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シゼンのメカニズム
「美しいものだけを食べていたら、美しいものになれるでしょうか。」 否。わたしの身体は消化と吸収の果てに排泄をするだけです。 昨日、可愛い犬が道端で用を足し、わたしの子供はそれを踏みました。 どんなに可愛い犬でもそれはただの糞でした。 飼い主が置き去りにしたのは、「汚いから」でしょうか。「面倒くさいから」でしょうか。 量とか犬種とか性別とか野良とかペットとかヒトとかヒトではないとか関係なく、糞は糞です。 愛されていてもそれは汚く面倒なものでしかない。 アスファルトに放たれたそれはどこにも還れず、石ころみたいに乾いても石にはなれない。 下校する子供も蹴ったりしない。 「糞ですから。」 食べたものは食道を通り胃で消化され腸で吸収される。 その過程を自然と呼ぶなら、なぜわたしは花も咲かせず鉱石のひとつも生めないのか。 (こんなに愛しているのに。) 否。はじめから入口を間違えていた。 美しいものは美しい形のまま咀嚼をせずに受け入れなければならない。 守ってきたキレイな四肢で泥を掻きそのカワイイ顔を洗って、自然に蹂躙され醜態を曝して拒絶をしながら抱き締めて、走って走って走って走って、行き止まりまで走って。 「花も鉱石もアスファルトからは生まれない。」 だから、柔らかなベッドを下さい。 目覚まし時計のベルを打ち鳴らすように削岩機を叩きつけ、水が湧くまで耕して下さい。 そこに種を植えて下さい。 そうすれば、海のないこの街でも潮の満ち干きを、昼も夜もないビルの一部屋でも月の満ち欠けを感じることができるのです。 排泄物を拾って部屋の片隅に溜め込んで、ひとつ増える度にその匂いを愛おしいと思った時、わたしはやっと、美しい自然になれるのです。
シゼンのメカニズム ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1215.4
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-06-06
コメント日時 2018-07-25
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
こんにちは 拝読しました。 >その過程を自然と呼ぶなら、なぜわたしは花も咲かせず鉱石のひとつも生めないのか。 この嘆きが美しいなぁと、思いました。 幻想から覚めているのに、貴いものは残っているという感じがして好きです。
0面白くて興味をひくけど、この詩のアプローチに「同意出来ない」と思いました。これは完全に好みの問題で、生理的な問題かもしれません。この詩が持っている主題、メッセージについて扱った、杜さんの詩が他にあれば拝読させていただきたいと思います。
0渚鳥さん あげて下さった部分は、私の切実な疑問でもあるのでとても嬉しいです。 以前は見えた幻想をそのまま書くことが多かったのですが、最近はすっかり幻想を見ている私を書くことが多くなってきたように感じます。 お読み頂き有難うございます! stereotype2085さん 面白く興味を引く...とはとても嬉しいです!また、同意できない、とのご感想にも感謝致します。 性を全面に出していることや散文形式であることが要因のひとつかな…とは感じております。 これまでの詩は頭に浮かんだ景色の描写が多かったのに対し、今作は「私の考え」を書き起こしたもので、もしかしたらこれは詩を書くようになってはじめてのことかもしれません。 いつか、全く別のアプローチで書いてみたいです。 お読み頂き有難うございます!
0(こんなに愛しているのに。)というフレーズが効いていると思いました。 子どもが犬の糞を踏む、という、いかにもリアルな話が素材として提示されているので、最終連の「排泄物」と犬の糞が何となく連動してしまうのではありますが・・・「柔らかなベッド」をまっさらな心、排泄物を言葉と読み替えて読みたくなります。 詩(ことば)の美は、花や鉱石のように自然に生まれて来る、ものなのか。美しいものを噛み砕いて消化して血肉として・・・そこから生まれるものが、吐しゃ物や排泄物のようなものでしかない、としたら。美しいものを、咀嚼してはいけないのではないか。そのまま、受容しなくてはいけないのではないか。 そのために、まるで「可愛い犬」のように四肢を持った生き物に同化した語り手は、「走って走って走って走って、行き止まりまで走って。」行くのですが・・・。語り手がそこで悟ったものとは、汚い、臭い、と思っている排泄物そのものを、美しいと思えるまで、愛おしいと思えるまで、静かに育てていくこと、なのではないか・・・ と読むのは、意訳しすぎかもしれませんが・・・美しいもの、がこの世にあるわけではない、美しいと思う心があるだけだ、彫刻家の舟越安武の、こんな意味合いの言葉を思い出しました。
0まりもさん 返事が遅くなり申し訳ございません。 可愛いものは下の世話もひっくるめて愛するべきだ。と思ったのです。我が子が散歩していた犬の、さっきしたばかりの糞を踏んだ…のは事実です。私も犬を飼っています。糞は持ち帰らなけばいけません。 また、私の弟は良く吐く子供でした。それを処理する母を見ては「私は親にはなれない」と思っていました。でも、実際親になってみれば私にも出来ました。 仰るとおり、これは書くことについての思いも込めました。憧れの作家さんや好きな物の図鑑を見て知識を増やしても、なかなか思い通りに書けるようにはなりません。得たものを、どう処理するのか、これからも臆せずに向き合って行きたいと思います。 丁寧にお読みいただき、ありがとうございます!
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