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(前編) 捨てる/捨てられる
「真理ってマザコンなんだよなぁ」 俺は煙い喫茶店で妹相手にそうこぼしていた。真理と言うのは俺の同居人で、非常に整った顔をしたマシンのように無感情な男のことだった。もちろん俺は真里のそういうところが嫌いなわけではない。本当に、偽りなく、あいつの冷静なところが嫌いではないが、彼は人間と言うよりむしろ機械に近いように思う。そんなふうに他人に対して無関心無感情を貫く彼はいつも恋人にこっぴどく振られる。あなた私を好きじゃないでしょう、だとか私あなたのお母さんじゃないとかそういう心抉る言葉で毎回派手に振られてくる真理だが、彼はおそらくそのことばにもあまり関心がない。おそらく彼の関心ごとになりえるのは、自分のこと、あるいはそんな自分を捨てていった母親のことだけなのだ。そんな真里だから、俺は一度も彼の情緒が揺れるというか、不安定になるのを見たことが無い。 「お兄ちゃんも十分マザコンだと思うけどね」 俺は妹の核心をついたような言葉にたじろぎながらも平静を装ってトーストをかじった。 「そうか?俺別に真理みたいに始終母さんのことなんて考えてないけど」 「お兄ちゃんが真理君といるのは真理君が冷静でヒス起こしたりしないからでしょ。母さんと真逆じゃん。お兄ちゃんは自分で気づいてないだけである意味お母さんに執着してるんだよ」 妹の言葉をあいまいに濁しながら俺はハハと笑った。 「真理君とお兄ちゃんは似てるよ。二人ともマザコンで、意気地なし」 意気地なし、意気地なし、意気地なし。何度もその言葉が頭の中で反響している。恋人の由紀子に振られた時に言われた言葉だ。 俺は目を覚まして、キッチンへと向かった。トーストの匂いがしていて、だから喫茶店でトーストを食う夢なんて見たんだなとぼんやりと考えた。 お前まで母さんみたいに怒鳴らないでくれよ。総君は私と向き合いたくないんでしょう。お母さんと真逆の人間ばっか求めて、そうやっていろんなことから逃げてる。意気地なし! 俺は由紀子のその言葉に一つも言い返すことが出来ずに、ふたりの恋は終わった。 けれどいまだに俺は由紀子のことが好きだし、たまに会うと嬉しいし、彼女からのLINEの返信が早いとそれだけで幸せな気分になる。 そういうの、こいつにはわかんないんだろうなぁと思いながら、トーストを齧りながら雑誌を読んでいる真理を見た。 「おはよう、今日は早いな」 「俺もたまには早く起きるよ。おっ、目玉焼き半熟にしてくれたの?お前ほんとやさしいな」 「別に、僕も今日は半熟で食べたかったからそうしたまでだ」 かわいげのかけらもない真理のことばを適当に受け流しながら俺はトーストにバターを塗った。 バターを塗り終えてトーストにかじりついたとき、携帯の液晶画面に由紀子からのLINEのメッセージを知らせる通知が届いた。真理の前でそのメッセージを開くのが躊躇われて俺は携帯をひっくり返した。 俺は由紀子との同棲が破たんして、友人である真理の暮らす広いマンションの一室に転がり込んだのだった。だからこそ俺は由紀子との関係が再び好転し始めたことを真理には言いづらかった。もちろん真理は聡いのでそこら辺はお見通しだろうが、俺は自分から言いたくなかった。真理は由紀子との復縁に否定的だった。 「由紀子さんからだろう?」 真理の言葉に俺はぎこちなくうなずいた。真理はそんな俺を鼻で笑った後、冷たい目で言った。 「いい加減に忘れたらどうだ。おまえを傷つけて捨てていったような女だぞ」 「まぁ男と女なんて結構そんなもんだよ。俺は真理みたいに一回ケチがついたからって次にいけないの」 「僕を遊び人みたいに言うな」 真理はそう言って食器を片付け始めた。真理は捨てるとか捨てられるということに過剰に反応する。母親に捨てられたことが彼の人生や考え方に濃い影を落としているのだろうが、いかんせんその影響が強すぎて彼は裏切りとかそういうことに過剰に反応しすぎるきらいがある。そういうところが面倒くさいが、そこが彼に唯一人間味を感じるところでもあるので俺は放っておいている。彼はさっさと皿を洗うと、ベランダに植えてある薔薇に水をやり始めた。 『母さんが薔薇を好きだったからな』 いつか真理に薔薇を育てる理由を聞いたときに彼は言った。 『薔薇は、というより植物は人間とは違って扱いやすいから好きなんだ』 それは薔薇がおまえの母さんみたいに、お前を裏切ったりしないから?俺は当時そう聞くのをためらった。真理が彼の母親を憎んでいるのか何なのかが俺には理解できなかったからだ。 俺は家族を捨てていった自分の父親をひどく恨んでいて、真理と父親が少し似ていることさえ許せないときがある。そう、真理と俺の父親は少しだけ似ている。父親もあまり感情が無くて他人に無関心だった。父親を心底憎みながらもそいつと似た真理と一緒に住んでいるのはどういうことなんだろうか。俺は水やりを終えて身支度を始めた真理の背中をぼんやりとみていた。 由紀子は俺が初めて心の底から愛した人間だったので、俺にとっては特別だった。由紀子はなんというか俺の理想の全てを体現したような存在だったので俺は彼女の全てに惚れ込んでいた。別れるその日に由紀子が泣き叫びながら俺への不満を口にするまで俺は彼女にゆるせないところなど一つもなかった。俺は由紀子が泣き叫ぶのを聞いて、母親そっくりで幻滅した。でも最近は、そういうところも含めて由紀子なんだと思えるようになったし、母さんは母さんで父親に捨てられて本当に悲しくて悔しくてあぁなってしまったのだろうと思えるようになった。俺はそういう意味でマザコンと言うかそういうのを克服しつつあったし、真理もいつか素敵な人と出会ってマザコンを克服できればいいのにと思う。 ○ 「真理君と三人で飲もうよ、その時にまた二人で暮らすこと言おう?」 男と女とは不思議なもので、あれよあれよという間に俺と由紀子の仲は修復されていき、ついにもう一度一緒に暮らそうということになった。俺と由紀子の復縁が進むにつれて、真理の機嫌が悪くなっているように思えたが、それも仕方ないことだと思って俺は何でもない風に過ごしていた。三人で飲みに行こうよと誘うと真理は明らかに機嫌を悪くしたが、最終的には折れてくれた。 明るくにぎやかな店内で真理だけが静かで落ち着いていた。真理は由紀子に対して穏やかに振る舞っていたが、俺はその日真理の機嫌が悪いのを知っていた。前日に真理の母親から、真理に手紙が送られてきたのだった。真理は母親からの手紙をきっかけに明らかに冷静さを失っていたけれど、由紀子の前でそんな様子はみじんも見せなかった。俺から同棲を再開することを真理に言う約束だったけれど、今日言うと真理に負担になるだろうと思って俺はその事を言わないことにした。それに、由紀子には後で事情を説明しようと思っていた。 けれど穏やかな時間は由紀子の一言で破られた。 「総君が言わないから私が言うね」 やめろ、と俺は思ったがもう遅かった。私たちもう一回一緒に暮らそうと思ってて、ね。由紀子はそう言って真理を見つめた。俺はどうするべきかわからずに真理を見つめるしかなかった。真理は明らかに苛立った後に微笑んでこう言った。 「好きにすると良い、僕には関係のないことだ。自分から大切な人を捨てたくせに何もなかったかのようにまた一緒にいられるような人間のことなんて僕には分からないからな」 真理の言葉に由紀子がわなわなと震えていた。しかし由紀子は真理に言い返さなかった。真理の目があまりに冷たかったからだ。真理は一万円札を置いて席を立った。そしてそのまま帰っていった。俺はそれから泣き出した由紀子を必死になだめて真理の家に帰った。
(前編) 捨てる/捨てられる ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 850.0
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ポイント数 : 0
作成日時 2018-06-12
コメント日時 2018-06-14
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
花緒さま 名前の誤字、文の繋がらなさなどのご指摘ありがとうございます。叙述が甘い、一文一文が練られていないというのはまさにそうで、自分の弱点だと思っています。この文は以前に書いたものなので、花緒さんに頂いたアドバイスを生かして、このときより高いレベルを目指していきたいです。コメントありがとうございました。
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