別枠表示
僧の跡
お出しましょう 仏様 木が 割られ削られ彫られて 浮かび上がる よろついた体が振るう 鉈は迷いなく 元からあったかのごとく 形作る 仏様 お出しいたします 素早く 乱雑だ 荒々しい肌の 柔和な 柔和な 仏が 今 鎮座した 震える手は 彫って出てきた木っ端に伸ばし 小刀が舞い踊る 仏様 仏様 私のために 箱一杯の小さな木っ端の 笑う仏 仏様 仏様 皆のために 鈍り出した鉈に もろともせず 大木へ 乾いた音が木霊する おいでくださいませ 仏様 樹液が滴る 仏 変わりゆくだろう 消えゆくだろう仏 やさしく見ている 仏様仏様 すべては仏様 鉈と小刀を握る僧の跡 数万の仏が 笑っている
僧の跡 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1013.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-08-04
コメント日時 2018-08-17
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
彫刻とは原材の生木のなかに既に在るものを彫出すこと、というようなことが云われますが、本作を読んでそれを思い出しました。その作業は宗教的な集中がいると思うんです。平たく云うと、絶対ぶれない精神、みたいな。そんなことを思いました。
0三浦果実さん、こんにちは。 今回の元ネタは円空です。 江戸期に3万体の仏像を彫り上げたと言われている、荒々しいノミ跡が印象的な作風の仏師ですね。 遠く北海道やとんでもない断崖絶壁にも円空仏は安置されてますので、やや狂気じみたぶれないという点ではものすごかったんじゃないかと。 そこはある程度出せたかなと思います。
0一読して何か「薄気味悪い」印象を受けたのですが、コメの返信で「円空が元ネタで狂気じみた印象が出せた」とあり、それならばこの詩は大成功しているのではないかと思いました。何度も出てくる「仏様」という言葉、それが信仰心から来るのか、蒙昧から来るのか分かりませんが、狂気じみた点は充分に出ていると思います。
0円空もそうですが、版画家の棟方志功などにも通じるような作品に感じました。ほりこむという所作にただならないものが現れているように感じました。
0stereotype2085さん、こんにちは。 「気持ち悪い」そう言われればそうですね。蒙昧というのも考えてなかったですが、そういう風にも読める。 頭にあったのは晩年の円空なので、そのような傾向が出たようです。 円空仏からは、笑いやある種の安定を感じますが、本人はこんな感じだったかも。 重力さん、こんにちは。 棟方志功もエネルギーはすごいですからね。 映像で見た、強度の近視で版木に顔をほとんどつけながら彫りこむ様はすごかったですし。 狂気じみたという点では同じなようです。
0漱石の夢十夜の六夜で、あれは運慶だったか? 元々木の中に埋まっている仏像を掘り出すのだから、土の中の石を取り出すようなもの と言った仏像を彫る話しがありましたがお出しましょう、仏様というフレーズでそれを思い出しました。 元よりある形を取り出す、簡単に聞こえるけど、凄まじい修練の先に手が届く境地なのでしょうね。 その感覚が詩から伝わりぞくぞくしました。ただ、わたしのために、とあり信仰なのか、なんらかの狂気なのか。考えさせられる作品ですね。
0帆場蔵人#冷やし怪談始めましたさん、こんにちは。 >元よりある形を取り出す、簡単に聞こえるけど、凄まじい修練の先に手が届く境地なのでしょうね。 ミケランジェロは粗彫りをせず一気に完成させたそうですね。 最初から元ある形を見れたという事でしょうけど、最後の作品が円空仏のようでした。 そんな事を思い出しながらこの詩を書いてました。 狂気と信仰はある程度地続きと言えます。 両方だったかなと思います。
0大木、の中に 仏 がいる、として・・・アニミズム的な、精霊信仰的な要素もそこには多分に含まれている、として・・・ 魂のかたち、というように「見えない」状態で収まっているものを、見出して掘り出して衆目にさらす、ということ。 それは、仏師の悲願でもあり、同時に、芸術家としての表現意欲、であるのかもしれない。 羽田さんのこの作品では、前半は「衆生の役に立ちたい」「仏師として、優れた仏像を残したい」という個人の欲望から、閉じ込められている仏様を出して差し上げましょう、という発想が生まれている、ように思うのだけれど・・・ 眼目は後半にあるのではないか。一体の仏像を掘り出すために、「余分」なものとして削り取られた、一般的にはゴミとして廃棄される木っ端に、そこにも(ひとつひとつに)仏性が宿っている、ということに気付いた僧のおののき。 個としての(仏師としての)欲望が、世界は見えざる仏性に満ちている、と気づかされた瞬間の・・・個の埋没というのか、その畏怖と喜びに満たされて、憑かれたように小刀をふるう僧の痕跡、それを木っ端の鉈痕、小刀痕に見るところに注目したい作品だと思いました。
0まりもさん、こんにちは。 今回は円空をモデルにしたわけですが、円空にアニミズム的な所は多々あったかと思います。 修験道との関係も指摘されてた気がしますし。 なので仏像を彫り上げた際に出た木っ端に仏を彫り込んだのはむしろ当然だったんじゃないかと。 そういう木っ端の掌サイズのも現存してます。 衆生のため、優れた仏像を彫りたい、というのもあったにしても。 自分が円空仏に感じた事を、この詩を通じて感じてくれたようで、とても幸いです。
0