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サンプリング(REFRAIN)
感じていますか? 笑って 君と僕が 生まれて・く・る銀河へ 打ち上げ花火が ばあ! ばあ! ばあ! ばあ! 君と僕が終わりになって 終わりになって なって終わりに 水滴がいないいないばあばあばあ きみは気化熱だ きっといなくなる 水色を注ぐ注ぐ注ぐ 切り込みを入れた腕に 光はいつからそこにあった? あった? 光はいつから ニュースサイト サイコーキオン ニュースサイトサイコー もうなにもかも知らないし何も知らなかった「詩」なにもかも知らないし 太陽と呼び 太陽と呼び 太陽と呼び 肯定肯定肯定肯定だー! ゾ、クッとしながらも僕は肯定否定肯定肯定 一億枚の窓ガラス なんだか戯れに 鉄砲にムリヤリお月さまを詰めこんでころがる滴にトロッコガタガタ きらめく星は星は星は きらめくきらめく街の光は 「お呼ばれしてよ」と美味しいポテトに それだ それだと「ほんまどすて」 おいでくださいませ 仏様 現在服役中でかえって可笑しい 百年後の貴方を潤す夕陽に溶けて 落札されてく一生は夢のようです「ほんまどすて」 5インチちょっとで途切れてる 君と僕は 詩なんてものは分からない打ち上げ花火 そのまなざしの向こうに 僕らの季節は 明日がくるのを待ってる ひかりが粉になって 私は正気 濃厚な狂気 いい言葉でしょう。 しぼんだ風船のような越境者に送る 「くたばれ くたばれ くたばれ くたばれ くたばれ くたばれ くたばれ くたばれ」 くたばれくたばれくたばれくたばれ くたばれくたばれくたばれくたばれ 「くたばれビーレビュー」 けれど戯れに 視界の先に「本当」は渦を巻いて 革命の目覚ましベルで日が昇る 戻ってくる向日葵と 空を見上げた 若草色のビーレビュー 全てのB review投稿者に感謝を 前作「サンプリング」における裁判で、やはりstereotype側の弁護士は、山田亮太氏の「オバマ・グーグル」が発禁処分になっていないがため、文章(詩作品も含む)からの抽出、記事からの借用、引用を用いて構成した作品は、前例に照らし合わせても著作権に抵触しないという論陣を張った。だが「オバマ・グーグル」は「オバマ」でグーグル検索をして、ヒットした上位百件のwebサイト上の記事より構成されており、単なる記事からの引用と、詩作品として完成している作品からの引用では大きく異なるのではないかとの点が、裁判では論争になった。stereotype側の弁護士は「コピーペースト」つまりは「サンプリング」行為が、一種のオマージュを含む独自の創作であると訴え、加えて言語表現そのものが、そもそもは古来から営々と続く「サンプリング」行為の一つではないかとの独自の観点、詭弁とも捉えかねられない見方をも示し、裁判を興味深く、面白味をもって進めていく。またその裁判の過程において、水面下でstreotype氏は巧みな交渉、人あたりのよい(本人談)彼自身による訴訟人の説得、作品概要の説明等を行っており、多くの訴訟人が訴えの取り下げの検討を始める。またstereotype氏が運営陣及び著作者への配慮、リスペクトの姿勢を大きく見せたことで、彼らの心証は変わっていく。しかしその交渉に残念にも失敗したのが渡辺八畳氏、別名祝儀敷氏であり、彼は最終段に至るまで訴えを取り下げようとしなかった。その理由としては、B reviewコメント欄で展開されたように、この架空の詩を取り扱うにおいて、余りにstereotype氏の当初の配慮、根回しが杜撰だったこと、また中傷ツイートにより渡辺氏の心証を悪くさせたことなどがあるが、彼が特にスポットをあてていたのは引用文は改変してはならないという法令だった。彼は自らの詩作の一節が改変されていることに、より一層の法的非がstereotype氏にはあるとの論法を展開する。一方stereotype氏側は、音楽業界においては「サンプリング」という手法は改変、省略などは多分に行われていると主張して、文芸の世界でも、音楽業界同様もし表現の自由が許されるなら、引用文の改変も創作物においては、「表現」の一つとして許容されるべきだろうとの問題提起をする。このような経緯でやや水掛け論になりかけた渡辺氏とstereotype氏の裁判であったが、ここで大きな転機が訪れる。それは、「サンプリング」が投稿された現代詩投稿サイト、B review閉鎖の危機であった。ここで運営に名乗りを上げたのが他ならぬ渡辺氏、stereotype氏の両氏であった。彼ら二人は裁判でこれ以上争うよりも、B review存続のために尽力した方が、双方にとって有益との結論に達し、極々内々において和解することを決断する。この、ある意味一つの決着から数週間後、stereotype氏はユーモアを交えて「ケンカするほど仲がいいって言うでしょ?」とコメントし、また渡辺氏は呆れたように「こういうところあるんだよな。ステレオさんって」と苦笑いまじりの返事を返している。さてその後発表されたこの「サンプリング(REFRAIN)」だが、裁判内容を逆手に取るように文の改変、簡略、引用文の断片的つなぎなど、stereotype氏は彼一流のユーモアを取り入れ、トリッキーな手法を数多く使っている。一部ではより一層法的に問題があるのでは? と危惧される内容にもなっていたが、多くの引用元の作者がstereotype氏に対し鷹揚な態度を見せて、裁判にまで至らずに済んでいる。それも一重に「サンプリング(REFRAIN)」のラストの締めくくりとして、B review発起人である三浦果実氏の作品「くたばれビーレビュー」から、そのタイトルが引用されており、この作品はB review発起人と旧運営陣への感謝とはなむけであるとの認識をみなが共有したからであった。その意図を理解してくれた著作者たちへstereotype氏はのちに礼節を以て感謝の手紙を送っている。stereotype氏はその後も創作者及び論者として活動し、ある時は「現代アートにオリジナルなんて存在しない。すべてが模倣。『サンプリング』の賜物だ。サイの角だって所詮誰かのコピーでしょ?」などと発言し、ある人には困り顔で迎えられ、ある人には賛意で迎えられるということも起こっている。stereotype氏はプライベートでは二度の結婚と一度の離婚を経験し、三児をもうけ、私人としては極々平凡な幸せと不幸せを手に入れている。また最晩年に出版された自伝「サンプリング(埋葬)」においては「僕は数多くの模倣品、コピーを生みだしたが後悔するところは一つもない。残念なのは、僕の遺伝的なコピー、『娘』が未だに僕と口を利いてくれないことだ。多分それは、一週間前彼女の買ってきたプリンを僕が食べてしまったせいだろう」といつもの冗談を交えて語り、彼のヒューマンな一面を見せている。stereotype氏は、病床に伏したあとも、死の間際まで精力的な創作活動と論評を続け、極々近しい知人と友人(それには「サンプリング」の引用元の作者たちも多数含まれていた)、そして近親者によって看取られ、その幸せな生涯に幕を閉じている。 stereotype2085 19〇〇5月7日-2085年1月10日
サンプリング(REFRAIN) ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1316.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-08-14
コメント日時 2018-09-04
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
問題作の第二段ですね。私の詩の一節を発見。ヤッター!と嬉しい気持ちになりました。パッチワークの詩、単純に面白い。Breview近史総評のよう。 私的至上最大の焦点は、この後半にあります。いっきにオリジナリティーが出る部分であり、いっきに内輪感の出る部分だと感じます。私としては後半があることで面白いと思うけれど、詩を喰うほどのインパクトは無くても良いような、もう少し薄めても良いのではと考えています。stereotype2085さんは、前回後半の音楽についての箇所を指して無くてはならないとおっしゃっていたと記憶していますが…前回程度の量のほうがピリッと締まると思いました。
0「サンプリング」という概念に対するもっと鋭い切り込みと洞察が欲しかったな。。というのが正直な印象です。特に後半部分。折角、とある作品の形式を模して(しかもいくつかの作品をネタとして取り込みつつ)これだけの分量を確保しているにもかかわらず、内輪ネタとしても、純粋なコメディとしても不十分で物足りないです。サンプリングやパロディのネタにされることに対してはまったく何の否定的感情もありませんが、せっかくネタにされるんだったらカッコよくネタにされたいもんだな、、という私のわがままでございます。
0と同時に、現在stereotype2085さんは運営される側に回られました。その立場への作者の鋭い自覚や自己批評がこの作品からはあまり感じられません。おそらく私がこの作品に対してあまり好意的な感情を抱けないの一番の理由はその部分かと思います。
0前作には良くも悪くも大きく論議されるべく著作権というトピックが内包されており、自然のうちに拡散され得る解放感があったと思います。とても好印象でした。しかしながら、今作にある嫌悪感、つまり私が直感的に持った嫌な感じについて申し上げます。それは「この作品はあまりにも内輪的ではないか」ということです。この印象はもしかしたら三浦だけが感じたことかもしれません。また、内輪話を確信犯として書かれており、判る者だけが判って楽しめればそれでいいというコンセプトがあったとしてもそれを否定するものではありません。しかしながら、前作にありましたようなビーレビを初めて覗かれた人に対しても発揮する訴求力、そのパワーが削がれた感じがすることを私は残念に思います。すみません、少し酷評になったと自覚しております。 前作と比較してのポジティブな面としましては、今作の方が熱量を感じるところです。前作にはスカスカ感があった。未完成な部分が大きくあったかと。しかしながら今作はロジカルな強度があると思いました。
0すみません、コメント書き込み後に気が付きましたが、念のために申し上げますと、先にコメントされていますsurvofさんの内容を読んでから当コメントを書いたものでは無く、たまたま同時期に同じような印象の内容になった偶発なもので、survofさんのコメントに連携する意図は全くない私のコメントでございます。
0ワンダフル❗というのが、第一印象でした。リフレインするところ、D.J.が、レコード?を、きゅきゅきゅきゅっとやったりする、あの感じだなぁ、と思ったり(正確な呼び方すら知らない、グラブ音痴ながら)全体で意味やストーリーを構成するというよりも、胸にカチッときた、ピタッとはまった、詩行を抜き出してシャッフルして、それを改めてノリと感覚で直感的に並べ直した、という印象があり(自分に都合よく、都合のいい部分だけを抜き出す、みたいなやり方ではなく)・・・実際にはどのように作られたのかは知らないわけですが、読んだときの印象はそんな感じでした。 後半部分、 語り手を故人にしていることだし、いっそのこと、宇宙電波をサンプリングする計画実行舞台の内紛みたいな話にガンガン持っていっても面白かったかもしれないなと思いつつ・・・パロディーというのは、現実(事実)と、うまい具合に付かず離れずだったりするから面白いのかもしれないな、とも思いつつ・・・投稿者への敬意とかリスペクトウンヌンの部分は、フィクションではないわけだから、ここはコメント欄を利用しても良かったのではないか?などなど、思ったりもしました。 熱量が前半と後半で質が違ってしまっていてなおかつ同等くらいの割合で注がれているので、そこが議論の分かれ目かと。 最近、亡くなった親友の話として語りつつ、自分自身が死んだ設定で、架空の詩がいかに編集者に無視され、いかに人心を掌握して、大ブームになったか、的な、架空の顛末をまことしやかに語るという面白い作品を読んだばかりだったので、とことんリアルっぽいけど、とことんウソ、みたいな感じも面白いのかなと思ったりしました。
0あ、クラブ、が、グラブ、になっていました・・・しつれい。
0ヤエさん、コメントありがとうございます! この返信を、作中のフィクションである「感謝の手紙」の「手紙」に変えさせていただきたいと思います。まず自分の一節を見つけて「ヤッター!」とのことですが、とても嬉しいです。このサンプリング二部完結編において、作品の一部を引用、改変されることが不快でなく、なおかつ嫌悪のようなものも感じず、喜んでくれる方が一人でもいることにひたすら歓喜です。単純に面白く、B reveiw近史総評のようとの評価もいただき、感謝です。さて問題の後半部分、多分にフィクション、ドラマ性をを含む「サンプリング」後の後日談ですが、若干長すぎて作品自体を食うほどのインパクトはいらなかったとのご指摘。実は僕もこんなに長くするつもりはなかったんです。前作「サンプリング第一弾」のコメ欄において折角展開された議論がある以上、それらを反映した「裁判経過」というのはぜひとも載せたかったところであり、コメ欄での議論から僕なりに考えた「サンプリング」行為への解釈も入れたかったことから、このような長さとインパクトを持つことになりました。最後のstereotype2085が2085年に死去するというのは、現実で実際に起きうる「不可思議」さをも表現していて、なかなかに良かったと思っています。前回程度の方がピリっと締まる、というご意見も納得です。ですがここは僕のストーリーテーラーとしての能力が期せずして、思わず発揮されてしまったと好意的に解釈していただけたら、と思います。さて最後になりますが、ヤエさんからの引用部分「君と僕が終わりになって」はとても早い段階で、引用が決まり、尚且つ、詩句の入れ替え、簡略をさせていただいたことに、ここで謝意を表します。作品内同様、「鷹揚」な姿勢を取っていただきとても嬉しく存じます。では長文失礼しました。
0survofさん、コメントありがとうございます。まず「サンプリング」行為に関する鋭い切り込みと考察が欲しかった、もの足りないとの感想、とても悔しく残念に面います。僕としては裁判過程の「詭弁とも捉えられかねない見方」と「音楽業界においても~」以降のstereotype側の弁護団の主張に、独自の切り込みと主張を交えたつもりですが、survofさんが物足りないというのなら、物足りなかったのかもしれません。ただこの作品は3000字ギリギリであり、これ以上拡張出来なかった、という点も斟酌していただけたらな、と思います。「内輪ネタ」というご指摘については僕も考えがありますので、同様の指摘をなされた三浦さんへの返信にて、ご回答させていただきます。またこれはとても肝心なことですが、「運営陣としての鋭い自覚や自己批評が足りない」とのことですが、これは後日談における、最早僕ではなく、この作品内においては、架空の人物と化したstereotype氏の「サイの角だって所詮誰かのコピーでしょ?」や、渡辺氏と内々において和解したのちの「ケンカするほど仲がいいって言うでしょ?」とのセリフから抱いた印象だと推測しますが、この二か所の表現は「架空の人物」stereotype氏のやや困った性格、鷹揚すぎるほどの鷹揚さを、遊び心も交えて表現したものです。その点は作品中においても「困り顔で迎えられ」などの描写で表せていると思います。後半部分は虚実ないまぜになった、フィクション、ドラマであり、決してすべてがB review運営に携わるstereotype2085の本心ではないとご理解いただきたいです。また、もしsurvofさんが「まだここが運営陣として足りない!」と思う点がございましたら、教えていただきたく存じます。では長文失礼しました。
0さぁ、三浦さんコメントありがとうございます! さて問題の「この作品は余りに内輪的」ではないかとのご指摘ですが、survofさんから、同様のコメントをいただいているので回答させていただきます。まずこの作品は「コメディ」としての内輪ネタを目指したものではないこと、また本来、後半部分はB review解体の危機が表に出る前に大部分完成しており、解体の話が出るにあたり、大幅に加筆修正したことをここに書いておきます。ではなぜ「内輪的」とも言える内容に大きく舵取りしたのかですが、それはやはり旧B reviewと新B reviewを、こういうと大げさですが、華やかに「祝福」したかったとの思いからです。また作品中にあるように旧運営陣への「感謝とはなむけ」を表したかったからです。僕個人としてはサンプリング詩部分において、「くたばれビーレビュー」をラストに持っていきたかったとの意向は最初からありました。だがそれを作品の締めくくりに持ってくるのは、余りに悲しく、三浦さんのシニカルなB review応援詩と重なるだけで終わってしまうという危惧から、このような形にしたと記しておきます。中々いいじゃないですか。旧運営者が「くたばれビーレビュー」とシニカルで、逆説的にはビーレビューを後押しする詩を書き、新運営陣が解体の危機を乗り越えて、まさに「若草色」のように「青く」、まだまだ「未熟」ながらも再スタートを図ること示唆する詩を書くなんて。ある種返詩的ではないかとも感じます。だから今作は決して内輪「ネタ」ではなく、新生B reviewの船出を祝福した作品とも言えるかもしれません。だがここまで話しても「いや、この作品は内輪ネタだ。外部には持ってけねぇよ」と三浦さんが感じられるならば、それまでと言えばそれまでかもしれません。これで一つの説明、釈明になっているでしょうか。もしまだ不足でしたらコメントを再度寄せていただけたら、と思います。最後になりますが、熱量があり、ロジカルな強度があるとの褒め言葉でいいのでしょうか、褒め言葉、ありがとうございます。
0「ワンダフル!」!!! まりもさん、コメントありがとうございます! 前半部分においてはほぼ手放しの賛辞。感謝の極みです。(自分に都合よく、都合のいい部分だけを抜き出す、みたいなやり方ではなく)との感想ですが、あ。今回は本当にそうなっていたなぁ、と思います。前作は今思うと、都合のいい部分だけを抜き出した感が若干ですが、ありましたからね。これも一重にコメント勢のみなさんのアドバイス、アイデアによるところが大きいと思います。貴音さんは「もっと大胆な『調理』を!」と暗に言ってくださり、またボルカさんからは「ここを『取る』か! みたいな驚きが欲しい」との趣旨のアドバイスをいただき、それが大きく反映されたと思います。サンプリング詩パートについてこれ以上ない褒め言葉をいただき、言葉に出来ない喜びを感じています。さて後半部分については、「宇宙電波をサンプリングする」などのちょっと今の僕では考えつかなかったアイデアを提示していただき、嬉しいとともに驚きさえ感じています。「宇宙電波をサンプリング」。ちょっとどういう作品になるか分かりませんが、一度別の場にて挑戦したい気持ちにもなりますね。パロディー(多分後半部分を指していると解釈しますが)とは、上手い具合につかず離れずだったりから面白いのかな、とのお考えについては、少なくとも僕はこの作品でまりもさんからコメントをいただくまではそう思っていました。しかし最後の「架空の顛末を語った面白い話」を聞き、まりもさんが仰るように、フィクション、パロディ部分でも「とことんリアルっぽいけど、とことんウソ」というほどの冒険をしてもいい、良かったかなととの感慨も得るに至りました。もし今後このような架空の話を、虚実ないまぜにして書く機会があったら、ぜひチャレンジ及びトライをしてみたいと思いますよ! では長文失礼しました。ここに改めて閲覧とコメ、引用に対する鷹揚な姿勢に感謝いたします。
0前半も後半も、前作から発展しているなあと思いました。 特に前半は、個々の詩句が前よりもお互いに溶け合っている印象を受けます。少なくとも自分の詩句に関しては、(単語だからかもしれませんが)必然性を持ってそこに嵌まりこんでいる感じで、思わず見逃しそうになりました。 あと後半で前作への言及があるのですが、それもまるで虚構の一部として読めてしまうというか、前作の流れに寄りかかりすぎていない感じがしてよかったです。いや、本当に初見の人がどう感じたかはわかりませんが。
0私がいいたかったのは、立場がかわると同じ引用やパロディでも意味合いが変わってしまうということです。一投稿者が他の作品を引用してサンプリングするのと、運営に携わっている方が同じことをするのでは大きく意味が違う。売れたミュージシャン(あるいは世界的にしられた作品)が売れていないミュージシャンの曲(マイナーな作品)を引用した場合と、その逆ではまったく意味が変わってくる。その点にstereoさんがどれほど敏感であったかということが私にとっての一番の関心でした。もちろん小さな投稿掲示板の運営と一般投稿者ではそれほど大きな違いはないかもしれない。でもそこにはやはり微妙な違いがあるはずなんです。その微妙な変化への敏感さ、鋭さがあまり感じられないのがとても残念だったということで、逆にそれが鋭く伝わってくる作品がかけるとするならば、前回のサンプリングと今回のサンプリングでその立場の変化を経験したstereoさんに他ならないはずです。それがすごく勿体無く感じられました。
0二条さん、前作に引き続きコメントありがとうございます! 前作から前半部、後半部ともに発展してるとの言葉、嬉しく思います。二条さんのからお借りした「打ち上げ花火」は、ポピュラリティのあるパートを最初に持って来たかったので、とても助かりました。「生まれて・く・る銀河へ 打ち上げ花火が」なんてちょっと普通にB reviewへ投稿する作品においては使いづらい表現ですが、僕は実は好きなんですよね。こういう表現。とにかくも二条さんは後半部分も好印象でとらえていただけたようで嬉しいです。引用への寛大な姿勢も、ここにまとめて感謝します。では失礼を。
0survofさん再度コメントありがとうございます! 一投稿者と運営者ではサンプリング行為、もしくはその手法を使った作品への姿勢が違って然るべきだというところですね。分かりました。たしかに僕は運営者として駆け出しですし、運営者としての認識が甘く、運営者半分、一投稿者半分というスタンスで書いてしまったかもしれません。両方の立場を経験してる僕だからこそ、「サンプリング」二作に大きな差異をつけることが出来たとの指摘、僕自身考えるところがあり、もう少し考えれば良かったな、という思いはあります。ただ僕が「俺は運営者だ」と思われかねないスタンスで書けなかったという事情、まだ運営者としての名前が浸透していない境遇もご理解いただければ嬉しいです。また僕の性格上いきなり畏まって、居丈高なスタンスで書けなかったという点も。とにかくもsurvofさんの指摘は、僕に「運営者としての自覚」や「運営者だからこそ出来る、またはしなくてはならない表現、言及」があるとの意識を授けくれました。感謝いたします。
0stereotypeさんのおっしゃっていることと私のいいたかったこと、結構ニュアンスがちがくて、作品への作者の姿勢がどうあろうと、この手法を用いる限り意味の違いが立場によって必然的に不可抗力的に生まれてしまうということです。その違いは今は至極ミクロなものですが、その事実(だと私が思っていること)に作者自身が自覚的であることが作品から感じ取れるか否か、ということでした。なんだか泥仕合になりそうなのでこの辺りで引き上げます。リプありがとうございました!
0やー、面白いですね、前作もすごいな、と思いましたが、これもすごいですね。なぜかって、この作品はstereotype2085様が作ったからこそ作品として成り立ったのであって、私じゃあ、とてもとても…。賛否両論ありますが私は好きです。だって私はできないから。後半部分はもっとすごい。私はそう、難しいことは分からないので、圧倒されるというかなんというか。畏怖、と言った方がいいのかな、そこに憧憬と尊敬が混ざったような。私の言葉を使ってくれるのも、嬉しいです。単純なんです、私。お菓子でよくつられます。もう1度、みたいと思うのは少し欲張りでしょうか?
0survofさん、たびたびありがとうございます! 作者の姿勢とかスタンスの問題ではなかったのですね。運営者が「サンプリング」を手法として使う以上、必然的に、不可抗力的に、一投稿者の投稿とは違う意味合いが発生する、ということだったんですね。またそれに作者が自覚的かどうか、というポイントがあったのですね。そうですか。その自覚が今作からは伝わってきませんでしたか。残念ですし、再度悔しい思いをしています。僕なりに新運営者としての意識、仄かな自覚をもって取り組んだ作品ではあるのですが。泥仕合。とんなでもない! survofさんからはまだまだ、この点について聞きたいところはあり、とても参考になりました。しかしsurvofさんがそう思われるなら、ここで一旦お開きという方がよいかもしれません。ではでは貴重なご意見、ありがとうございました。
0他の方のレスを読んでなるほど全容がつかめてきたところです。 確かにこうしたことは内輪のお楽しみになりかねない要素を孕んでいるかもしれませんね。 前半部と後半部のつながりにも少々課題を残しているような気がしました。 しかしながら後半あっての前半だと思いました。大変面白い試みですね。
0なつめさん、コメントありがとうございます! 賛否両論ありますが私は好きです、とのこと。とてもとても嬉しいです。いや実は、先日の三浦さんとのコラボキャスで、「最近注目してる詩書きさんは?」との僕の質問に、三浦さんはたしか真っ先になつめさんの名前をあげられたんですよね。それで僕から切り出し「こう言うと凡庸ですが『未来』を見ていますよね」「そう! 未来を見てるよね」と二人で盛り上がったんです。そんな「未来を見てる」なつめさんからコメをもらえて、かつて「未来を見て」「未来を見続けて」大人になった僕の作品が、どう映るかワクワクしながら感想を読ませていただきました。憧憬と尊敬がまざった畏怖のようなものを感じていただけたとのこと。僕もロジカルな面で外堀をしっかりと埋めつつ書いたつもりですが、そんな感想をいただき、「いやいや、畏怖なんてものは!」とちょっと恐縮してしまいました。なつめさんからは是が非にでも引用させていただこうと思っていたので、使ってもらえて嬉しいと思ってもらえてただ一言「ありがとうございます」ですよ! 追記・「お菓子でよくつられます」に思わず笑ってしまいました。
0紅茶猫さん、コメントありがとうございます! そうなんです。この作品で人によって大いに見方が変わっているのは、やはり後半部分においてなんです。外にとてもじゃないが持っていけない「内輪ウケ」と取るか、B reviewが外へ向けて、再生する意思を見せた、一つの「内情話」と取るかは、わかれるところだと思います。前半と後半のつながりに課題。それを聞きたいところですが、お手を煩わせるわけにも行かず! とにかくも大変面白い試みとの言葉をいただいて嬉しいです。改めて「ありがとう」です。
0うんうん。あの詩の好きな部分が使われてる! この詩はどの部分だろう?と やはり人によってサンプリングで使いたい部分 魅力的な部分って違うよなって改めて思いました。 前回より、混ぜ込み度が高くなっておりますね。 私はこっちの方が好きです。 内輪ネタ強いけど、ある意味もっともビーレビらしい詩なのかなと思います。 次はオールタイムで行ってみましょう! 架空事件の部分も、前回よりも深く作られていて 私の見てみたい、やってみたい以上の詩です ステレオさん含め、ここの投稿者を登場させて リアルさと言いますか、イメージしやすかったです。 私個人は外に持っていけるなら、それも面白いのかもと思っています。 外側の人だったら気になっちゃいますね、この詩をみたら ビーレビってどんなところだろう?って
0貴音さん、コメントありがとうございます! 前回より混ぜ込み度が強く、こっちの方が好きとの感想、嬉しいです。まりもさんへの返信にも書きましたが、貴音さんの「私は調理」という意見を参考にして、「調理」にも果敢に挑戦してみました。次はオールタイムで。これはなつめさんにもお返事したいのですが、「サンプリング」はこれで完結です。二番煎じにならないためにも、ここで「サンプリング」(少なくとも他の投稿者から引用した)手法を使った作品はおしまいにしたいと思います。これだけのコメと感想をいただき感謝しています。 架空事件の部分、貴音さんが見てみたい、やってみたい以上の出来だとの感想。とても嬉しく思います。三浦さんとツイッターでやり取りしましたが、まさに乾坤一擲の部分だったので。また外に持っていくのも面白いという感想。実は僕も少しだけですが同じ感覚を持っていまして、手前みそですが、単なる内輪ウケに終わらない要素を「サンプリング(REFRAIN)」は、たぶんに持っていたという印象はします。まさに「ビーレビとはどんなところか」という興味をもそそる内容になっていたのでは、という思いもします。では長文失礼を。閲覧とコメありがとうございました。
0あと、なつめさん。「欲張り」を発揮してくれてありがとうございます。とても嬉しかったです。
0拙作二篇より二箇所引用していただきありがとうございます。 自分のが入っていてもわからないんじゃないかと思っていたのですが、案外わかるものですね。前回は引用されなかったので、今回はうれしいです。 前半部分は、読んだそばからバラバラと崩れていくように感じました。サンプリングってむずかしいですね。
0わりと自分でも気に入ってる部分を使ってもらえるだけで、ああ自分が肯定されている……と、心底安心すると同時に、この熱い議論へ参加するほど切込まなかったノーミソを恥ずかしく思う僕です。こーいうの、なんでしょう。月に一個、自由参加のお題かなんかがあって、つまり今月のお題「サンプリング!」とかって、それでみんなが個々に作りあげたサンプリング作品を読めたら面白いな。とか思いました。
0実際の私なら「文学論争に仲いいもわるいもねぇよバカ」っていうでしょうね。 既に言及されている「内輪ネタ」という指摘を私が繰り返す必要も無かろう。ただ一つ記しておきたいのはこの詩に寄せられた内輪ネタという指摘を、去年5月の文学極道に投稿された宏田 中輔(黒崎水華氏)の「埋葬の陽」という詩において私も全く同じ内容でしていたということだ。 http://bungoku.jp/ebbs/log.cgi?file=529;uniqid=20170510_666_9610p#20170510_666_9610p 文極内では高い評価を得られているが、私は今でもこの詩は駄作だと思っている。 内輪ネタを見せつけられるは、その内輪に入れなかった者はぐれた者からしたら疎外感の暴力です。 既に作られた内輪ネタの作品を、じゃあ内輪ネタ方法が一つある。「世界のコミケ化」「世界の楽屋化」だ。 http://originalnews.nico/7148 上記url先を読んでほしいが、引用すれば。 「 もしくは世界を楽屋化する、それが吉本のお笑い戦略だよね。芸人の楽屋話しの延長を客に見せるようにしていけば、この世界が楽屋になる。もし、楽屋つまり同人誌文化を伝えたいなら、この世界を同人コミケ化しないと無理です。 」 すべてが内輪になれば、そこまででなくても内輪が十分に公共性を持つ域にまで達せれば内輪は無くなる。たとえば萩原朔太郎と江戸川乱歩の交流なんては個人間の極私的なトピックスであるが、それが内輪の内容とは見られないのは彼らの交流が公共性を持ち得るほどに社会に対しても大きな存在だからである。 まとめればこの詩は内輪ネタであり、内輪ネタは評価が著しく低くなる。だが「サンプリング(REFRAIN)」が扱う内容が十分に公共性のあるものとなれれば内輪から脱することができる。なにって、ビーレビでの出来事が詩や文学の文脈の中で確かな存在感を持つなれば、その時はじめてこの詩は内輪から脱せるのです。もしこの詩を昇華させたいならば、ビーレビ自体を発展させるしかないのです。
0詩を読みコメント欄もちょっとチラ見して前半部分のリフレインと言うタイトルを反映して繰り返し部分。後半に出て来た「オバマグーグル」と言う詩集はネットの書評欄や、誌の論評などで読んだ事があったので、後半部分はちょっと長かったですが興味を持続させて読むことが出来ました。
0この時間帯に目が覚めて、渡辺君の「実際の私なら『文学論争に仲がいいもわるいもねぇよバカ』と言うでしょうね」との架空の出来事内における、架空の私へ向けた強烈な悪態が目についたので、順不同で渡辺君から返信する。作中において、このサンプリング裁判での文学論争が終結するにあたり、「極々内々において和解することを決断する」とあるが、そこで非常に、私的に、細密に渡辺君と相応の文学論争が行われただろうことは想像に難くない。私が、文学論争を避けたり、そこから逃げたりする意図をもって、渡辺君と和解後のB review話に持っていたのではないことは、文脈上ある程度理解出来るし、把握する能力のある人間なら把握出来るだろうとの見解を示しておく。また渡辺君の架空のセリフは、雨降って地固まったあとの、詩情を喚起する意図を持ったものであったのをここに付記する。今作は論評、分析へ過度に重きを置いたものではなく、何よりも詩作品であるのをここに明示しておく。 さて、今作は内輪ネタであり、その種の作品は評価が低くなる、との指摘だが、内輪ネタが公共性を持ち得た時、初めて作品としての価値が高まり、品位も保たれるだろうとの見解に大いに納得する。またこの作品がそれほどの公共性を持ち得るにはB reviewが相応に発展し、大きくならなければならないとの視座も、今作への批評として充分だと思うし、B reviewの発展に協力するのも私はやぶさかではない。ただ、現在渡辺君は、運営において中々に大きなイニシアティブを取っている。その立場にあるならば、またその立場にあるからこそ、今作を内輪ネタ以上に昇華させるか、させないかに関わらず、ツイッター上において「最悪ビーレビがぽしゃっても文極が残るからいいとの思いから大胆に改革出来る」との趣旨のツイートはするべきではなかったと思う。最早渡辺君は、B reviewにおいて責任ある立場なのだ。その点は注意喚起しておく。もう一つ「内輪ネタはそれに加われなかった者にとっては『疎外感の暴力』」との趣旨の表現も、実に渡辺君らしいと書いておく。「疎外感を与える」との見解自体には否定的な感慨は持っていない。さぁ最後になるが、再度言及する。渡辺君が、B reviewの運営者であるがために、B reviewの批評、コメ欄における規約、ポリシー、ある種の矜持を守る立場に立った今、架空の私へ向けたものとは言え「バカ」という言葉をわざわざ使う必要があったのか、という点も注意喚起しておくし、問題提起としても示しておく。渡辺君はB reviewの運営者だからこそ、渡辺君のコメントのスタンス、姿勢は今後熟考の余地ありだとも指摘しておく。それでは。
0この詩の「渡辺八畳/祝儀敷」という人物が私と同名なだけの全く違う人物なら事は変わってくるが、しかしこれまでの文脈をみるにそうではないだろう。ならば現実の私の思考パターンを詩中に適応させることは間違いではないはず。 「極々内々において和解することを決断する」 とあることから 「非常に、私的に、細密に渡辺君と相応の文学論争が行われた」 と推測できるとstereo氏は仰っている。しかし和解云々はあくまで「ビーレビ存続のために訴訟を終結させる」ことを表しているだけで、詩自体の文学性の論争を終結させることには直ちには繋がらない。 私の思考パターンをみるに功利的立場から訴訟をとりやめることはする可能性はある。しかしそれはあくまでビーレビ存続のためであり、それが阻害されない限りは私は文学論争をやめないだろう。訴訟しなくても論争はできる。 また私の思考パターンから、「こういうところあるんだよな。ステレオさんって」なんてのを公に書くのはとてもこっぱずかしくてできない。カリオストロの城でのルパンと銭形のよう、状況打破のためには組むがすべてに全面賛同するわけじゃないぞ事が終われば逮捕するからなという意味で「文学論争に仲いいもわるいもねぇよバカ」と言う可能性は大いにある。あくまで表向きにはファイティングポーズを取り続けるだろう。 「また渡辺君の架空のセリフは、雨降って地固まったあとの、詩情を喚起する意図を持ったものであったのをここに付記する。今作は論評、分析へ過度に重きを置いたものではなく、何よりも詩作品であるのをここに明示しておく。」これも重々承知しているし現実の思考パターンと異なっているからといって訂正を求めるなんてこともしない。ただパラレルワールドとはいえ私が使われているのだから一言申す権利はあるだろうってことだ。 正直言って上記の諸々なんて問題でも何でもないし、より重要なのはこの詩を成立させるための不可欠要因としてのビーレビの盛況だ。それを行える立場にいるのは(私もだが)stereo氏に他ならない。詩を昇華させるためにも是非運営に励んでほしい、ということである。これ明かすと余韻も何も無くなるが、ぶっちゃけエールだ。 話題代わり、 「最悪ビーレビがぽしゃっても文極が残るからいいとの思いから大胆に改革出来る」を問題視しているようだが、そんなに悪いことだろうか。現状維持は文極に任せてビーレビは発展の方向へ進むという前向きな意味で捉えるべきだろう。いや言いたいのはそういうことでなく発言に気をつけろってことなのはわかる。ごく最近も文極のほうで私は某氏らとひと悶着あった。はっきり言ってあちら側のいちゃもんだと思っているし、それは問題視してきた私のコメントを文極スタッフは削除する必要なしとジャッジしたことからも証明される。しかし、まぁあまり詳しくは書けないのだが、その件について匿名でリアル攻撃されてしまって。まさか文学論争で匿名苦情とかそんな卑怯極まりないプライドの欠片も無い行為をしてくるなんて思ってもいなかったから、苦情されたことより詩人でそういうのやってくる輩がいるってのにショックだった。 私が責任ある立場になってしまったことは確かだ。例え自分に非が無く完全にとばっちりだとしても、私に降りかかった火の粉がビーレビにも波及してしまうことは避けなければならない。申し訳ないが旧運営ではそれがなかなかできていなく、故に一時期大量に利用者が減ってしまったこともあった。同じ轍を踏むことは無いよう努めなくてはならない。そこは深く思う。 とはいえ、文脈で読めば「バカ」が単なる中傷でないことはわかるのに言葉狩りの如く問題視してくるような、そんな文化衰退を招く姿勢に対し戦う意志は占めることを私はやめないぞ。無知は罪ではないが無知が故に人を殴るのは罪だ。 あと、 渡辺君が、B reviewの運営者であるがために、B reviewの批評、コメ欄における規約、ポリシー、ある種の矜持を守る立場に立った とあるが、私は正直ビーレビのコメント欄は不十分だと思っている立場だ。ここに関しては文極寄りである。罵倒の場にするつもりは毛頭無いが、褒め合いばかりが目に付くのも気持ち悪い。このスタンスに関しては運営交代ツイキャスでも言及していただろう。ネットであるという観点からも批評であるという観点からも、ある種辛口な言葉に対し直ちに頭を沸騰させるのではなく、スルーしたり真意だけを濾し取ったり意趣返しをしたりできるような力が必要であると思っている。オールドタイプなインターネットマンであることは自覚している。 ビーレビを弱者の避難所にするつもりは無い。注釈しておけばこれは、弱者を追い出すつもりは無いが特別に保護するつもりもないという意味である。 もし私のこれらの言動に対し不安をおぼえる者がいるのなら、是非運営に入って自らが思うビーレビ像を打ち出してほしい。 私も書きものに戻る。
0渡辺君、再度コメントありがとう。いっそのこと「中傷」であろうがあるまいが、特定の人物に向けられた「バカ」という言葉の破壊力、無粋さ等について議論しても構わないが、余りに不毛だし、本筋からもそれるので破棄しておく。私が問題視しているのは、B reviewという、フリーダムな詩掲示板と違って、ある種の理想と信条に則り、差別化をはかるべく作られた「サイト」において、評論、コメの中で「バカ」という言葉を、暗に筆者へ向けて、遠まわしにでも、運営者たる人物が投げかけるのはどうであうか、という点であった。しかしこの問題ももう比較的どうでもいいので論ずるのをまた破棄する。ただし私は、「バカ」という単語を言葉狩りするなどというつもりは更々なく、あくまでも前述した理由において不適切ではないかと言いたかっただけだ。渡辺君が望むなら、他の場所で誰々は「バカ」なり「アホ」なり「間抜け」なり何なりと思うがままに使うといい。渡辺君は何度も言うが「自由」なのだから。また渡辺君の思考パターンから「こういうところがあるんだよな…」というのは「こっぱずしくて言えない」し、それがために一言もの申したくなったというのは、別にそれこそ「自由」だし、私は構わないし、渡辺君の権利だから、発言していいだろう。何ならツイッターで放言を含めて、私にリプを飛ばしても構わない。私も私なりの流儀で応えるだろうから。あくまで今論じているのはB reviewという場においての話なのだ。訴訟しなくて論争は出来るとのことだが、それもまた渡辺君がファイティングポーズを取り続けるのは自由だし、構わないが、それに対しても、不毛あるいは発展的でないと私がとらえた場合、私は私なりの流儀で応えるだろう。また「詩を昇華させるためにも是非運営に励んでほしい」「ぶっちゃけエールだ」との言葉はありがたくいただいておく。最後にB reviewを罵倒の場にするつもりはないが、弱者を「特別に保護するつもりもない」という渡辺君のスタンスだが、私も保護したり、B reviewを駆け込み寺にするつもりはない。ただ思い出して欲しい。発起人の花緒氏が「ネット掲示板において寝込むほど追いやられた人を救済するために」B reviewを立ち上げたことを。そして二度とそのようなことがあってはならない、というスタンスでB reviewをスタートさせたことを。花緒氏のスタンスが全てであり、B review全体を拘束するものではないが、この理想と信条は私個人としては守るべき価値が充分にあると思っている。あと文極において、渡辺君いうところの「ショック」なことが起こったのは三浦氏から聞いている。それには労わりの心情を私個人としては持っている。以上だ。それでは私は仕事の準備を始める。 コメントの返信が遅れている、こうだたけみさん、ゼンメツさん、花緒さん、エイクピアさんには誠に申し訳ないですが、しばらく返信をお待ちください。仕事に区切りがつき次第返信させていただくので。それでは。
0こうだたけみさん、コメントありがとうございます! たけみさんの「君は(気化熱だ)きっといなくなる」「かえって可笑しい」は、一節そのものがとても僕好みで優れていると思っていたので、使わせていただいてピリッと引き締まるものを感じました。特に()をはぶかせていただいた「君は気化熱だ…」は、今作中にある「君と僕」の関係が壊れていく描写において、一種のユーモアと高いセンスを以て使用することが出来ました。ここに感謝を。サンプリング。僕も二作作らせていただきましたが、たしかに難しい。ただ二作目にあたる(REFRAIN)の方は、壊れ方、最後の終息のしかたにおいても上手くいったのではないかと、とても気に入っています。
0ゼンメツさん、コメントありがとうございます! 「使ってもらえるだけで自分が肯定されている」とのことですが、ゼンメツさんの作風、及び作品は、投稿数がまだ少ないのにも関わらず他投稿者からの大きく受け入れられているじゃないですか。ドンドン自己肯定をなさって良いかと思いますよ! またゼンメツさんから引用させていただいた三か所は、どれもピタリと当てはまった爽快感のようなものを 感じました。特に「きみのしおり」からの「5インチちょっとで途切れてる」はキャッチーで、ある種「おセンチ」な使い方が出来、詩パートの後半部分が一気に引き締まった、との感慨を持っています。またタイトルそのものをつかわせていただいた「もうなにもかも知らないし何も知らなかった 」は「し」の部分を一か所「詩」と置き換えて使わせてもらいましたが、遊び心満載の一節になったのではないかと、僕自身満足し、とても感謝しています。ありがとうございました。
0エイクピアさん、コメントありがとうございます! 僕が意識して投稿詩全作に目を通していなかった時代でも、エイクピアさんの作品と名前は「浮き立つ」ものを感じていたので、コメントをいただけてとても嬉しく思います。エイクピアさんの詩からも引用を、と思っていたのですが、エイクピアさんに八月分の投稿がなく、断念せざるを得ませんでした。また後半部分は、長いけれども「興味も持続させて読むことが出来た」とのこと。とても嬉しく思います。実はここで明かしますが後半部分は元は悲劇要素を取り入れたものだったのです。ですがB review解体にあたってこのような形に変更しました。悲劇要素パターンも決して嫌いではなかったので、誰かに見せたいなという願望はあります。こう書くと笑えますが。とにかくも閲覧とコメ誠にありがとうございました。
0さぁ、花緒さんお待たせしました! 返信です。まず単線的に見える、というご指摘ですが具体的には、どの箇所を、どのようにして、結果そう感じられたのか若干分かりかねるので、ご教授していただきたいな、との思いもありますが、花緒さんのお手を煩わせることもないので、自分でしっかりとチェックしたいと思います。さて、次にここが重要なのですが、「前作『サンプリング』以降の文が荒いことを、断片的つなぎ、として肯定しようとしているところが気になります」とのご指摘。僕は、全作の詩パート以降の文が荒いこと肯定しようとして、「断片的つなぎ」との表現を用いたのではありません。これは、前作のコメ欄において「引用文の改変の方が法的に問題がある」との議論において、僕が「音楽の世界においては省略、反復、反転などが行われている」という趣旨のコメントを残したところから端を発しています。このコメントを書いた時点で、「断片的つなぎ」という手法は次作において使おうと思っていたので、決して花緒さんが仰るような、自分の非を肯定しようとして使った技法ではなかったことをここに書き記しておきます。またアイデアに依拠した作品は、「どこかで、やはり技術とか実力と言われる何がしかを見せないと、多分、目の肥えた読者は納得しないと思う」とのご指摘、もっともだと思います。詩パートにおいてかなり大胆な着想で構成して、詩作品としても面白いものが出来上がったと僕個人としては、思ってはいるので(実際、前作のように一節を丸ごと使い、詩パートを作り上げはしなかった)その点をある程度はクリア出来たのではないかと、思っていましたが、花緒さんが、サンプリング手法を使った詩パートは所詮、借り物は借り物と考えられるのなら、それはそれで個人の趣向ですから仕方ないのかなとも思います。最後に「かなり注目しているので」というご評価に関しましてはとてもありがたく、それゆえの「手加減抜きのコメント」は、僕の性格上、大歓迎とは行きませんが、ドンドンこれからも「手加減抜きのコメント」でよろしいかと思います。それでは最後になりましたが、閲覧とコメ誠にありがとうございました。
0ゼンメツさん、それともう一つ。今月のお題! などと銘打ち「サンプリング」を皆さん、もしくは僕が挑戦して、続けてみたらどうかとのアイデア。とても楽しく素晴らしいと思います。ですが僕の一つの詩から発展したアイデアを、僕自身が推進することは難しい、というかはばかられます。僕としてはやりたい気持ちもありますが、みなさんが「飽いて」来られる可能性もあるので、避けた方がいいかなとも思います。
0お疲れ様です。 私は面白いと思いました、この詩。 面白いと思えるのは内情をある程度把握しているからなのだとも思いました。 語り手の死で完結することの意味をstereotypeさんと重ねて何となく深読みすることも楽しかったです。 詩単体でみれば前の方も仰っていますが、前半のインパクトや超現実感を後半の文章が打ち消している感じが否めません。もちろんこの文章自体も事情をある程度知っていれば、前作を知っていればかなり面白いものだと思います。この詩単体で見るならば評価が難しい詩だと感じます。 しかしながら、非常に楽しく読ませていただきました。ありがとうございます。 引用もありがとうございました。
0四畳半学生さん、コメントありがとうございます! 「語り手の死で完結することの意味をstereotypeさんと重ねて深読みするのも楽しかった」とのこと、嬉しく思います。最早筆者である「僕」ですらない、架空の人物と化したstereotype2085なる人物を晩年に至るまで、死に至るまで描き切るというアイデアは当初からあったので、そう評価をいただいて嬉しいです。実はこの後半部分、後日談パートは、悲劇バージョンもあったのですが、B review存続の危機に合わせてこのような形に変更しました。だがそれゆえに「内輪ウケ」すぎるとの批評もいただき、もし僕が当初の予定通り悲劇バージョンを載せていたらどうなっていたか、との思いもあります。前半のインパクトや超現実感はたしかに強くありましたね。「サンプリング」手法を使うにあたって、多くの方から意見、考え等をいただいていたので、冒険は充分に出来たと思います。「前作を知っているからこそ面白く読めたのかもしれない」との意見はやはり出て来て当然だと思います。前作の流れを汲む形で作り上げたのは間違いないですからね。ただ、単なる「内輪ウケ」を狙ったものではないことは前述のコメにも書いた通りです。では最後になりますが、こういう特殊なアイデアに依拠した作品は、外部に強く訴えかける要素を、それだからこそ必要とするとの感慨を得たとして、感想の返信にさせていただきます。追記・引用への鷹揚な姿勢、誠にありがとうございます。
0こんにちは。引用された作品の言葉には、その作品をつくる際の書き手の思考の流れや、作品自体の語りの流れがあると思います。作品の言葉はどれひとつとっても作品全体を成す構成要素でないものはなく、それゆえにそれら諸々の作品群から言葉を引用するのであれば、ひとつひとつの作品群の言葉たちがいかなる役割を果たしていたかをよくよく汲み取る必要があると思います。その上で、新しい作品の言葉のなかで全く異なった意味やイメージを与えて、尚且つ一つの作品の構成要素として違和感なく定着させる。少なくとも私は引用という方法にはそのような対話と組み込みの苦心があってこそ成立しうるものだと考えていますが、残念ながらこの作品にはそういった跡が見られません。ですので、面白さもないし、面白いというコメントも盛り上がりも理解できません。頑張ってください。
0まず明確にしておきたいのは、この「サンプリング」二部作において、何がしかの名誉あるいは勲功が発生するのならば、それは私にではなく引用元全ての作者様に帰属するという点です。そもそも引用という手段で作品を構成することに、私は特別な拘りを持つものではなく、そのアイデア自体に何か特殊な権利めいたものが、私に寄与するとも考えておりません。だからこそ「裁判に発展した」との後述の展開を設けたのです。作品内において私のスタンスの一つは明示していたと存じます。また引用をしての作品の再構成は、対話と組み込みの苦心があってこそ成立しうるとの趣旨のご意見、全うなものだと存じます。ただ対話と組み込みの苦心の跡が見られないとの根拠がどこにあるのか、私には分かりかねますし、一たび引用作業(サンプリング)を始めたら、その作品と筆者様の意図に溶け込んでいく感覚が私にはあり、個人的にはとても楽しく、面白味を感じた行程でした。私はこの作品においては、これ以上弁明するつもりは更々なく、全ての引用元の作者様に感謝するとともに、この作品についてのお話は終了させていただきたいと思います。藤一紀様、貴重なコメント、ありがとうございました。
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