでもよい、ということになるかもしれない。しかし、コメント欄を読んで、恐らくその点は、作者には譲れないものがあるだろう、と感じた。こうした誤読を回避したい、ということであれば・・・義母と共に盆の供え物を捧げた、というような、共に過ごす景がどこかに挿入されていればよかったかもしれない、と思う。   クヮン・アイ・ユウさんの「Tender」は、飾り気のない率直さで綴られた肉声の響く文体であることに注目したい。逡巡する思い、もやもやする、形容しがたい思い、怒りや悲しみが突上げて来るときの、どうにもやり場のない思い。選択を迫られた時、一つに決められず言い澱んだ自分自身の不甲斐なさ、やるせなさが、自身を通り抜けていくような〈惨めな川〉として体感される。さらに、〈軸のないカラダ〉という体感。想いの高まりが、自ずからリフレインを要求する、そうした自然な流れに従った文体。その「体感」を、どう喩えようか・・・どう、他者に伝わる言葉に翻訳しようか、というところで、作者は悶々と悩む。〈苛々〉する。〈なんやようわからん植物を/ブドウと思って口にいれたときの〉気色悪さ、その方が、むしろよっぽどよい、という絞りだすような文言。いずれも、体感に即した、独自の比喩である。〈轢き殺されたいとき〉がある、という驚きの体感も、〈みんな、ズルしよるやろ/こんな世界で生きてナァ/何になるんや/そこのアンタ/詩なんか書いてアンタ/なんか応えてみぃや/黙っててよう、何のための詩ぃか〉という叫びに繋がっていく。自らの生きにくさを、真正面から突きつけて来る作品だが、それが他者の攻撃へと向かわず、自身が消えたい、という切なさへと到るところで、読者の共感を引き込んでいく作品となっている、と思う。 ◆推薦作品について  既に3600字を越えているので、申し訳ないが、寸評とさせていただく。 ・岩垣弥生さんの「八月の檻」は、沛然たる雨、濡れそぼつ、巫女、舞い、と古風なフレーズが品格ある詩世界を作りだしている。家族という檻、とストレートに表現するのではなく、暗示的に示す方がより作品が深まったように思うが、どうだろう。もっとも、その檻に閉じ込められているからこそ夢想世界へ脱出を試みるのであるが。オムニバス風に展開される夢想世界の豊かさに惹かれた。最後の「花鳥風月」が、冒頭の古風な表現と共に、作品の枠構造(檻)を構成している点も面白い。   ・鈴木海飛さんの「我が労働歌」は、ユーモラスな文体で、電信柱を主人公にする、というファンタジー形式の語りに魅力を覚えた。なんのために、立つ、という「労働」をしているのか・・・電信柱は、一人で走るランナーの足元を照らす(応援する)、無事を祈る、ということに、一つの意義を見いだす。一人では限界があることでも、他の電信柱たちと繋がることで、〈たちんぼのままの私達が役にたつ〉という意義を見いだす。一人(一本?)である電信柱が、通電され、電線で繋がれることによって大きな一人、私達、という一人になる、という発想は、ネット社会における人と人との繋がりも暗示しているようで面白い。脳内のシナプスが外部化されたら、このような光景になるか、という印象も受けた。   ・こうだたけみさんの「雨中遊泳」は、宇宙とかけた題名からして、言葉遊びが楽しい。テーマはクヮン・アイ・ユウさんと同様、生き辛さ、であるけれども、他者の生き辛さ、それも子どもたちの姿に身を寄せていく眼差しに惹かれた。メダカの学校、を連想させるような、〈魚みたいな子供たち〉の姿。〈散乱した言葉たちが産卵する〉ものは、(まだ思いやりや配慮が不十分であるから、ということもあり)思いがけず発して、子供同士の間にわだかまりや違和感、傷を残す、そんな言葉たちそのものであるようにも思う。子供の通学路の風景は、私達が生きる世界の暗喩ともなっているだろう。四行四連の洗練された形式にも魅力を覚えた。   ・なかたつさんの「語り、手」を読みながら、河合隼雄の『生きるとは自分の物語を作ること』という本を思い出していた。神話を作る。一人一人の創世神話を作る、ということでもある。それが、詩を書くこと、であるなら。それが、生きる、ということであるなら。語り手は、語り(歌い方)の手(手段)を考え、実行する人、でもあり、その歌が紡ぎ出されるのは、語り手の身体を置いて、他にはない、という思想が背景にあることが伝わって来る。詩を綴る語り手の身体が拾い上げた光景、聴き取った断片としての声、瞬間としての景を、あえて一つのストーリーに繋ぐことをせず、そのまま断片として置いて行くような文体を取っており、なおかつ、語り方にその時の呼吸や息づかいを反映させるかのような、不自然な読点の打ち方をしている点が、ある種の読みにくさとして現れているようにも思うが、この文体が形作る語り口、というものが、詩の味わいでもある。   注目した作品、については、触れる紙幅がなくなってしまったが、自身の内面でのみ体感されることを他者に伝わるように腐心している作品や、詩を書く、ということそのものをメタ詩的に問う、思想性の強い作品、諧謔を洗練された形式にまで高めた作品、感慨を残した景を、言葉に保存しようとする作品、などを挙げた。コメントしづらい、しにくい、という参加者へのメッセージも記そうと思ったが、既に5000字を越えているので、それはまた、別の機会に譲りたい。



【選評】8月投稿作品 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 6
P V 数 : 1185.9
お気に入り数: 0
投票数   : 0


作成日時 2018-09-07
コメント日時 2018-09-17

【選評】8月投稿作品 コメントセクション

コメント数(6)
5or6.(ゴロ)
(2018-09-07)

‪3000文字世界でレッドタイマーが鳴り響く中で読み続ける選評に ロックを感じた。‬ 今月の5or6賞に決まりました。 おめでとう㊗️。

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まりも
(2018-09-07)

ゴロちゃんさん ありがとうございます。 3000文字世界、と言われると、三千世界、みたいですね!(と、いま、気づいた)

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杜 琴乃
(2018-09-08)

有難うございます!とても嬉しいです!

0
るるりら
(2018-09-10)

おはようございます。 正直、この詩作品のようなものを アップするまでは、わたしの心は詩から 遠ざかり 荒ぶる身近な人との心の行き違いに悩んでいました。 わたしには 自身の身辺にとりまく事柄を客観視しきることが できなかったのです。ご指摘にある「今、現在、元気に過ごしている義母に、心の中で捧げた作品である、ということも、読者には伝わりにくいのではないだろうか。」これは、とても的を射ておられます。たしかに義理母と共に過ごす景がどこかに挿入されていればよかったです。 ただ残念なことに、義理母と私の実際の交流は とてもじゃないが良い関係とはいえない状況にあり、どう和していくべきかと悩みながら書いたので、そんな いい感じのエピソードの景が浮かばない状況で この作品は書きました。それでもどうにか この詩が書けたことで、 わたしは改善したい事柄を整理し自身が何を理想としているかが 明確にはなりました。  でも、理想がわかったところで どう歩むべきかという部分がわからずにいました。 こんな私にくださった まりもさんの評は わたしにとつて、これからの実際の生活の舵となりうる評です。 義理母と共に過ごす ちょっと良い風景を私の人生に挿入できるように努力してみようと思います。 人生は変えられる。人は言葉で変わるものです。だから、詩は 人生を変えることをこれからの人生で証明していこうと思います。ありがとうございました。

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羽田恭
(2018-09-13)

まさかの大賞候補に! ありがとうございます! 円空仏と縄文土器土偶とシュールレアリスムが好きな人間が描いた作品がルソーに例えられるのも意外でした。 実は10年以上前に書いた作品を書き直したものではあります。 しかし今現在の自分の境地として見れますね。確かに。 階段の踊り場とありましたが、この作品というより、釈迦の言葉が詩に出始めたより少し前が踊り場に差し掛かったと思います。 となると昨年5月に投稿した「ただ詩が」のあたりになりますね。 先ほど投稿した「自分語り」がそこをよくあらわせられたなと。 それとここで了とはしません。 ”自分を害せず、他を傷つけない”良い作品を労働しつつ書くのみです。

0
こうだたけみ
(2018-09-17)

まりもさん、拙作を推薦に選んでいただきありがとうございます。実際にお子さんを育てていらっしゃる母としてのまりもさんの、子供という存在への温かい目線から読んでもらえたこの詩、ここに描かれた子供たちは幸せ者です。 私の詩は、私が産み落としただけでは命を宿しません。読者(未来の私を含めた他者)に読まれて初めて、その読者の中で命の火が灯ります。それは冷たいかもしれないし熱いかもしれないしふっと吹き消されるかもしれないけれど、まりもさんの中で温かい火が灯ったようでうれしいです。ありがとうございました。

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