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選評五月分
大賞候補 「ロデオ天使」 植草四郎 http://breview.main.jp/keijiban/?id=1829 《ここに一人の哀れな天使》 冒頭のこの一行。「あるところに一人の哀れな天使がいた」などではなく、《ここに一人の哀れな天使》。《哀れな天使》は、ここではとくにどうということはない。「ここに+修飾語+名詞」という形による提示。これが美しいです。冒頭にこれを置くことで、読み手である私は、《ここに》で示されている対象《天使》に知らず集中させられてしまいますし、次の行からの流れにも違和感をもたず入っていけます。 語り手は作品の主人公を《天使》として語っていますが、同時に《悪魔》と呼ばれていることも語っていて、単に性としてでなく、存在自体が「両性具有」である。この設定があるから、キスで赤面する《天使/悪魔》、興奮して枕にバックドロップをする《天使/悪魔》、という面白さがでる。まるで「幼年の人間」のような反応・行動をするのだけど、《悪魔》がキスを見て赤面するとか、《天使》が興奮して枕にバックドロップするとか、尋常じゃないし絵的にも面白いです。《天使/悪魔》が人間的な疑いをもつところで一旦トーンが下がって、四連では刻み刻みのスローテンポ、そして最終連で《天使はそれからロデオマシーンで汗を流した/喉をつぶすほどの奇声を上げて》。最後の一行は一気に最高ボリュームですね。《天使/悪魔》のどっちの面かわからないけど、どっちであってもクレイジーです。思わず吹いた。この壊れた感、とてもかなしいのにしかも愉快で、いいです。 優良(順不同) 「ラブラプソディ」 渡辺八畳@祝儀敷 (前編)http://breview.main.jp/keijiban/?id=1768 (後編) http://breview.main.jp/keijiban/?id=1769 表現も含めて全体の構成がとても素晴らしいです。読み手を意識していると読める作品の中では群を抜いていたのではないかと。戦略的といっていいのかどうかわかりませんが「どう読ませるか」という意識が強く感じられ、感心しました。 「旋回」 李沙英 http://breview.main.jp/keijiban/?id=1717 一匹のアロワナ視点で語られているのだけど、語りにリアリティがあって、異様な作品空間が生まれていました。仮に実話から着想を得たとしても、そこは重要ではない。言葉によってつくられた作品空間が、読み手に何をもたらすか。なにげない日常の影に潜む非日常性にちょっとした恐ろしさを感じさせられました。 「天守閣」 二条千河(NIJO Cenka) http://breview.main.jp/keijiban/?id=1804 叙述の上手さもさることながら、二人称を用いて語ることによって、読み手のこちらまでも、《君》の動きや心理を追う側に立たされると同時に、《君》として状況に置かれる心境になりました。語り手は背後に退いて観察者として《君》に語りかける。その冷徹さと《君》が置かれた状況とが緊迫感を生み出し、やがて起こることを予想しながら目を背けられない。撃たれました。 推薦(順不同) 「Elegy」 R http://breview.main.jp/keijiban/?id=1754 かねてより関心のあったアイヌについて接する機会になりました。この作品を読まなければ、まだまだ先延ばしになったことでしょう。感謝します。目隠しされている文化や歴史などについて、目を向けさせることは今もって文芸の力のひとつです。 「学習 learning」 かるべまさひろ http://breview.main.jp/keijiban/?id=1818 長い。けれども、内容の特定しがたさによって常に摩擦を生じさせながら、また、リズムのずらしによってすすんでいくので、謎を追って読まさせられました。わかるわからないは問題ではないのです。 「夕焼けが足りない」 仲程 http://breview.main.jp/keijiban/?id=1711 各節ごとの構成が全体を見た時、ワンパターンになっておらず、その変化もきれいです。何度《夕焼け》と繰り返しても足りなさが残る。その残された足りなさを追う視線にポエジーを感じました。《赤い辞書》に挟まれた夕焼けはきっと滲んでいます。 「E# minor」 survof http://breview.main.jp/keijiban/?id=1703 関係のありようの変化は内界にも変化を与えて、その無意識による投影によって異なった世界が姿を現すことがある。それはともかくこの作品空間の奇妙で異様な世界を《僕》とともに味わうことができました。 最後になりますが130ほどの作品中35作品まで絞ったあとは大変でした。規定上8作品となりましたが、とりあげたかったものはまだまだあります。ということで拙い選評でした。
選評五月分 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 993.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
作成日時 2018-06-15
コメント日時 2018-06-16
選評どうもです。 「読み手を意識していると読める作品」とありますが、これは私が詩作において常に意識しているものであります。 詩人はよく「自分の思ったままに書けばいい」とか「他人を意識してはいけない」とか言いがちですが、はっきり言って逃げだと私は思っています。それが通じるのは全く作品を発表しない場合だけで、どこかに出した時点でそれはもう他者の評価を求めることとなるわけであって。なのにそんなことほざくのはつまりは見てもらいたいけど比較されての厳しい競争には混ざりたくないという甘ちゃんなわけでして。第一自己表現つうけど、ありのままのあなたは他人が見ても面白いものだと本気で思ってるんですか? と つまらない事実なら面白いフィクションがいいです。そう思っていつも書いていますが、こと「ラブ・ラプソディ」に関してはその文字配置も含めていかにエンターテイメント性を詩に付随させるかに重きを置いています。その意味ではたしかに「戦略的」でしょう。幾らかは上手くいったようなので満足です。ラプソディ形式はまたやりたい。
0ご講評ありがとうございます! 本作は、とある賞の選考委員から「内容的に詩ではない」という有り難いお言葉を返され一敗地にまみれた(いや、入選はしましたが)トラウマ的作品でした。弾倉に残っていた最後の一発、藤一紀さんの胸に届いてよかったです。
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