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晴れた日の唄(および唄に関するメモ)
雲は動いていた、川は流れていた、 陽はあたたかく、ゆるやかに落ちて、 ぼくはすすんだ、ガードレールに沿って 水の面に木々の影と青空を眺めながら 靴の底に枯れ葉の感触を確かめながら 目の前をカワセミが、よぎって去った 橋の上を次々に車が、通り過ぎていった ぼくはすすんだ、ガードレールに沿って イヤフォンからは歌が聞こえていた 唇から漏れた口笛が陽気を誘った 遠い山の上に見える、あれは飛行船 なんて清々するんだろう このまますすもう、ガードレールに沿って さて、それから それから表通りへでるとしよう かすかに呼び声のこだましている方へ 〔「晴れた日の唄」のためのメモ〕 *雲は動いていた、川は流れていた アポリネールの「ミラボー橋(Le pont Mirabeau)」の冒頭、《ミラボー橋の下/セーヌが流れ》が響いている。ちなみにこの詩には、《夜よ来い/時鐘(とき)よ打て//日々は去り行き私は残る》というルフランがある。 *枯れ葉の感触を…… ジャック・プレヴェールのシャンソン(映画「肉体の門」のためにつくられ、既刊詩集には含まれなかったという)の一節に《枯れ葉をかき集めるのはシャベル》という詩句がある。 1990年代だった。大学のゼミの打ち上げで、カラオケに行ったとき、このシャンソンをかけてもらった。ゼミ生のなかにフランスからの留学生が一人いて、彼女に訊いたところ「ジャック・プレヴェールは有名」ということだった。 *カワセミ 河原を散歩していた際に見つけたこの鳥を携帯電話で撮影しようと試みたことがあったが、カメラから「身をかわす」のが早く、とらえることができないまま、バッテリーがなくなってしまったことがある。初期の携帯電話は写真機能を使うとバッテリー消費が早かった。 *遠い山の上に見える…… 立原道造の『優しき歌』に収録された一篇、「夢みたものは……」の第一連は以下である。《夢みたものは/ひとつの幸福//ねがつたものは/ひとつの愛//山なみのあちらにも/しづかな村がある//明るい日曜日の/青い空がある》 初めて買った日本の近代詩人の詩集が立原道造詩集だった。上にあげた作品を読んだ当時、この甘ったるい語(「夢みた」「幸福」「愛」)と調子を受け付けられず、一時期、近代詩に対するアレルギーのようなものにかかった記憶がある。 *晴れた日の唄 「晴れた日の唄」を書いていて、どこかでエコーのように響くものがあり、心当たりを調べてみたところ、ランボーであることに間違いなかった。「感覚」という詩である。その第一連は以下である。 《夏の青い夕暮れに ぼくは小道をゆこう 麦の穂にちくちく刺され 細草を踏みしだきに 夢みながら 足にそのひんやりとした感触を覚えるだろう 吹く風が無帽の頭を浸すにまかせるだろう》 (「感覚」(第一連) ちくま文庫「ランボー全詩集」宇佐美斉・訳)
晴れた日の唄(および唄に関するメモ) ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1081.7
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-08-24
コメント日時 2018-08-30
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
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音韻 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
註記も含めての一篇の詩ということを、改めて考えました。 ガードレールに沿って・・・ 世間の規範から逸れることなく、かといって乗り越えるのでもなく・・・足裏に落葉を感じるところがニクいですね。 アスファルトの舗装面からあえて外れて、その外を歩く。 自然を味わい、過去の思い出を呼び戻しながら歩くには、舗装道路ではなく、少しだけそこから「ずれて」見ることが大事なのかもしれません。
0非常に良い。非常に良いと思いました。「どんなところが?」と訊かれれば、自分でも笑ってしまうくらい中々言葉が出てこないのですか、「読んでいるだけで満足する」とでも表現すればいいでしょうか。注釈をも含めて、作者の思考に溶け込んでいく感覚、作者の脳内に入り込む感覚。それがとても心地よく、まさに「非常に良い」と思いました。
0まりもさま コメント、ありがとうございます。本文(?)の方は、こりゃ如何、いや、こりゃイカン、くらいのひねりもなんもないようなうすーいものになった感丸出しですが、これでもなんと創作というね。まあ、私自身と全く無関係というわけではないけど、遠いところで書いてます。 『メモ』に書いた個人的ないくつかは事実ですが、これを付け加えたことで、ただのポエミーな詩文になるのをかろうじて逃れているような気がします。精進します。
0stereotype2085さま コメント、ありがとうございます。読み直してみて、書いた本人が言うのもなんですが、というか、書いた本人の私としては珍しいくらい、どんなことを目指していたかが明快だったことを思い出しました。あー、なるほどー、そうだった、そうだったと。おかげをもって摩擦もひっかかりもないものになっています。お読みいただきありがとうございます。
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