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瞑想
(季節を変えるには儀式をしなければならないので ミラーハウスへ行くのです) 儀式のための巨大迷路 次々と選ばせる三角の床 人を無視して立ち尽くす柱 鏡の道 分散する私が一挙に集う場所で あらぬ方向を見つめる私と 方方からこちらを捉える私が 互いに求む手を拒まれている 外から 楽しそうな声が聞こえる 私も遊ばなければ 鏡の前で誰かを眺め尽くした後 目を閉じ 後ろを向き 目を開く これで鏡の世界に入ったことになる そこから歩いていく そういえば貴方は私じゃないようだ 何度も気づきながら 私を止めない所へ進んでゆく 遠い先になるほど怪しくなる私 そこへ近づいてゆくのではないのに 何が怖いのだろう この歩みはなんだろうか そういえば私は貴方じゃないようだ と、何度気づいただろうか 一人遊びに誰も答えず、何事も無事終わる (水色の春もピンクの夏も白煙に紛れたまま抜けてきた とうとう、我が世の秋が来るのです)
瞑想 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 892.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-08-29
コメント日時 2018-08-31
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
この作品、本当に素晴らしいですね。季節、瞑想、ミラーハウスという一同にはなかなか集まらなさそうな単語が、しっかりと詩情持ち合わせて、一つの場所に集っている。我が世の秋が来るのです、との最終節にハッとしてタイトルを今一度確認したのですが、「瞑想」だったのかと。瞑想をしつつ、季節の移り変わりに身を委ね、感じていく。素晴らしい世界観です。字面、見た目もとても美しく、視覚的にも言葉が厳選された詩なのだろうな、と感じました。
0季節を変えるには儀式をしなければならないいう最初の言葉にものすごく引かれました。ん、どういうことだ?と興味を引くし、瞑想と最初に題打っているので発想をイニシエーションまで飛ばすことができました。そして、その儀式はミラーハウスに行くことなんて。子どもの頃に入ったあの不思議な人を迷わす空間に瞑想がばっちりはまり、引き込まれました。 我が世の秋というと、多少自分というものが見え、色々な間違いを経験し実りを結ぶかもしれない状態ですかね。少し大人になるには、混沌としたミラーハウスを抜け出す経験が必要なのかなと感じました。
0stereotype2085さん、コメントありがとうございます。たくさん褒めていただけて嬉しいです。 この作品は私が今月で仕事を辞めてしまうので、そんな今の気分を残したいようなそうでもないような感じで作りました。 タイミングが丁度良かっただけで、実際の季節とはホントは関係ないかもです。 もっと鏡に囲まれた状況を強く書きたかったです。
0ヤエさん、コメント頂きありがとうございます。 ミラーハウスには憧れみたいなのがあったんですけど、ちょっと調べてみたらあれ子供向けのアトラクションなんですね。 考えてみたら自分も5、6歳のころに行ったことがあるだけです。 さすがに今の歳で一人では行けないんですよねー…。 >我が世の秋というと、多少自分というものが見え、色々な間違いを経験し実りを結ぶかもしれない状態ですかね。 とのことですが、現実じゃあもうそんな状況でもないんです。素寒貧です。実りの秋より終焉の秋です。 物憂げにはなりたくないんですが元気が無いんです…。
0以前、こんな文言から始まる詩を書いたことがありました。 多面体のクリスタル・・・その中央に「わたし」は居て、その「わたし」をぼんやりと外側から見ている。外側にいる「私」は外にいるはずなのに、内側にいる「わたし」が、限定された一面から外を見る、その視界をしか、得ることができない。内側にいるはずの「わたし」が、カットされた一面、一面の存在に気付くのは、外側から誰かに(何かに)よって、光を当てられ、その面を透過した時のみだ。その周囲は闇ともつかない、灰色の流体のような、濃度の濃い大気のような、そんなもので包まれている・・・ やたら説明口調の割には、なにやらイメージがつかみがたくて、そのまま放置している、のですが・・・社町さんの作品を読んで、なるほど、ミラーハウス!と手を打ちました。 自分を意識したり認識したりするのは、他者と接した時、である、わけですが・・・その他者の中の、自分と同質の部分に反応するのか、異質な部分に反応するのか・・・自分で気に入っている部分を相手方に見出すと幸せは二倍、ということになるのかもしれないけれど、自分で嫌だ、と思っているところを相手方に見つけてしまった時には、二倍どころか、四倍になって帰って来る。お前の姿だ、これは、と突きつけられている、ような・・・。 人と人との間には、透明な被膜のようなものがあって、マジックミラーのように、急に素通しになったり、鏡になってはねかえしたりしながら、私達の「関係」を生み出しているのかもしれない・・・そんなことを思ったら、これもまた遊園地にあるような遊具、大きな透明なバブルがいくつも組み合わせられたジャングルジムのようなものを思い出しました。私達ひとりひとりが、透明なバブルの中に入っていて、そのバブル同士がくっついたり離れたりしながら、それぞれの姿を映し合っているような・・・そんな世界も想像しました。 題名の「瞑想」、とても分かりやすくて良いのですが、作品の主題を最初に出してしまっているので、もったいないような気もしました。 もっと、あれ、なんだろう?という気持ちになる、謎めいた題名の方が(・・・と言い出すと、いわゆるゲンダイシ病、それがいかんのだ、という声も、聞こえて来る、ような気もしますが・・・)
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