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頭悪いお坊さん
頭悪いお坊さん 掃除をする 泣きながら 泣きながら 手を動かし 汚れぬぐい 口ずさむ 頭悪いお坊さん ダメなお坊さん 何をしても怒られて 泣きながら 泣きながら 汚れぬぐい 口ずさむ 汚い所をきれいにして きれいな所もきれいにして ついた足跡すぐにきれいにして 見えない所もきれいにして 合わさった掌見て 泣きながら 泣きながら 汚れぬぐい 口ずさむ 汚れぬぐい また汚れ 汚れぬぐい また汚れ 汚れぬぐい また汚れ 汚れぬぐい続ける わが心 頭悪いお坊さん 掃除をする 泣きながら 泣きながら 心動かし 喜びの中 汚れぬぐう 口ずさむ言葉 「汚れを払い 汚れを除く」 口ずさむよう言われ 口ずさむ言葉 一心に掃除するお坊さん 合わせる掌見て 掌合わす
頭悪いお坊さん ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 979.4
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-06-25
コメント日時 2018-06-30
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
頭悪い、という連呼にビックリしますが・・・そう言われ続けているということなのでしょう。 愚者に仏性が顕現する・・・そのひかりを、見つめて手を合わせる眼差しに救われるものがあります。 わが心、このフレーズが、今一つつかみがたかったです。 一心に、繰り返し汚れをぬぐい続けるお坊さんを見て、感化された「私の」心、なのか。私の心にも、こんなお坊さんが住んでいる、ということなのか・・・ 冒頭から、自分をお坊さんになぞらえていると読むことも出来そうな気はしますが・・・朗唱性というのか、リズムや口ずさみのフレーズを重視しているせいか、少し読み取りにくい部分もありました。
0一休さんではないですが、やはり彼も高徳の僧になる前に修行時代があったのですね。この詩ではは坊さんと言われているので、もうすでに修業時代は終わって居ると言うニュアンスなのでしょうが、まるで修行僧、小僧の頃のような印象の描写で、そこがこの詩の眼目だと思いました。
0まずは、モデルになった人物について。 元になったのは、釈迦の実在の弟子、周利槃特。(しゅりはんどく。パーリ語ではチューラパンタカ) 物覚えが大変悪かったらしく、覚えなくてはならない言葉や儀式、さらには自分の名前さえ忘れてしまう程だったと伝えられています。 そのため先に出家していた兄に還俗させられるところを、釈迦は布を与え掃除をさせました。 「垢を払い 塵を除く」と唱えさせながら。 それにより払い除くべきは自らの心の汚れといえるものだとわかり、悟りを開きました。 テーラガーターという釈迦の弟子たちの詩がまとめられた経典に、この人の詩が載っています。 ちなみに茗荷を食べると物忘れをするとの言われは、この人から。 それをふまえまして。 まりもさん、こんにちは。 少しわかりにくくなってしまったようです。 上のエピソードを詠んだのですが、色々読めるのがかえってわかりずらくなったでしょうか。 下手に思い入れのある話を元にすると、知らない人には難しくなるようです。 花緒さん、こんにちは。 実はリフレインが好きなので思いっきりやってしまいました。 指摘されたフレーズはどうしても入れたかったのです。 このエピソードの重要なポイントなので。元の形ではさらに違和感があったかとは思いますが。 いずれこの作品は書き直すべきなのかとも思いました。 エイクピアさん、こんにちは。 修業時代の、のちに悟りを開いた重要な釈迦の弟子の話なので、まさにその通りです。 釈迦にまつわる話の中で、気に入っている話の一つです。
0仲程さん、こんにちは。 コメントくれるだけでもうれしいですよ。 リフレインは好みが分かれるのでしょうか。 くどいと言われたら、その通りですけど。
0こんにちは。モデルがいたんですね。私はなんとなく「レレレのおじさん」を思い浮かべていました。それからW・サローヤンの短編に「笑うサム」というのがあって、そのサムという少年を。前者はつねに掃除しているし、後者はいつも笑っている(死んだ時さえ笑顔)。そして両者ともに社会的には不遇。しかし、それを笑うものこそ笑われるものである、ということがあります。賢人はしばしば愚か者の姿で現れるとも。 わかりやすく、また歯切れもよく、モデルを知らなくても読める作品ですね。
0藤一紀さん、こんにちは。 レレレのおじさんのモデルが周利槃特という説があるようです。 キリストも親鸞もいっそ愚かである方がよい、と言っているとか。 信仰というのを考えるとそうかもしれません。小賢しい知恵がない方が賢いのかも。 少々わかりにくなったかなとも思ったのですが。 モデル知らなくても読めるという点はうまくいったようです。
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