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お話
その目を前に 数時間過ごしてもいい が どうも違う気がして 得心したい心はとどめを刺されないままに 血が変わった夜 言葉は 今は誰の中に呼吸しているのか 知っているのは落葉した瞬間 遊び疲れて 青ざめて 再び振り返るとき 影と影の聞き耳、入れ替わり 画面を閉じて、くらり目眩する思い 後ろめたさがついにはじけて ただの弱虫
お話 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1017.6
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-09-02
コメント日時 2018-09-03
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
拝見しました。 これは、どんな意味がこもっているのか…うむ、難しい。 転じて渚鳥さんの作品は、そして今回も同様に感じるのが、非常に美しく冷たい回廊で、ひたすら迷い続けるような、絶対にたどり着けない答えを探しているような、そのような感覚を個人的に抱いております。なぜそう感じるか。それは渚鳥さんの詩が、精神の奥底を書いているように思われるからです。それもただの人の精神ではなく、もっと美しく、かつヒヤリと氷のように冷たい、そんな精神が内包されていると感じます。 脱線してしまいましたので戻しますと、中々に難しい。何を表しているのか想像すればするほど、詩の別の1行1文に遮られるような、そんな感覚が致します。ただ、「画面を閉じて」。突然現れる余りに具体的な情報がヒントな気がしますが、私の能力ではここまでです。 タイトルが「お話」でありながら、実際にお話をしている場面が出てこない事が面白いですね。何となくですが、「お話 」をしている時ではなく、お話そのものに対する主人公の「弱虫」な気持ち、これがいくつもの隠喩と共に現れているのかも知れません。
0ふじりゅうさんへ こんばんは、コメントありがとうございます。なにせ私は古い家での一人暮らしですから、ヒヤリとした寒々しい気持ちのときが多いですよ。ふじりゅうさんは私の「再開」という詩をご存じなので、そのイメージを持たれておられるのでしょうか、いえいえ、私は生身の人間です。精神の奥底、という表現をいただきました。なるべく自分の心境に近い言葉を今回もなんとか、選び抜きました。 お読みいただきありがとうございました。
0「目前」という言葉を日常でも使うことがありますが、きちんとその字面を目にすると、「目の前」という距離感を表す言葉になっています。けれど、この作品では、「その目を前に」しているので、「(自らの)目の前」ではなく、「(相手の)目を前に」しているのであって、その些細な言い換えが何とも面白いものです。その空間的近さ/短さというものと、時間的な遠さ/長さを表す「数時間過ごしてもいい」というギャップへの戸惑いが示されているのでしょう。気にしなくても生きていけることをついつい気にしてしまうと、それにとらわれてしまうような、そんな感覚を覚えます。 「得心したい心」という、まるで「頭痛が痛い」のようなダブった表現もとらえどころが鋭いような気がします。血液の中では赤血球が酸素を運んでいる、という知識としては何となく知っていることを背景として、語り手の血には、言葉が流れています。酸素≒「空気」は、誰かに呼吸されることで血をめぐることができるのですが、「血が変わった夜」というのは、その流れる「空気」が誰かのもとを離れ、また新たな誰かの血の中を流れているような転換が示されています。この循環への目のつけどころも鋭いでしょう。 「目前」「数時間」という時間的/空間的キーワードから「再び振り返るとき」に語り手に見えるものはなんであったのでしょうか。それは、「空気」が流れる/従う体を変えるように、影が入れ替わっているような情景です。影は主に従うものであり、まさに従としての存在でしかなく、その空間的イメージから「後ろめたさ」という言葉/感情を導きだされたことに必然性を感じます。 作品外に話を敷衍すると、街灯に群れる羽虫を想起させられました。その羽虫のイメージと「弱虫」というキーワードが結びついて、不自然さを感じさせず、まさにあの羽虫もまた街灯という主にまとわりつく従の存在であるのではないかと。ただ、「後ろめたさ」という従が「ついにはじけて」しまったことが、影を弱虫という存在へと変換させるのであって、本来、主に光があたることで従である影が存在しうるのですが、この作品における展開は、影に光をあてるという矛盾した行為をすることによって「弱虫」という存在が浮かび上がるのです。 個人的な感想ですが、最終行は「ただの弱虫」と終わってしまってよかったのかと思います。それはなぜかと言えば、一つの結論が導き出されているからです。それは仮の結論なのかもしれないですが、このように一つの答え/形を示してしまうことで、イメージの像が収斂してしまい、作品が閉じてしまうからです。この最終行に至るまでの過程は無論目の付け所が鋭いものであるのですが、余白を持たせるという意味で、この弱虫が行く先を明示ではなく、暗示させる何かが欲しいと、読み手の勝手な傲慢であります。
0なかたつさんこんばんは、コメントをありがとうございます。最後まで拝読いたしました。 「作品は読者に向けて開かれていなければ。」それを考えるとこの詩は二行目から失敗作だと感じていました。しかし読んでくださり、このように丁寧にイメージしてくださったことが実に有り難いです。 「血が変わった夜」は半ば偶然に出来た言葉で、「苛立ち」と捉えられるだろうか、と危ぶんだのですが、鋭いな。心を読まれたかのような読み方をされましたので、恐れ入ってしまいました。 最後の一行については作者の立場からいうとああ書いた方がすきっとするのですが、そうなんですよね、読者の立場も私、わかります。次の作品に活かしていけたらと思います。お読みいただきありがとうございました。
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